初恋の君に真紅の薔薇の花束を・・・
 話しかけているうちに、少しだけアントニウスの顔色が良くなったような気がして、アレクサンドラは少し安心した。
 アントニウスとの二人だけの時間はすぐに終わり、ソフィアとライラが戻ってきたので、アレクサンドラは再び静かにアントニウスを見守り、話しかけ続けた。
「アントニウスさま、少しお顔の色が良くなって、安心しました」
 アレクサンドラは言うと、ライラから温かいスープを受け取った。
 ライラにソフィアを連れて部屋を出てもらうため、理由を思いつかなかったアレクサンドラは全てをライラに任せたので、ライラが苦心の末にソフィアと共に持ってきてくれたスープを受け取るほかなかった。
 特に空腹ではなかったが、わざわざ頼んでおいてスープを飲まないわけにもいかないので、アレクサンドラは少しずつ温かいスープに口をつけた。
「アントニウス様、スープは温かくておいしいですよ。早く目覚めて、一緒に飲みませんか?」
 アレクサンドラはスープを口に運んだ。濃厚なコーンのポタージュだった。
「アントニウス様、もうずっと温かいスープも美味しいお料理も召し上がっていないでしょう。きっと、目覚めてお口にしたら、美味しいですよ」
 アレクサンドラはスープを口に運んでは、何度もアントニウスに話しかけた。


 アレクサンドラの姿を見ながら、ソフィアは突然現れた行儀見習いと言う事になっているアレクサンドラがアントニウスの妻になる予定の女性であることはマリー・ルイーズの口からきかされていた。
 最初に見たアレクサンドラは、アントニウスがかつて愛を交わしたレディたちとは違い、ソフィアの目からはアントニウスの傍に自分がいるのは当然だと思っているのではないかと思わせるところがあった。それなのに、決して高慢ではなく、高飛車でもなかった。
 ライラから、アレクサンドラの双子の姉であるジャスティーヌがエイゼンシュタインの王太子と婚約したことは聞いていたので、身分は釣り合っているのかと思ったが、伯爵家で所領が広いだけで豊かな家柄ではないと聞き、公爵がアントニウスのお金遣いの荒さに嘆いていたことを思い出させた。それでも、アレクサンドラが持ってきたドレス類はどれも華美でなく、動きやすく、アントニウスの世話をするためだけにやってきたというのも、真実のようだと思った。
 実際、アレクサンドラは食事とアントニウスの診察時間以外をずっとアントニウスの部屋で過ごし、アントニウスの診察時間は、扉の前で待ち、侍医からその日の状態を聞くのが日課になっていた。
 庭に散歩に出ることもなく、マリー・ルイーズや公爵と率先して過ごそうともせず、ただ、アントニウスとの時間を大切にしていた。逆にマリー・ルイーズの方が心配し、アレクサンドラをお茶に招いたり、庭への散歩に招待するが、アレクサンドラは三回に一回程しか応じず、ただアントニウスと過ごすことを望んだ。
 そんなアレクサンドラをソフィアは最初どう思ってよいかわからなかった。もともと、公爵家に仕えるソフィアにとって、アントニウスは主の子息であり、恋愛対象でもなく、恋慕する相手でもなかった。しかし、屋敷に大勢のレディを招き、夜会では数多くのレディと踊るアントニウスの相手を羨ましいと思ったことはなかった。それなのに、目の前でただアントニウスの目覚めを祈り、待ち続けるアレクサンドラを見ていると、誰にも憚ることなく、アントニウスに語り掛け、その手に触れることのできるアレクサンドラを羨ましいと思う自分がいた。
 たかがメイドの一人であるソフィアの存在に、アントニウスが注意を払っていたとは思えない。それでも、屋敷の中では何度もアントニウスに道を譲り、頭を下げ、出迎えのお辞儀をするソフィアの顔くらいアントニウスは知っていたかもしれない。それでも、ソフィアはメイドに過ぎず、アントニウスと言葉を交わすことすらなかった。

「アントニウス様、焦らなくても大丈夫です。私は、ずっと、こうしてお隣におります」

 再びアレクサンドラの静かな言葉がソフィアの耳に入った。
 アレクサンドラの言葉は、いつもアントニウスが目覚めることを確信しているように聞こえた。その言葉を毎日聞いていると、ソフィアもアントニウスが目覚める日が必ず来ると、信じられるようになっていた。

「アントニウス様、今日も続きを読みますね」

 アレクサンドラは静かな声で言うと、数日前から読み始めた本の続きを読み始めた。

☆☆☆

< 217 / 252 >

この作品をシェア

pagetop