初恋の君に真紅の薔薇の花束を・・・
アレクサンドラは必死に涙をこらえて自室まで走っていくと、部屋に入るなり扉に背中をつけてしゃがみこんだ。
「アレクサンドラお嬢様!」
部屋で待機していたライラは、驚いてアレクサンドラの元に歩み寄った。
「お願いよ、ライラ。何も聞かないで荷物をまとめて。そして、マリー・ルイーズ様に、いえ、クレメンティさんに、エイゼンシュタインに帰国するために馬車を貸して戴きたいとお願いしてきてちょうだい」
ライラはアレクサンドラの言葉が信じられず、自分の耳を疑った。
「お願い、ライラ。何も聞かないで言うとおりにしてちょうだい」
アレクサンドラは言うと、両手で顔を覆って泣き続けた。
「かしこまりました」
ライラは言うと、アレクサンドラの荷物を手早く詰めていった。
それでも、ライラには突然の帰国が理解できなかった。アレクサンドラが白い結婚、万が一の時は、そのまま未亡人として所領の修道院にはいるという覚悟を決めてマリー・ルイーズに同行し、イルデランザに来たことはライラも良く知っていた。
目覚める気配のないアントニウスの手を握り、話しかけ、本を読み、封じてあるアレクシスの声を聴かせたいと、アレクサンドラができる限りのすべてを捧げてアントニウスを目覚めさせたはずなのに。アントニウスはアレクサンドラに再会したことを喜び、あれほどベッドから出られるようになるまではアレクサンドラとの時間を大切にしていたのに。本当なら、アントニウスが動けるようになり、二人は幸せに暮らせるようになるはずではなかったのか。
答えの出ない疑問を抱えたまま、ライラは荷物のほとんどを詰め終わった。
その間、アレクサンドラはずっと扉の前で声を潜めて泣き続けていた。
「お嬢様、お着替えを・・・・・・」
旅には相応しい服装というものがある。いまアレクサンドラが来ているような、薄い屋内用の普段着と言うわけにはいかない。きちんと、外出用のドレスに着替える必要がある。
ライラが声をかけると、アレクサンドラはゆっくりと立ち上がり、ライラにされるがまま着替えを済ませた。
「それでは、クレメンティさんに馬車の用意をお願いしてまいります」
ライラは言うと、アレクサンドラを椅子に座らせて部屋を後にした。
アレクサンドラとアントニウスは笑顔で庭に散歩に出たはずだった。それなのに、なぜこんな事になるのかと、ライラは無い知恵を絞りながら家令のクレメンティに馬車の支度を頼んだ。
クレメンティは既に誰かから聞いていたようで、もう少し準備に時間がかかるが、夕食の前までには準備が整うはずだと教えてくれた。
既にアレクサンドラは旅支度を整えており、ディナーに参加できるドレスはしまってしまったので、ディナーの前に出立できることにライラは胸をなでおろした。
部屋に戻ると、アレクサンドラは壊れた人形のように表情をなくし、屋敷を出る時、ジャスティーヌに渡されたイルデランザ語の辞書を胸に抱いて椅子に座っていた。
「お嬢様、クレメンティさんには既に話が通っていましたから、少し時間はかかるそうですが、お夕食の前には出立できるそうです」
ライラが報告しても、アレクサンドラは『そう』としか答えなかった。
さっきまでアレクサンドラか来ていたドレスもしまい、完全に荷造りが終わると、ライラは自分に割り当てられた使用人用の部屋に戻り急いで自分の着替えと荷物をまとめた。そして、扉脇の椅子に腰かけて馬車の支度が整うのを待った。
しばらくしてから、ノックがあり、マリー・ルイーズが姿を現した。
マリー・ルイーズはアレクサンドラが帰国することを知らなかったようで、驚きを隠せない様子でアレクサンドラの元に歩み寄った。
「アレクサンドラさん、どうなさったの? テーブルの支度が二人分だと聞いて驚いてクレメンティに聞いたら、アレクサンドラさんは帰国すると言われたのよ。それに、その仕度。もう、準備は万端のようね・・・・・・」
マリー・ルイーズは明らかに戸惑っていた。
「申し訳ございません。既に、マリー・ルイーズ様もご存知かと思っておりましたので、ご挨拶もせずにおりました」
アレクサンドラが感情のない声で答えた。
「どうしてこんな急に帰国をお決めになったの?」
マリー・ルイーズの問いに、アレクサンドラは苦しそうな表情を浮かべた。
「先程、アントニウス様から、帰国するようにと、お言葉を戴きました・・・・・・」
「なんですって?」
マリー・ルイーズは声を荒げた。
「アレクサンドラさんは、アントニウスとの白い結婚も覚悟の上でいらしたというのに、アントニウスが帰国を命じたというのですか?」
「どうか、お怒りをお沈めください。アントニウス様には、もっと相応しい方がいらっしゃるのです。だから、最後にお目にかかった時、アントニウス様は私に待っていろとはおっしゃらなかったのです。それなのに、私が勝手に誤解して・・・・・・。私の軽率な行動のせいでザッカローネ公爵家にも大変なご迷惑をおかけするところでした。ですから、私は帰国いたします。私のせいで、アントニス様のご結婚のお話に水が入ってはいけませんから」
アレクサンドラの言うアントニウスの結婚の話など思いもつかないマリー・ルイーズは、何とかアレクサンドラを思い留まらせ、アントニウスに問い質しに行こうとしているところにクレメンティが馬車の準備ができたことを知らせに来た。
クレメンティに連れられて来た下僕たちが次々に部屋に入ってはアレクサンドラの荷物を運び出していった。
その間、マリー・ルイーズは茫然とし、言葉を失ってアレクサンドラの隣に立ち尽くした。
荷物が運び終わり、アレクサンドラは丁寧にマリー・ルイーズにお礼を言い、公爵へのお礼の言葉を託した。
アレクサンドラが廊下に出ると、ちょうどアントニウスが隣の部屋から車いすに乗って廊下へと出てきた。
話したいことは沢山あった。伝えたい言葉もたくさんあった。それでも、アレクサンドラは必死に何でもないように繕い、アントニウスに別れの言葉を継げた。
「お早い回復をお祈りしております」
「ありがとう、アレクサンドラ。看病してくださったことは、一生忘れません」
「どうか、お幸せに・・・・・・」
アレクサンドラは言うと、逃げるようにして階段を駆け下りた。
アレクサンドラとライラを乗せた馬車は、一路、エイゼンシュタインを目指して走り出した。
「私ったら、読みかけの本をアントニウス様の部屋に忘れてきてしまったわ」
それは、目覚めぬアントニウスのためにアレクサンドラが読み聞かせていた本で、目覚めたアントニウスはせっかくだからと、アレクサンドラに最初から本を読み聞かせてくれるようにと頼み、アレクサンドラはもう一度、今度は目覚めているアントニウスに読み聞かせていた。
「本ならば、また買えばよろしいですよ」
ライラは言うと、今にも泣きそうなアレクサンドラにシルクのハンカチを手渡した。
馬車は来た時のような速駆けではなく、ゆっくりと落ち着いた足取りでエイゼンシュタインを目指した。
「アレクサンドラお嬢様!」
部屋で待機していたライラは、驚いてアレクサンドラの元に歩み寄った。
「お願いよ、ライラ。何も聞かないで荷物をまとめて。そして、マリー・ルイーズ様に、いえ、クレメンティさんに、エイゼンシュタインに帰国するために馬車を貸して戴きたいとお願いしてきてちょうだい」
ライラはアレクサンドラの言葉が信じられず、自分の耳を疑った。
「お願い、ライラ。何も聞かないで言うとおりにしてちょうだい」
アレクサンドラは言うと、両手で顔を覆って泣き続けた。
「かしこまりました」
ライラは言うと、アレクサンドラの荷物を手早く詰めていった。
それでも、ライラには突然の帰国が理解できなかった。アレクサンドラが白い結婚、万が一の時は、そのまま未亡人として所領の修道院にはいるという覚悟を決めてマリー・ルイーズに同行し、イルデランザに来たことはライラも良く知っていた。
目覚める気配のないアントニウスの手を握り、話しかけ、本を読み、封じてあるアレクシスの声を聴かせたいと、アレクサンドラができる限りのすべてを捧げてアントニウスを目覚めさせたはずなのに。アントニウスはアレクサンドラに再会したことを喜び、あれほどベッドから出られるようになるまではアレクサンドラとの時間を大切にしていたのに。本当なら、アントニウスが動けるようになり、二人は幸せに暮らせるようになるはずではなかったのか。
答えの出ない疑問を抱えたまま、ライラは荷物のほとんどを詰め終わった。
その間、アレクサンドラはずっと扉の前で声を潜めて泣き続けていた。
「お嬢様、お着替えを・・・・・・」
旅には相応しい服装というものがある。いまアレクサンドラが来ているような、薄い屋内用の普段着と言うわけにはいかない。きちんと、外出用のドレスに着替える必要がある。
ライラが声をかけると、アレクサンドラはゆっくりと立ち上がり、ライラにされるがまま着替えを済ませた。
「それでは、クレメンティさんに馬車の用意をお願いしてまいります」
ライラは言うと、アレクサンドラを椅子に座らせて部屋を後にした。
アレクサンドラとアントニウスは笑顔で庭に散歩に出たはずだった。それなのに、なぜこんな事になるのかと、ライラは無い知恵を絞りながら家令のクレメンティに馬車の支度を頼んだ。
クレメンティは既に誰かから聞いていたようで、もう少し準備に時間がかかるが、夕食の前までには準備が整うはずだと教えてくれた。
既にアレクサンドラは旅支度を整えており、ディナーに参加できるドレスはしまってしまったので、ディナーの前に出立できることにライラは胸をなでおろした。
部屋に戻ると、アレクサンドラは壊れた人形のように表情をなくし、屋敷を出る時、ジャスティーヌに渡されたイルデランザ語の辞書を胸に抱いて椅子に座っていた。
「お嬢様、クレメンティさんには既に話が通っていましたから、少し時間はかかるそうですが、お夕食の前には出立できるそうです」
ライラが報告しても、アレクサンドラは『そう』としか答えなかった。
さっきまでアレクサンドラか来ていたドレスもしまい、完全に荷造りが終わると、ライラは自分に割り当てられた使用人用の部屋に戻り急いで自分の着替えと荷物をまとめた。そして、扉脇の椅子に腰かけて馬車の支度が整うのを待った。
しばらくしてから、ノックがあり、マリー・ルイーズが姿を現した。
マリー・ルイーズはアレクサンドラが帰国することを知らなかったようで、驚きを隠せない様子でアレクサンドラの元に歩み寄った。
「アレクサンドラさん、どうなさったの? テーブルの支度が二人分だと聞いて驚いてクレメンティに聞いたら、アレクサンドラさんは帰国すると言われたのよ。それに、その仕度。もう、準備は万端のようね・・・・・・」
マリー・ルイーズは明らかに戸惑っていた。
「申し訳ございません。既に、マリー・ルイーズ様もご存知かと思っておりましたので、ご挨拶もせずにおりました」
アレクサンドラが感情のない声で答えた。
「どうしてこんな急に帰国をお決めになったの?」
マリー・ルイーズの問いに、アレクサンドラは苦しそうな表情を浮かべた。
「先程、アントニウス様から、帰国するようにと、お言葉を戴きました・・・・・・」
「なんですって?」
マリー・ルイーズは声を荒げた。
「アレクサンドラさんは、アントニウスとの白い結婚も覚悟の上でいらしたというのに、アントニウスが帰国を命じたというのですか?」
「どうか、お怒りをお沈めください。アントニウス様には、もっと相応しい方がいらっしゃるのです。だから、最後にお目にかかった時、アントニウス様は私に待っていろとはおっしゃらなかったのです。それなのに、私が勝手に誤解して・・・・・・。私の軽率な行動のせいでザッカローネ公爵家にも大変なご迷惑をおかけするところでした。ですから、私は帰国いたします。私のせいで、アントニス様のご結婚のお話に水が入ってはいけませんから」
アレクサンドラの言うアントニウスの結婚の話など思いもつかないマリー・ルイーズは、何とかアレクサンドラを思い留まらせ、アントニウスに問い質しに行こうとしているところにクレメンティが馬車の準備ができたことを知らせに来た。
クレメンティに連れられて来た下僕たちが次々に部屋に入ってはアレクサンドラの荷物を運び出していった。
その間、マリー・ルイーズは茫然とし、言葉を失ってアレクサンドラの隣に立ち尽くした。
荷物が運び終わり、アレクサンドラは丁寧にマリー・ルイーズにお礼を言い、公爵へのお礼の言葉を託した。
アレクサンドラが廊下に出ると、ちょうどアントニウスが隣の部屋から車いすに乗って廊下へと出てきた。
話したいことは沢山あった。伝えたい言葉もたくさんあった。それでも、アレクサンドラは必死に何でもないように繕い、アントニウスに別れの言葉を継げた。
「お早い回復をお祈りしております」
「ありがとう、アレクサンドラ。看病してくださったことは、一生忘れません」
「どうか、お幸せに・・・・・・」
アレクサンドラは言うと、逃げるようにして階段を駆け下りた。
アレクサンドラとライラを乗せた馬車は、一路、エイゼンシュタインを目指して走り出した。
「私ったら、読みかけの本をアントニウス様の部屋に忘れてきてしまったわ」
それは、目覚めぬアントニウスのためにアレクサンドラが読み聞かせていた本で、目覚めたアントニウスはせっかくだからと、アレクサンドラに最初から本を読み聞かせてくれるようにと頼み、アレクサンドラはもう一度、今度は目覚めているアントニウスに読み聞かせていた。
「本ならば、また買えばよろしいですよ」
ライラは言うと、今にも泣きそうなアレクサンドラにシルクのハンカチを手渡した。
馬車は来た時のような速駆けではなく、ゆっくりと落ち着いた足取りでエイゼンシュタインを目指した。