初恋の君に真紅の薔薇の花束を・・・
 窓の外を見つめながら、ジャスティーヌは文机の上に置かれているロベルトからの手紙にも目を通さず、父から命じられた叙爵の式典への支度もしていなかった。
 ライラが居たら、きっとジャスティーヌの心をわかってくれただろうが、ライラはアレクサンドラと共にイルデランザに行き、アザレアは屋敷から追い出され、今は母のアリシア付きのメイドであるダフネがジャスティーヌの世話をしてくれていた。
 叙爵の式典には、アレクサンドラもと父のルドルフはそうリカルド三世に願い出ていたが、社交界と国を支える貴族社会の秩序と安定のため、リカルド三世は叙爵の式典を速やかに執り行う事を望んでいた。そして、王太子であるロベルトも、それを望んでいた。しかし、アレクサンドラの心は深く傷ついたままで、それは愛するロベルトにも癒すことのできない傷となっていた。
「アレク、どうしているかしら。イルデランザは、言葉も通じないし、困っていないかしら?」
 ジャスティーヌは呟きながら、自分がどれほど孤独かを思い知らされた。
 今となっては、心を許せるメイド一人いないのだ。
「アレクに逢いたい・・・・・・」
 ジャスティーヌは細い腕で自分の体をぎゅっと抱きしめた。
 叙爵の式典も間近だというのに、ここでジャスティーヌまでイルデランザに行くなどと言い出したら大変な事になるのはジャスティーヌにもよくわかっていた。
 両親にとって、いつも聞き分けのいいジャスティーヌだから、アレクサンドラのように自由にイルデランザに行くことも、ジャスティーヌにはできない事だった。
 修道院に入ることが許されないと告げられた後、王宮内でも厳しい詮議が行われ、悪意のある噂を流した者たちに、王室侮辱罪、王太子侮辱罪が課せられ、多くのものが牢につながれ、裁きを待っている状態であるという話はダフネを通して聞いてはいるが、それでもジャスティーヌは自分自身が汚れてしまったような気がして、罪には問われていない者たちの間でも、こうした厳罰による断罪が行われることで、二次的な噂が立つのではないかと、不安でたまらなかった。
 ある意味、このタイミングでアレクサンドラが国内にいないことはよかったのかもしれないとジャスティーヌは思っていた。もし、ジャスティーヌがこれほどまでに思い悩んでいると知ったなら、アレクサンドラはもしかしたら、再びアレクシスとして、ジャスティーヌの名誉を守るために、自分の幸せを投げ捨ててしまったかもしれないと、ジャスティーヌは思ったりもした。
「ジャスティーヌお嬢様、ロベルト殿下からお手紙とお花が・・・・・・」
 ダフネが大きな花束と手紙を持って部屋へと入ってきたが、ジャスティーヌは振り向きもしなかった。
 あの噂が耳に入る前は、ロベルトから送られてくるのは香りのよいピンク色のバラが多かった。しかし、あの噂以来、送られてくるのは全て純白のバラだけになり、部屋中に花瓶に入れられて飾られるせいか、ジャスティーヌは自分の葬儀の支度のように感じられた。
 ジャスティーヌとて、決して真っ白いバラが嫌いなわけではない。ただ、ジャスティーヌの純潔を疑う噂が流れた後からロベルトがずっと純白のバラを送ってくる事が、まるで噂をかき消そうとしているような気がして、ジャスティーヌは事実無根であることを知っているロベルトだからこそ、今まで通りのカラフルなバラを送ってほしかったと、そう思っていた。
 ジャスティーヌの相手はロベルト以外にいるはずもなく、相手であるロベルトとの間に、そういった肉体的な関係がない以上、ロベルトは噂など気にせず、好きな色のバラを贈れるはずなのに、ロベルトまでが過剰に噂に左右されているように感じ、ジャスティーヌはせっかくの美しいバラも嬉しくはなかった。

「お嬢様、殿下からのお手紙、封も開けていらっしゃらないのですか?」
 ダフネの言葉に、ジャスティーヌはため息をついた。
「これだけあれば、私の葬儀にも困らないわね」
 思わずジャスティーヌが口にすると、ダフネが目を剥いた。
「お嬢様、何をおっしゃっていらっしゃるのですか? お嬢様は、そう遠くない日に、公爵令嬢として、殿下に嫁がれるのですよ。何をそのような、不吉な事を・・・・・・」
「ダフネ。こんなに真っ白なバラばかりでは、お葬式のようよ」
「お嬢様、お葬式だなんて。荘厳な教会のようとおっしゃってくださいませ。それか、結婚式のようと・・・・・・」
 ジャスティーヌは、それとわかる様に大きなため息をついた。
「ダフネ、私はお母様ではないの。教会を想像するくらいなら、このまま修道院に入るお許しを戴きたいわ」
 ジャスティーヌの言葉に、ダフネは言い返さず、花束をジャスティーヌの傍に置き、手紙を無理やり手渡した。
「お嬢様、殿下からのお手紙を開封しないままなんて、失礼でございます。ちゃんと、お返事をお書きください」
 ダフネは母のように言うと、ジャスティーヌが動くのを隣に立って待ち続けたので、ジャスティーヌは仕方なく封を開けた。

『愛しいジャスティーヌ。あの心無い噂のせいで、ジャスティーヌが深く傷ついているとわかっているのに、側にいてあげることのできない自分がとても不甲斐なく思う。しかも、王宮から送ったメイドが噂をまことしやかに流していたと知り、そのような人間をジャスティーヌのもとに送った自分が許せない。だが、この度の陰謀ともいえるやり口は、例え穏便な父が許したとしても、私は父上に極刑をも求めるつもりだったが、父もジャスティーヌの事は既に自分の娘も同じだと、すべてを王室侮辱罪、そして、私と君に対する対応として、王太子である私への侮辱罪として、極刑をもってしても断罪する意思があると、そう私に話してくれました。この事を何度も繰り返し書いているのは、一度もジャスティーヌから返事を貰えないから、ジャスティーヌが私からの手紙を読んでくれていないと思ってのこと、もしくどいと思うのなら、一度でいいから返事が欲しい。ほんの一行、一言でも構わない。私の愛のすべてをジャスティーヌ、あなたに捧げる。もし、君が修道院に入るというのなら、私も王太子の地位を捨て、一人の修道僧となろう。これは、決して脅しなんかではない。ジャスティーヌ、君を失ったとしたら、誰も妻に娶りたくないという私の意思の表れに過ぎない。王太子である限り、妻を娶るのは責務。それから逃げるためには、王太子であることを辞さねばならないから。王位継承権を持った者がその地位を辞するときは、二度と王位継承権の復権の叶わない、聖職者となることが定められているから、今はそれしか考えられない。私が純白のバラを贈るのは、噂を気にしての事ではないとわかってもらいたい。私の心も、ジャスティーヌが望むのであれば、聖職者となり、王族を離れる決心ができていることを示したいからだ。もし、返事をくれたら、今度は、せっかく咲いたプリンセス・ジャスティーヌの花束を贈りたい。心よりの愛を込めて。』

 ロベルトからの手紙を読んだジャスティーヌは、ロベルトの決心の重さを知り、涙を流した。ジャスティーヌが気にしていた噂のせいでロベルトは純白の花束を贈ってきているのではなく、ジャスティーヌへの愛を貫くため、ジャスティーヌが出家するのであれば、自らも出家し王位継承権を放棄することを心に決めているという意思表示だとわかり、ジャスティーヌは嬉しさに涙した。
 ジャスティーヌは涙をぬぐいながら文机に移動すると、アーチボルト伯爵家の紋章の入ったレターパッドを取り出し、ロベルトへの返事を書き始めた。
 それは短くはなかったが、シンプルなものだった。

『親愛なるロベルト殿下、お手紙に返事を書かず、申し訳ありませんでした。でも、殿下のお心を知り、私の心は少し軽くなりました。ですが、私は臣下であるアーチボルト伯爵家の令嬢として、殿下に王位継承権を放棄することを思い留まっていただかなくてはなりません。私は、この度の陛下のご決断と、殿下の深い思いやりに感銘し、今後は出家したいなどと殿下を困らせるようなことは致しません。ですから、どうか殿下も、そのような事をお考えにならないでください。そして私は、殿下と私が清い体のまま大聖堂で式を挙げられる日が来ることを夢見続けたいと思います。しばらく、私は夜会への出席も控え、父が公爵に叙爵されるのを待ち、今後、どのように王宮での見習いを再開するかなど、殿下とご相談させて戴ければと思っております。また、殿下、イルデランザにおりますアレクサンドラの事で、何かお耳に入りましたら、アントニウス様のご容態など、お教えくださいませ。よろしくお願いいたします。』

 ジャスティーヌが返事を書くと、ダフネは安心したように封筒を受け取り、部屋から出ていった。
 あの幼き日、相手が王太子だとも知らずに婚約を交わしたジャスティーヌだったが、その愛が、今も本物の愛であり、互いに相手を慈しみ、尊重しあえる仲である事をジャスティーヌは光栄に思っていた。それでも、アレクサンドラを身近に感じることができない今、ジャスティーヌの孤独と寂しさを埋めてくれるにはロベルトは遠い人だった。
 アレクサンドラとはすべての秘密を共有することができた。ロベルトへの秘めた想いも、アレクシスの秘密も、付きまとう厄介な求婚者たちを手当たり次第に排除してくれたり、時にはロベルトまで排除しようとして衝突したこともあったが、それでも、アレクサンドラと離れ離れになることなど、今まで一度もなかったし、ロベルトとの婚約が現実になることはないだろうと思っていたジャスティーヌは、ずっとアレクサンドラと二人で暮らしていくものだと、心の中では思っていた。だから、こうしてロベルトとの話が順調に進み、アレクサンドラにアントニウスという想い人ができた今も、ジャスティーヌ一人がアレクサンドラから離れることができなかったのかもしれない。そして今、一人残されたジャスティーヌは自分の未来すら決めかね、ロベルトへの愛と、アレクサンドラを失った悲しみの狭間に取り残されていた。

(・・・・・・・・アレク、あなたは強いわ。あなたは、ずっと私の事を強いと言ってくれたけれど、私は、アレク、あなたがいたから強くなれたのよ・・・・・・・・)

 ジャスティーヌは純白のバラを一枝取り、胸元に寄せた。綺麗に棘の処理がされたバラの枝は、ジャスティーヌの手を傷つけることはなかった。

(・・・・・・・・いっそ、私もオフィーリアのように殿下に尼寺に行けと言ってもらえたら、あの屈辱的な噂と、アザレアのいやらしい笑みを忘れることができるのに。でも、殿下からの手紙は、やはり、ある意味で脅し。私が修道院に入るという意思を無理やり貫けば、エイゼンシュタインは王太子を失うという危機に陥ってしまう。隣国イルデランザがポレモスと開戦している今、エイゼンシュタインが揺らげば、イルデランザへの支援が疎かになるリスクも生みかねない。これ以上ポレモスが勢力を拡大すれば、いずれはエイゼンシュタインにも何らかの形で被害が及ぶようになるかもしれない。だから、私にできることは、大人しくお父様の言うとおりに叙爵式に出席し、殿下の婚約者として恥ずかしくないふるまいをすること。私にできることは、ただそれだけ・・・・・・・・)

 ジャスティーヌは考えながら、バラを胸に抱いてベッドに横になった。

(・・・・・・・・これがお話の中ならば、私は傷ついた心を抱え、天からの迎えを祈って死の床に就くヒロイン。でも、現実は違う。このバラは殿下の偽ることのない愛の証し。私は殿下の愛を心のよりどころとして生きていくしかできない、私は本当は弱い娘だったんだわ。アレクシスからアレクサンドラに戻り、自分の心に素直になって、アントニウス様の所に向かったようには強くは成れない・・・・・・・・)

 ジャスティーヌはぎゅっとバラを握り締め、流れそうになる涙を堪えた。

☆☆☆

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