初恋の君に真紅の薔薇の花束を・・・
 窓の外の風に揺れる木を見つめながら、ジャスティーヌは今更ながらに、生まれてこの方、一度も離れたことのないアレクサンドラが側にいない寂しさを感じていた。
 いつもなら、例え喧嘩をしたとしても、続き部屋にいるアレクサンドラとは自然と仲直りすることができた。それは、双子だからなのか、お互いの考えることが何となくわかったからともいえた。
 ジャスティーヌが謝らないとと思っていると、ふらりとアレクサンドラが姿を現し、謝りはしないまでも、和解の言葉をジャスティーヌにくれて、ジャスティーヌはすぐに謝ることができた。
 楽しい時も同じで、アレクサンドラが楽しんでいれば、ジャスティーヌも自然と楽しい気がしてきた。
 しかし、国境をまたぎ、隣国とはいえ、はるか遠いイルデランザ公国に行ってしまったアレクサンドラの事を想うと、ジャスティーヌ寂しさと孤独を覚え、まだ一週間も経っていないというのに、王宮での行儀見習いにも集中することができず、しばしばロベルトが体調が悪いのではと心配してジャスティーヌを屋敷に返すという事が続いていた。そして、ついにそれが三回目に至り、ロベルトは陛下の許しを得てしばらくの間ジャスティーヌの行儀見習いを中断することにした。
 それでも、一度覚えたお忍びでの外出は、ロベルトに生まれて初めての自由を覚えさせてしまったようで、王太子付き近衛隊隊長であるカルヴィソン伯爵家のハインリヒに極秘任務だと申し付け、既に一着近衛隊隊長の制服を用意させ、ジャスティーヌの護衛と称して自らジャスティーヌを屋敷まで送ってくる事が楽しみになっているようだった。
 それでも、玄関の前で騎乗したまま別れを告げるロベルトを笑顔で見送ると、楽しかった気持ちは一気に沈み、屋敷の中に一歩足を踏み入れると、屋敷の中はどんよりと沈んでいた。だから、家令のコストナーに迎えられ、ジャスティーヌは自室に一人戻ってきたのだった。
 ライラの代わりに王宮から送られてきた新しいメイドのアザレアはとても良く気の利くメイドだったが、幼いころから一緒に過ごしたライラとは違い、打ち解けているつもりでも、最後の最後では信頼することができずにいた。

「お嬢様、お帰りなさいませ。お早いお帰りで、玄関までお迎えに参らず、申し訳ございませんでした」
 アザレアのジャスティーヌに対する態度は、伯爵家の令嬢に対するものではなく、あくまでも将来の王太子妃に対するもので、身分を越えて何かをわかりあったり、共有する相手はないと、はっきりと主従関係が表に押し出されていた。
 「アザレア、大丈夫よ。ロベルト殿下が、しばらく王宮での行儀見習いをお休みするようにしてくださったから、しばらくは屋敷でゆっくり休みます。アレクサンドラが出ていってから、お母様もお父様も、いいえ、屋敷全体の灯が消えたようになってしまって、私も体調が優れないの」
 ジャスティーヌの言葉に、アザレアは顔を変えてジャスティーヌの元に歩み寄ってきた。
「王宮から、侍医を呼んでお体を見て戴いた方がよろしいのではございませんか? もしかししたら、いえ、万が一の事もございます」
 慌て始めるアザレアに、ジャスティーヌは首を傾げた。
「そんな、大げさよ。万が一の事なんて、そんな思い病気ではないわ」
 ジャスティーヌがアザレアを宥めようとすると、アザレアは戸惑いながらもジャスティーヌの耳元に口を寄せ、恐れ多いと言った様子で口を開いた。
「おめでたかもしれません・・・・・・」
 アザレアの言葉に、ジャスティーヌの思考がフリーズした。
「あ、アザレア。何か勘違いしているようだわ」
 ジャスティーヌは顔を真っ赤にしていった。
「アザレア、殿下と私は、陛下と王妃様の前で、婚約の後も、成婚の儀式を終えるまで、清い体を保つことをお約束したのです。私は当然の事ですが、殿下も他の女性の所に通うというような、ふしだらな事は一切行わないと、そうお約束したのです。王太子と王太子妃になる物のエチケットに従い、ですから、そのような事は一切ありません」
 ジャスティーヌよりも王宮のしきたりに詳しいはずのアザレアの暴走に、ジャスティーヌは自分がふしだらな女だと思われているのではないかと不安になった。
「アザレア、もしかして、王宮に仕えている侍女やメイドたちは、みな私と殿下の間にそういうことがあると思っているの?」
 ジャスティーヌが問うと、アザレアは顔を伏せた。
「答えて、アザレア!」
 ジャスティーヌは珍しく声を荒立てた。
「アザレア、どうなの?」
「そ、それは・・・・・・」
「どうなの!」
 ジャスティーヌの怒りの前に、アザレアは震え始めた。
「アザレア、これは命令よ!」
 雷の様にジャスティーヌは生まれて初めて、立場の弱い使用人に対して命令を下した。
 アザレアはジャスティーヌの怒りを恐れ、その場に跪いた。
「お嬢様、どうかお怒りをお沈めくださいませ。私が、間違っておりました」
「アザレア、私の質問に答えていないわ。王宮に仕える者たちは、殿下と私が、ふしだらな関係だと思っているのかと尋ねているのです」
 ジャスティーヌの怒りの声は、階下にも聞こえ、驚いたようにダフネを伴ったアリシアが姿を現した。
「何があったのですか?」
 部屋に入ってきたアリシアは、怒りで震えるジャスティーヌの事を抱き寄せた。
「お母様、酷い侮辱です」
「何事があったのですか?」
 初めての事にアリシアも戸惑っていたが、震えるジャスティーヌの事を抱きしめる事しかできなかった。
「お母様、王宮に仕える者たちの間では、私と殿下がふしだらな間柄だ、思われているのです。どうか、お父様にお願いし、婚約を解消し、私が修道院に入るお許しを戴いて下さい。このような、不名誉で屈辱的な誤解を受けて、どうして殿下の隣に立つことができましょう」
 ジャスティーヌは言うと、ぎゅっとアリシアに抱き着いた。
「どうか、お母様、アザレアに暇を与え、王宮に戻る様に命じてください」
 まるで、アレクサンドラかと見紛うほどの激しい怒りに、アリシアはやはり双子なのだと思いながら、ダフネに家政婦長のウォルター夫人を呼ぶように命じた。
 慌てて飛んできたウォルター夫人は、泣きながら蹲るアザレアと、怒りに打ち震えながら涙を流すジャスティーヌに目を見張った。
「奥様、どのような失礼がございましたのでしょうか?」
 ウォルター夫人の問いに、アリシアはジャスティーヌの願いを聞き、アザレアに暇を与え、直ちに屋敷を出ていくように、そして約束の給金は直ちに支払うように命じたが、紹介状は書かないようにとくぎを刺した。
 ウォルター夫人に抱えられるようにしてジャスティーヌの部屋から連れ出されたアザレアは、必死に許しを乞うたが、ジャスティーヌは一言も答えなかった。

「ジャスティーヌ、落ち着いてちょうだい。王宮にいる全員がそのような事を考えているとは思えません。それは、アザレア一人ではないでしょうが、あの年頃は、そういう浮いた話に盛り上がる頃です。だから、落ち着いて・・・・・・。王宮とて、」
 アリシアは優しくジャスティーヌの背中を撫でた。
「お母様、どうか、どうか修道院に行かせてください。あのメイドは王宮にもどっても、紹介状がなければ、王宮にも戻れないでしょう」
「でも、そうしたら、あのメイドがどこかで私と殿下のことをふしだらな間柄だと、偽りの噂を流すかもしれません」
 ジャスティーヌは大粒の涙を零しながら言った。
「アレク、アレクにしか私の気持ちはわかりません」
 ジャスティーヌは言うと、アリシアから離れてベッドの上に突っ伏して泣き始めた。
「ダフネ。私は大丈夫ですから、しばらくジャスティーヌの事をお願いします。私は、主人に事の顛末を話してきます」
 アリシアが出ていこうとした瞬間、ジャスティーヌは起き上がると、震える声で言った。
「アザレアは、私の体調が悪いのは懐妊かもしれないから、王宮から侍医を呼ぶべきだと言ったのです」
 ジャスティーヌの怒りをしっかりと受け止めたアリシアは、静かに部屋を出ると、階下にいるルドルフの元へと向かった。

☆☆☆

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