初恋の君に真紅の薔薇の花束を・・・
 アリシアから話を聞いたルドルフは、個人的な面会をリカルド三世に求めた。
 いつもは、一方的にリカルド三世の要請に従い王宮に馳せ参じるだけのルドルフからの個人的な面会の要請にリカルド三世はただならぬものを感じ、すべての予定をキャンセルしてルドルフのために時間を空けた。
 長年、臣下としての面会を求めたことはあっても、個人的な面会を求めたことのなかったルドルフの突然の申し入れと、王妃が手配してジャスティーヌ付に王宮から派遣したメイドが何らかの失態を演じ、アーチボルト伯爵家の怒りを買い、紹介状も書いてもらえずに解雇されたことは無関係とは思えなかった。そのことを考えると、リカルド三世が恐れることはただ一つ、ロベルトとの婚約が解消となることだった。

 ルドルフの待つプライベートサロンに入ると、ルドルフは直ちに立ち上がり臣下の礼をとった。
「よせよせ、誰もいない」
 リカルド三世は言うと、ルドルフに座る様に合図した。
「突然の事で、大変申し訳ございません」
 ルドルフは謝罪の言葉を口にしたが、リカルド三世は止めるように手を振った。
「世とそちの仲だ。堅苦しいことはいらない。それよりも、大切な話を聞かせてもらおうか」
 リカルド三世は言うと、ルドルフの向かいに座った。
「先日は、王妃様にお手配戴いたメイドを陛下のお許しも、王妃様のお許しもなく、突然解雇致しましたこと、大変申し訳なく思っております。ですが、これには理由がございまして、直接陛下にお話させて戴きたく、個人的な面会をお願いいたしました」
 ルドルフの言葉に、リカルド三世はとてつもなく嫌な予感がした。
「実は・・・・・・」
 話し始めたルドルフをリカルド三世は手で制した。
「まさか、よもや、ロベルトとの婚約を破棄すると申すのではなかろうな?」
 リカルド三世の予感は正しかったようで、ルドルフは深々と頭を下げた。
「陛下。王宮では、既に殿下とジャスティーヌが夜を共にしたという噂がまことしやかに流れていると、あのメイドが申しておりました。メイドが申すには、殿下からの命令でドヌーヴ夫人が席を外し、アザレアも席を外し、殿下とジャスティーヌが度々二人きりで過ごしていると、そう聞き及びました」
「まさか!」
 リカルド三世の驚きは、まさに話を聞いた時のルドルフの驚きと同様だった。
「また、見合いの折、舞踏会の会場から殿下がジャスティーヌを連れ出し、二人きりで庭に出てしばらく戻らなかったと・・・・・・。そこで、殿下とジャスティーヌが淫らな行為に及んでいたに違いないと、そのような噂がまことしやかに囁かれていると、そう聞き及びました」
 ルドルフが語る言葉は、全てリカルド三世には想像もつかない程の悪意に満ちたものだった。
「本来、我が配下の僕たちは、陛下の僕。このような国と政治に関わりのない事の調査に時間を割かせるべきではないことも重々承知いたしておりましたが、事は殿下のお人となりにも関わること。陛下のお許しなく、私の独断で我が配下の僕に調査を命じました」
 ルドルフの言葉は静かで、感情を感じさせなかった。
「して、結果は?」
 リカルド三世は配下の僕の使用を咎めず、ただ、その結果を求めた。
「王宮の使用人の間でそのような噂がまことしやかに囁かれているというのは、正確ではございませんでした。複数の特定のメイド、下僕、侍女、馬蹄と言ったものが、この悪意のある噂を広めようとしていることが判明いたしました」
「いったい、誰がそのような事を・・・・・・」
 自分の住まう王宮に仕える者たちが、ジャスティーヌだけでなく、ロベルトの品位を貶めるような噂を故意に広めようとしていたという事に、リカルド三世は驚愕した。
「馬蹄には、バルザック侯爵家に仕える親族がおりました。また、下僕には友人が。侍女は侯爵の執事と親しくしていることがわかりました。メイドは、侯爵の縁戚筋の紹介で公爵家に務め、その後公爵家の推薦で王宮に入ったことがわかりました」
 ルドルフの報告に、リカルド三世はぎゅっとこぶしを握り締めた。
「世が、世がレオポルトの息子がそなたの娘アレクサンドラに無体を働こうとしたのを止め、バルザック侯爵家をそちの家の下に置き、蟄居を申し渡したことによる腹いせという事か?」
「それは、なんとも申し上げられません。私が伯爵の分際で、自分たち侯爵家よりも陛下のお傍近くにある事を以前より快く思っていなかったことも事実でございます。それに、ジャスティーヌの婚約が決まった後、アレクサンドラをローゼンクロイツ伯爵の妻にと、打診を受けておりましたが、私は既にアレクサンドラはアントニウス様に縁付いたものと思っておりましたし、アレクサンドラ自身が嫌がりましたので、一も二もなく、断りをいれました。その事も、侯爵の憤りを買ったことは間違いございません」
「確かに、のらりくらりのルドルフに即答で断りをいれられれば、快く思わないというのは、想像もつくが、それにしても、これはやり過ぎだ」
 リカルド三世は言うと、しばし考え込んだ。
「これは、個人的な面会であったが、この場にマデリーンとロベルトを呼んで事実を確認しても良いか?」
「もちろんでございます」
 リカルド三世の提案に、ルドルフは即答で承諾した。
 人払いしてある王宮の一角に響く声でリカルド三世が声をかけると、すぐに侍従長がやってきた。
「マデリーンとロベルトをここに・・・・・・」
 リカルド三世の命に、侍従長はすぐに下がって行った。
 しばらくして、足早に廊下を進んでくる足音が聞こえ、足音は扉の前で止まると、一呼吸おいてからノックの音がした。
 リカルド三世が入室を許可すると、ドヌーヴ夫人がサロンに入ってきた。
「マデリーン、少々尋ねたいことがある」
 リカルド三世はマデリーンに口を開く間を与えずに問いかけた。
「そなたの知る限り、この王宮で行儀見習い中のジャスティーヌとロベルトが二人きりで過ごしたことはあるか?」
「はい、行儀見習いの後、車付けまでジャスティーヌ様をお送りになられることがございます」
「多くのものが行き来する廊下ではなく、密室ではどうだ?」
「そのような事は通常はあり得ません。万が一、メイドのアザレアも席を外したとしても、五分ほどでございます」
 マデリーンは驚いたように言った。
「それは真か?」
「真実でございます。殿下は、ジャスティーヌ様の事をとても心配になられ、私が控えの間に下がることはございましても、音は筒抜けでございますし、けっして密室ではございません。それに、私が席を外したとしても、下々の者達まで全員が席を外すことなど、絶対にありえません」
 マデリーンの言葉は王家に仕える女官として礼を失しない程度に、きっぱりとした物言いだった。
「時に、ロベルトとジャスティーヌの間に、既成事実があるとまことしやかに言うものが王宮にいると聞いた」
「そのようなバカな話はございません。殿下は王太子として、立派な立ち居振る舞いをなさっておられます」
 驚いたマデリーンの言葉に、噂が一部の限定的なものであることをリカルド三世もルドルフも確信した。
「マデリーン、もう下がって良い」
 リカルド三世の許可を貰い、マデリーンは臣下の礼をとり、サロンを去って行った。
 それからすぐにノックがあり、ロベルトがサロンに入ってきた。
「父上、急なお呼びとの事でしたが・・・・・・。これは、アーチボルト伯爵。ご無沙汰いたしております」
 ロベルトはサロンに入ると、リカルド三世の下へと歩み寄った。
「ロベルト、大切な話がある」
「どのような事でございますか?」
 何を問われるかわからないロベルトは、穏やかな表情でリカルド三世の言葉を待った。
「そなたとジャスティーヌの事で、悪い噂を耳にした」
「悪い噂でございますか?」
 身に覚えのないロベルトは、怪訝そうな表情を浮かべた。
「二人の間に既成事実があるとの事だ」
 バンっという音がして、ロベルトがテーブルを叩いた。
「父上、誰がそのような嘘を! そのような悪意のある嘘を流すものを厳罰に処すると私の名誉を貶めるものを厳罰に処すると、お約束ください」
 ロベルトの言葉に、ルドルフは安心したような、申し訳ない気持ちになった。
「陛下、並びに殿下。この度の、この悪意のある噂がジャスティーヌの耳に入り、ジャスティーヌは殿下の名誉を守るため、自ら清い体である事を明かすため、修道院に入りたいと申しております」
 ルドルフの言葉は、リカルド三世とロベルトを恐怖に凍り付かせた。
「伯爵、どうか、お考え直し下さい」
「そうだ、ルドルフ。このような陰謀による噂のために、ジャスティーヌに身の証をたてさせる必要はない」
 やっとまとまり、国内に正式に発表した婚約をバルザック侯爵家の陰謀で台無しにすることはないと、リカルド三世は慌てた。
「しかし、ジャスティーヌは心から傷ついておりまして。その取り乱した様子は痛々しく、アザレアから王宮の誰もがその噂を耳にしていると聞き、とても落ち込んでおります」
 話を聞いたロベルトには、どれほどジャスティーヌが傷ついたかは想像することができた。
「父上、どうか、私とジャスティーヌを貶めたものに厳罰を・・・・・・」
 ロベルトは言うと、リカルド三世の前に膝をついた。
 しばらくリカルド三世は黙したが、しばしの後、口を開いた。
「蟄居を申し付ければ、此度のような陰湿な噂をばらまき王太子と、その婚約者を貶めるとは、王家と王太子を貶めたも同じ。世は王権を以て、レオポルト・カルザスの侯爵位剥奪し、改めて男爵位を下賜することとし、更にローゼンクロイツ伯爵領を没収とする。その上で、ルドルフ・バーンシュタインを公爵に叙爵し、ローゼンクロイツ伯爵の爵位と、その所領を下賜する」
「陛下、そのような事は、社交界の、いえ、国の秩序を乱します」
 ルドルフはリカルド三世を宥めようとしたが、ロベルトがそれに相反した。
「父上、私も父上のお考えに賛成いたします。先日、父上が目撃された、フランツ・カルザスによるアレクサンドラ嬢への所業だけでなく、私と幼いころよりいい交わしていたジャスティーヌに対し、『貧乏伯爵家の娘』などと言う中傷や、『妻にしてやってもいい』というような、侯爵である父親の権力を傘に、ローゼンクロイツ伯爵を名乗れるのを良いことに、強引にジャスティーヌに迫るなど、私も腹に据えかねていたところです。そこへ、将来の義理の妹と言っても、外見はジャスティーヌと瓜二つ、私のジャスティーヌを穢されたも同じでございます」
 これでは、公爵への叙爵を願い出るために個人的な面会を求めたと誤解を生むと思いながら、ルドルフは公爵への叙爵を思い留まる様にリカルド三世に願ったが、その願いは聞き届けられなかった。
「それに、公爵令嬢となれば、アレクサンドラ嬢もアントニウスとの婚約に支障がなくなります」
 もうここまでくると、ルドルフにできることは何もなかった。
 それは、誰よりも王に寄り添い、王のそばにあり、何も望まず、ただ王の臣下であり続けたルドルフだから、確固たる信念をもってリカルド三世が何かを宣言した時、それに従うのが臣下としての務めなのだとわかっている。例え誰に恨まれ、誰にやっかまれようと、どのような妬みをかおうと、一夜にして全財産と領地と爵位を剥奪されようとも、リカルド三世の言葉はルドルフにとってそれだけの重みがある。
 満面の笑みを浮かべるリカルド三世と、安心したようなロベルトから、ジャスティーヌを思い留まらせるようにと何度も頼まれ、言い聞かされルドルフは屋敷への帰路についた。

☆☆☆

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