初恋の君に真紅の薔薇の花束を・・・
 ノックの後、返事を待たずに部屋に入ってきたロベルトに、ジャスティーヌは反射的に立ち上がって臣下の礼をとろうとした。
 瞬間、パンと手を叩く音がした。
「ジャスティーヌ様、何度申し上げたらよろしいのですか? 王太子妃は臣下の礼をとったりは致しません」
 行儀見習いを始めて以来、たぶん百回以上は聞いた言葉だった。
「申し訳ございません」
 ジャスティーヌが謝罪すると、再びパンと手を叩く音がした。
「敬語をお使いになってはいけません。私は、妃殿下の僕でございます」
「失念しました」
 ジャスティーヌは仕方なく言葉を改めた。
「マデリーン、ジャスティーヌのは条件反射だ。臣下から嫁いでくるのだから、仕方がない。それよりも、少し席を外してくれないか?」
「ですが殿下、予定がおしております故、少しでもすすめませんと、お式の日程が決まりませぬ」
「マデリーン、式の日取りを早くしたいのは私も同じだが、イルデランザが開戦し、従兄のアントニウスが負傷して生死不明の今、そう式の日取りが早く決まるとは思えない。それよりも、私はマデリーンのしごきでジャスティーヌが婚約を破棄しないように心をつなぎとめておかなくてはならないからね」
「殿下!」
 マデリーンが怒りたいのに怒れないという、複雑な表情を浮かべているのを手で出ていくように合図すると、ロベルトはジャスティーヌの隣に椅子を運んで腰を下ろした。
「大丈夫かジャスティーヌ? 顔色がかなり悪いけれど、もしかして、マリー・ルイーズおばさまが帰国してから、夜眠れていないのではないか?」
 ロベルトの言葉は図星だった。
「ジャスティーヌ、君がこんな様子という事は、アレクサンドラ嬢はもっとつらい状態なのではないか?」
 アレクサンドラがマリー・ルイーズに同行した翌日、ルドルフから陛下にだけはアレクサンドラが同行したことを報告したが、口止めされているジャスティーヌはロベルトにそのことを言えずにいた。
「優しいジャスティーヌ。もしかして、眠れない妹君に付き合って起きているのではないのか? そんなことをしたら、体を悪くしてしまう。もし、近くにいることで休めないのなら、王宮にとどまってはどうかな?」
 ロベルトの言葉にジャスティーヌは頭を横に振った。
「いえ、母の事が心配ですから・・・・・・」
 正直に言ってしまってから、ジャスティーヌはしまったと思った。
「母上? アリシア殿のお加減もお悪いのか?」
「あ、いえ、あの・・・・・・」
「アレクサンドラ嬢ではなく? お母上が?」
 じっと瞳を覗き込むロベルトに、ジャスティーヌは白旗をあげた。
「殿下、どうか、秘密をお守りください」
「ジャスティーヌ、二人だけの時はロベルトで構わない。それに、二人の秘密は誰にもあかしはしない」
 ロベルトの言葉に、ジャスティーヌは大きく深呼吸した。
「実は、父からは誰にも話してはならないと言われているのです」
「伯爵が口止めを?」
「はい。実は、帰国されたマリー・ルイーズ様と一緒に、妹のアレクサンドラもイルデランザに向かったのです」
 ジャスティーヌの言葉にロベルトは鳩が豆鉄砲を食ったような表情を浮かべた。
「おばさまと一緒に?」
「はい」
「確か、アントニウスはアレクサンドラ嬢にプロポーズしていたとは思うが、快い返事は貰えなかったと言って帰国したのは嘘だったのか?」
 ロベルトの問いに、ジャスティーヌは頭をぶんぶんと横に振った。
「いえ、間違いございません」
「それなのに、イルデランザへ?」
「はい。アントニウス様は、戦地に赴かれても、毎日、アレクサンドラに手紙を書いて下さっていたのです。お怪我をされた日も。そして、アントニウス様の上官でいらっしゃる方から、アレクサンドラ宛てにお手紙が届いたのです」
「アントニウスがアレクサンドラ嬢の事を話して回ったとは思えないが・・・・・・」
 ロベルトは言いながら腕を組んだ。
「はい、上官の方も、アレクサンドラの名前は知らず、お手紙はアントニウス様の執事を介して届けられたのです」
「ミケーレか。それならば、間違いはないな」
「お手紙には、戦地でアントニウス様は心に決めた女性がいること、エイゼンシュタインにいるため、遠くすぐには会えないこと。プロポーズをしたものの、答えを貰っていないこと。誰とは言わず、心に秘めた想いを信頼する上官の方にお話されていたのだそうです。その手紙を読んでアレクサンドラはアントニウス様が上官を守り負傷されたことを知りました。そして、悩んだ末、イルデランザに向かい、アントニウス様のお傍で回復のお手伝いをしたいと・・・・・・」
「でも、女性がそのような事をすれば、婚約を承諾したのも同じ・・・・・・」
「はい。父もそのように申しましたが、アレクサンドラの決心は揺るぎませんでした」
「イルデランザは開戦中。もし、アントニウスが命を落とせば、婚約者はその時点で婚姻なき結婚の下に未亡人となってしまう」
「はい。そのことも理解しております」
「公爵家としては、アレクサンドラ嬢が白い結婚の下、未亡人となっては処遇に困るだろう」
「アレクサンドラは、万が一の時は、国に戻り、父の所領の修道院に入ると申しております」
「そこまでの決心を・・・・・・。でも、それならば、なぜアントニウスに良い返事をしてくれなかったのだろう?」
 ロベルトの疑問は最もだった。
「アレクサンドラは、身分が違い過ぎるからと、ずっとお断りするしかなかったと。ですが、殿下と私の婚約が正式なものとなったので、将来の王太子妃の妹であれば、公爵のお許しも得られるかもしれないと、勇気が持てたそうです」
 ジャスティーヌの説明に、ロベルトは納得した。
「そうか、私もアントニウスも、身分などという事は考えていなかった。ジャスティーヌの妹なのだから、アントニウスに釣り合わないはずがないと思っていたが、それは浅はかだったな。だが、さすがに伯爵の教育は素晴らしいな。先日、社交界にデビューしたばかりだというのに、身分や立場、社交界での立ち位置など、この短い間に学習できたとは思えない。何年も社交界に出入りしている者でも犯しやすい間違いだ」
 ロベルトはアレクサンドラをべた褒めにしてくれたが、アレクサンドラがアレクシスとして何年も社交界に出入りしていたことを知っているジャスティーヌは、手放しでは喜べなかった。
「そう言った理由ならば、ジャスティーヌが心配で眠れず、お母上が心配で心が穏やかでないこともよくわかる。しばらく、行儀見習いは止め、屋敷に留まる方が良いだろう。マデリーンには、私から伝えておく。それから、いつまでもルドルフに秘密を持っているのは大変だろうから、私が明日にでもこっそり会いに行って知ってしまったことにしよう」
 ロベルトは言うと、優しいキスをジャスティーヌの頬に落としてから部屋を出ていった。

☆☆☆

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