初恋の君に真紅の薔薇の花束を・・・
(・・・・・・・・いったい、いつになったら明るくなるんだ?・・・・・・・・)
アントニウスはいら立ちを感じながら、それでも前に向かって歩いて行った。
さっき目撃した、というか、悪夢のようなアレクサンドラとその夫の様子、それに、耳元で聞こえたような声、アントニウスはいら立ちを隠せず、闇雲に闇の中を進んでいった。
「アレクサンドラ! アレクサンドラ! どこにいるのですか?」
呼びかけるアントニウスの前の闇が少し明るくなったように感じた。
次の瞬間、突風が吹いたかのように木々のざわめく音がし、見覚えのある華奢な背中が目の前を過ぎていった。
(・・・・・・・・アレクサンドラ!・・・・・・・・)
アントニウスはアレクサンドラを追いかけて走り始めた。
そのアントニウスを追い越していく馬とその場上の黒い人影に、アントニウスは追いつけるだろうかと不安になりながら走り続けた。
少し先で馬の手綱が細い木の幹に括り付けられているのを見つけると、アントニウスは最後のもう一頑張りとばかりに木々を掻き分けて進んだ。
「お前が本当は深窓のアレクサンドラ嬢だという事は知っている」
男の言葉にアントニウスはギクリとした。
(・・・・・・・・私の他に、アレクサンドラの秘密を知っている人間がいたのか?・・・・・・・・)
アントニウスは腰につけた剣に手をかけた。
(・・・・・・・・アレクサンドラのためなら、どんな邪魔も排除するしかない・・・・・・・・)
「覚悟はできているようだな」
布の裂ける音にアントニウスは殺気だった。
「怖くて声もでないか? 男の力を甘く見るもんじゃないぜ、どんなに男のフリをしたところで、所詮お前は女だからな」
更に布の裂ける音がし、目の前で男がアレクサンドラに覆いかぶさるのを見たアントニウスは、迷わずにサーベルを抜き去った。
例え国王の従妹であるマリー・ルイーズの息子と言えども、エイゼンシュタインで殺人を犯せば、罪びととして裁かれることになる。それでも、アレクサンドラの貞操を守るためならば構わないと、アントニウスは腰の高さでしっかりとサーベルを握った。
「ほら足を開け、お前は俺のものなんだろ!」
(・・・・・・・・何を言っている、アレクサンドラは誰のものでもない・・・・・・・・)
「ほら、俺をその気にしてみろ」
男の言葉にアントニウスは背筋を冷たいものが流れていくのを感じた。
「その女の体で、俺をその気にしてみろ、そういうゲームだろう」
それは、まるでアントニウスがアレクサンドラに囁いた言葉のようだった。
「私には、あなたをその気にするなんて技はありません。あなたの好きなようにしてください」
怯えたようなアレクサンドラの声にアントニウスは剣をしっかりと握りなおした。
「ならば仕方ない。好きなだけ楽しませてもらうさ」
はっきりとは見えないが、男が顔をアレクサンドラに近付けているのは間違いなかった。
アントニウスは足音を忍ばせ、男の背後に迫ると、男の下にいるアレクサンドラを傷つけることかがないように、慎重に剣を構えると一気に体当たりするようにして後ろから男を刺した。
言葉にならないような猛獣のような声をあげて男は苦しむと、人形の様にぐるりと頭がまわり、血反吐をはいた顔がアントニウスの方を向いた。
その卑しい下卑た顔は他の誰のものでもなく、アントニウス自身の顔を鏡に映したようだったが、その顔にうかべられた下卑た笑みは、一度もアントニウス自身が浮かべたことのない卑しい物だった。
「俺を刺したのは、お前か? 所詮、お前も俺と同じ人間だろ? 心の中では、何度も彼女を犯しただろう? 俺がこうしてお前の夢の中で彼女を犯したら、俺を刺すのか?」
男は下卑た笑みを浮かべながら、不自然な角度で腕を動かし、アントニウスの剣を抜こうとした。
「お前は、私ではない! 私は、そんなこと・・・・・・。彼女の尊厳を傷つけるようなことは、そんな人権を無視するようなことは考えたことはない!」
アントニウスは絶叫するように言うと、男が抜こうとする剣を全力で押し返した。
「そんなウソで自分をごまかせるのか?」
男は言い残すと、腐った動物の死骸のように崩れ落ちていった。
男が崩れ去ったのを確認すると、アントニウスは剣を鞘に納めた。
「アレクサンドラ・・・・・・」
アントニウスが声をかけると、瞳を閉じて男の暴挙に耐えようとしていたアレクサンドラがゆっくりと瞳を開けた。
そのあられもない姿に、アントニウスは慌てて上着を脱ぎ、横たわるアレクサンドラの上に自分の上着をかけた。
「どうか、私をご自由になさってください。秘密を守るために私にできることは、この体を捧げることだけです」
アントニウスの脳裏にあの図書室での晩の出来事がよみがえった。
(・・・・・・・・そうだ。俺がアレクサンドラの、彼女の心を傷つけたから、彼女はこうして、俺に体を差し出そうと、口止めに自分を捧げようとしたんだ・・・・・・・・)
「あなたは、そんなことをしなくていいのです」
やっと自分の言葉が声になり、アントニウスは少しほっとした。
「私をご自由になさってください。私はどうしても秘密を守らないといけないのです」
アントニウスは脅えたように言うアレクサンドラをしっかりと抱き寄せた。
『私が、フランツに嫁げば・・・・・・』
耳元でアレクサンドラの言葉が聞こえ、アントニウスはもう一度アレクサンドラの顔を見て話そうとしたが、腕の中のアレクサンドラは砂が風に舞っていくように姿を消していた。
「アレクサンドラ!」
アントニウスは大声で呼んだが、辺りは闇に飲まれて行った。
口惜しさと、虚しさと、絶望でアントニウスはその場に膝をついた。
(・・・・・・・・気が付かなかった。私は、あの人の目に、こんな卑怯な愚か者に映っていたなんて。あの人を傷つけただけだったなんて・・・・・・・・)
アントニウスは闇の中で絶叫したが、声は闇に飲まれて行った。
死にたいとは思わなかった。アントニウスはただ、アレクサンドラにもう一度会って、謝罪したいと、そう強く心の中で願った。
☆☆☆