初恋の君に真紅の薔薇の花束を・・・
早馬で届けられた手紙をビクトリアが読み終わったところにアレクサンドラが姿を現した。
王宮に近いこととビクトリアが一人暮らしであることから、アレクサンドラは行儀見習いと言う名目でほぼ毎日のようにビクトリアの屋敷にやってきていたし、夜会のある日はビクトリアの屋敷に泊まることも多かった。
ビクトリアの屋敷、旧ホーエンバウム公爵邸にはアレクサンドラとジャスティーヌの部屋は用意されていたが、ジャスティーヌが使ったことは一度もなかった。それにアリシアのために屋敷の部屋を譲ろうとするビクトリアに、ルドルフとアリシアはゲストルームを使う事とし、ビクトリアは今まで通り屋敷の一番良い部屋に留まることになった。
アントニウスからの手紙はビクトリアが思っていた通りの内容だった。
小さいころから腕白で、マリー・ルイーズと共にしょっちゅうエイゼンシュタインに滞在しては、ロベルトと共に悪戯の限りを尽くしていたアントニウスだが、イルデランザの厳しいしきたりとザッカローネ公爵家の家訓に縛られ、自由奔放に育ったロベルトとは違い、アントニウスが気ままに振舞えるのはエイゼンシュタインにいるからだという事にビクトリアはずいぶん前から気付いていた。もし、ビクトリアがその事を知らなかったら、アレクサンドラの話を聞いた後で、アントニウスに手紙を書いて気持ちを確認しようなどと考える事はなかっただろうが、気付いていたビクトリアは念のために手紙を書いたのだが、アントニウスからの返事にはアレクサンドラへの愛は変わらない事と、アレクサンドラを帰国させたのは父からの命令だったこと、ただ足が不自由なアントニウスとしては、アレクサンドラに一生不自由な暮らしをさせ、自分の看病に縛り付けたくないという想いがある事が書かれていた。
「おばあ様、今日はとても良いお天気ですわ」
サロンに入ってきたアレクサンドラに見られないように、ビクトリアは素早く手紙を隠した。
「そうね、せっかくだから、お茶の前に庭を散歩しましょうか。何しろ、ロベルトはたまに顔を見せてくれてもジャスティーヌの話ばかりで、私の話なんて耳も貸さないんですもの。あなたのような孫娘ができて、本当に嬉しいわ。でも、ジャスティーヌをロベルトに取られるのが悔しくなってしまうわ」
ビクトリアが言うと、アレクサンドラの顔が曇った。
「どうしたのアレクサンドラ?」
ビクトリアは心配げに声をかけた。
「いえ、ただ、毎日のようにこうして訪ねてくるのが私ではなくてジャスティーヌだったら、きっと、おばあ様ももっとお幸せだったのだろうと・・・・・・」
「なぜ、そんなことを考えたの?」
「私は、何もできないんです。ジャスティーヌは何でもできるのに。言葉も堪能で、難しいこともよくわかります。レース編みも上手だし、刺繍だって・・・・・・。だから、本当に好きな人と幸せになる幸運をつかめたんだと思います。でも、私は何もできないから・・・・・・」
気弱なアレクサンドラの言葉に、ビクトリアは驚いたが、アレクサンドラは俯いていたので気付かなかった。
アレクサンドラにしてみれば、剣技も軽やかにレディをリードするダンスステップも、レディとしては何の役にも立たないし、レディになるために始めたレース編みも刺繍も、何もかも、どれ一つとってもレディとして及第点を貰えるものはなかった。
「アレクサンドラ、馬鹿な事を言わないの。いくら見た目が同じだからって、何もかも同じようにできる必要はないし、あなたには、こうして年寄りを楽しませて生きていることに喜びを感じさせることができるのよ。ジャスティーヌとは過ごす時間があまりないけれど、あの子はあなたに頼りっきりだわ。ロベルトに嫁いで、あなたなしでどう暮らしていくのか、私はそのことの方が心配よ」
ビクトリアの言葉に、アレクサンドラは驚きを隠せなかった。
「でも、ジャスティーヌは何でもできて、私から見ても、素晴らしいレディです」
アレクサンドラは自分がアレクシスだった頃を思い出しながら言った。
「それはそうよ。あの子の中には、いつもあなたがいるわ。ロベルトではなくね。だから、あの子は強くいられるのよ、あなたのように」
「私が強い?」
アレクサンドラは首を傾げてビクトリアを見つめた。
「ええ、あなたはとても強いレディだわ。それは私が保証します。だから、そんな馬鹿な事を考えないで、年老いた祖母の相手をこれからもしてちょうだい」
ビクトリアは優しく言うと、アレクサンドラに笑って見せた。
「おばあ様がお嫌でなければ、私はおばあ様に色々な事を教えて戴けるので、とても嬉しいです」
「私も、可愛い孫と過ごすことができて、とても幸せよ。本当の親子ではないのに、ルドルフは自分の親のように私を大切にしてくれていますし、アリシアもとても良くしてくれます・・・・・・。庭に行きましょうか」
ビクトリアはアレクサンドラに言うと、先に立って庭へと進んだ。
「ギーゼラ、あなたは屋敷に残っていなさい。それから、ライラ、あなたも」
ビクトリアの指示に従い、侍女二人は屋敷に残り庭へと出ていく主を見送った。
庭を進みながら、ビクトリアはロベルトが植えていった新種のバラが花咲いているのに目を止めた。
「ロベルトは、一度口を開いたらジャスティーヌの事を話さないではいられないのよ。このバラも、ジャスティーヌのために創らせたバラなの。・・・・・・ジャスティーヌもそうなのかしら?」
「以前はそうでした。夜会で殿下を見かけたとか、お近くに近づけたとか。目が合ったとか。でも、今はあまり殿下の事は私には話しません」
「それは、あなたの婚約が成立しなかったからかしら」
ビクトリアの心配げな声は、それでもアレクサンドラの胸を深く抉った。
「きっと、そうだとおもいます。以前はとても幸せそうだったのに。私といると、自分が幸せな事に罪悪感を抱いているようで・・・・・・」
「そう。あなた自身はどうなの?」
ビクトリアは立ち止まるとアレクサンドラの方を振り向いた。
「私は、勝手に押しかけて、でも、婚約前にお断りを受けしまいました」
今にも泣きだしそうなアレクサンドラの手をビクトリアが握った。
「あなたの気持ちはどうなの? まだ、アントニウスの事を想う気持ちはあって?」
ビクトリアの言葉にアレクサンドラはその場から逃げ出したいと思った。両親にも、ジャスティーヌにさえ、もう心の整理はついていると嘘をついているが、そんな口先ばかりの嘘がビクトリアに通じるとは思えなかったし、両親もジャスティーヌもアレクサンドラの言葉など信じていない事はアレクサンドラにもわかっていた。
「その質問には、お答えできません」
アレクサンドラが言うと、ビクトリアがため息をついた。
「なぜ、ギーゼラもライラも屋敷に残してきたかわかりますか? そんな泣きそうな顔をしなくてもいいのよ。私はあなたが今もあの馬鹿者のアントニウスの事を想ってくれていると思っています。それが、私の考え違いなのか、事実なのか、それだけが知りたかったのです」
ビクトリアは優しくアレクサンドラに語り掛けた。
「ですが、アントニウス様は・・・・・・」
「アレクサンドラ、私が知りたいのはあなたの本当の気持ちです。他の誰かに嫁ぐつもりはないのでしょう?」
アレクサンドラはしばらく躊躇してから、問いに答えた。
「私は、アントニウス様以外の誰にも嫁ぐつもりはありません。もしも、公爵家の令嬢として、嫁がなくてはならないとお父様がおっしゃるのなら、私は修道院にはいると心に決めております」
「それで、アントニウスの事は?」
レディとして、殿方を慕っているなどと口に出すことは憚られ、アレクサンドラは言葉を濁したがビクトリアは更に問い詰めた。
「心より、お慕い申し上げております」
アレクサンドラは、仕方なく本心を打ち明けた。
「そう。よかったわ。私の目が節穴ではなくて」
ビクトリアは安心したように言った。
「ですが、アントニウス様は・・・・・・」
続けようとしたアレクサンドラの言葉をビクトリアが遮った。
「私は、その場にいなかったので、それがアントニウスの本心なのか、それとも、アラミスに言わされたものなのかはわかりません。でも、人を愛しく思う事は、尊いことです。それを恥ずかしく思う必要はありません」
ビクトリアは言うと、アレクサンドラの手をとり再び歩き出した。
「アラミスは、あれで結構な頑固者です。頑固を通して、マリー・ルイーズをついには妻に迎えたくらいですから。この事は、しばらく私に預けなさい。悪いようにはしません。でも、これは二人だけの秘密です。良いわね」
「はい、おばあ様」
アレクサンドラは優しいビクトリアに言うと、足元に注意しながらビクトリアと共に庭を進んだ。
☆☆☆
王宮に近いこととビクトリアが一人暮らしであることから、アレクサンドラは行儀見習いと言う名目でほぼ毎日のようにビクトリアの屋敷にやってきていたし、夜会のある日はビクトリアの屋敷に泊まることも多かった。
ビクトリアの屋敷、旧ホーエンバウム公爵邸にはアレクサンドラとジャスティーヌの部屋は用意されていたが、ジャスティーヌが使ったことは一度もなかった。それにアリシアのために屋敷の部屋を譲ろうとするビクトリアに、ルドルフとアリシアはゲストルームを使う事とし、ビクトリアは今まで通り屋敷の一番良い部屋に留まることになった。
アントニウスからの手紙はビクトリアが思っていた通りの内容だった。
小さいころから腕白で、マリー・ルイーズと共にしょっちゅうエイゼンシュタインに滞在しては、ロベルトと共に悪戯の限りを尽くしていたアントニウスだが、イルデランザの厳しいしきたりとザッカローネ公爵家の家訓に縛られ、自由奔放に育ったロベルトとは違い、アントニウスが気ままに振舞えるのはエイゼンシュタインにいるからだという事にビクトリアはずいぶん前から気付いていた。もし、ビクトリアがその事を知らなかったら、アレクサンドラの話を聞いた後で、アントニウスに手紙を書いて気持ちを確認しようなどと考える事はなかっただろうが、気付いていたビクトリアは念のために手紙を書いたのだが、アントニウスからの返事にはアレクサンドラへの愛は変わらない事と、アレクサンドラを帰国させたのは父からの命令だったこと、ただ足が不自由なアントニウスとしては、アレクサンドラに一生不自由な暮らしをさせ、自分の看病に縛り付けたくないという想いがある事が書かれていた。
「おばあ様、今日はとても良いお天気ですわ」
サロンに入ってきたアレクサンドラに見られないように、ビクトリアは素早く手紙を隠した。
「そうね、せっかくだから、お茶の前に庭を散歩しましょうか。何しろ、ロベルトはたまに顔を見せてくれてもジャスティーヌの話ばかりで、私の話なんて耳も貸さないんですもの。あなたのような孫娘ができて、本当に嬉しいわ。でも、ジャスティーヌをロベルトに取られるのが悔しくなってしまうわ」
ビクトリアが言うと、アレクサンドラの顔が曇った。
「どうしたのアレクサンドラ?」
ビクトリアは心配げに声をかけた。
「いえ、ただ、毎日のようにこうして訪ねてくるのが私ではなくてジャスティーヌだったら、きっと、おばあ様ももっとお幸せだったのだろうと・・・・・・」
「なぜ、そんなことを考えたの?」
「私は、何もできないんです。ジャスティーヌは何でもできるのに。言葉も堪能で、難しいこともよくわかります。レース編みも上手だし、刺繍だって・・・・・・。だから、本当に好きな人と幸せになる幸運をつかめたんだと思います。でも、私は何もできないから・・・・・・」
気弱なアレクサンドラの言葉に、ビクトリアは驚いたが、アレクサンドラは俯いていたので気付かなかった。
アレクサンドラにしてみれば、剣技も軽やかにレディをリードするダンスステップも、レディとしては何の役にも立たないし、レディになるために始めたレース編みも刺繍も、何もかも、どれ一つとってもレディとして及第点を貰えるものはなかった。
「アレクサンドラ、馬鹿な事を言わないの。いくら見た目が同じだからって、何もかも同じようにできる必要はないし、あなたには、こうして年寄りを楽しませて生きていることに喜びを感じさせることができるのよ。ジャスティーヌとは過ごす時間があまりないけれど、あの子はあなたに頼りっきりだわ。ロベルトに嫁いで、あなたなしでどう暮らしていくのか、私はそのことの方が心配よ」
ビクトリアの言葉に、アレクサンドラは驚きを隠せなかった。
「でも、ジャスティーヌは何でもできて、私から見ても、素晴らしいレディです」
アレクサンドラは自分がアレクシスだった頃を思い出しながら言った。
「それはそうよ。あの子の中には、いつもあなたがいるわ。ロベルトではなくね。だから、あの子は強くいられるのよ、あなたのように」
「私が強い?」
アレクサンドラは首を傾げてビクトリアを見つめた。
「ええ、あなたはとても強いレディだわ。それは私が保証します。だから、そんな馬鹿な事を考えないで、年老いた祖母の相手をこれからもしてちょうだい」
ビクトリアは優しく言うと、アレクサンドラに笑って見せた。
「おばあ様がお嫌でなければ、私はおばあ様に色々な事を教えて戴けるので、とても嬉しいです」
「私も、可愛い孫と過ごすことができて、とても幸せよ。本当の親子ではないのに、ルドルフは自分の親のように私を大切にしてくれていますし、アリシアもとても良くしてくれます・・・・・・。庭に行きましょうか」
ビクトリアはアレクサンドラに言うと、先に立って庭へと進んだ。
「ギーゼラ、あなたは屋敷に残っていなさい。それから、ライラ、あなたも」
ビクトリアの指示に従い、侍女二人は屋敷に残り庭へと出ていく主を見送った。
庭を進みながら、ビクトリアはロベルトが植えていった新種のバラが花咲いているのに目を止めた。
「ロベルトは、一度口を開いたらジャスティーヌの事を話さないではいられないのよ。このバラも、ジャスティーヌのために創らせたバラなの。・・・・・・ジャスティーヌもそうなのかしら?」
「以前はそうでした。夜会で殿下を見かけたとか、お近くに近づけたとか。目が合ったとか。でも、今はあまり殿下の事は私には話しません」
「それは、あなたの婚約が成立しなかったからかしら」
ビクトリアの心配げな声は、それでもアレクサンドラの胸を深く抉った。
「きっと、そうだとおもいます。以前はとても幸せそうだったのに。私といると、自分が幸せな事に罪悪感を抱いているようで・・・・・・」
「そう。あなた自身はどうなの?」
ビクトリアは立ち止まるとアレクサンドラの方を振り向いた。
「私は、勝手に押しかけて、でも、婚約前にお断りを受けしまいました」
今にも泣きだしそうなアレクサンドラの手をビクトリアが握った。
「あなたの気持ちはどうなの? まだ、アントニウスの事を想う気持ちはあって?」
ビクトリアの言葉にアレクサンドラはその場から逃げ出したいと思った。両親にも、ジャスティーヌにさえ、もう心の整理はついていると嘘をついているが、そんな口先ばかりの嘘がビクトリアに通じるとは思えなかったし、両親もジャスティーヌもアレクサンドラの言葉など信じていない事はアレクサンドラにもわかっていた。
「その質問には、お答えできません」
アレクサンドラが言うと、ビクトリアがため息をついた。
「なぜ、ギーゼラもライラも屋敷に残してきたかわかりますか? そんな泣きそうな顔をしなくてもいいのよ。私はあなたが今もあの馬鹿者のアントニウスの事を想ってくれていると思っています。それが、私の考え違いなのか、事実なのか、それだけが知りたかったのです」
ビクトリアは優しくアレクサンドラに語り掛けた。
「ですが、アントニウス様は・・・・・・」
「アレクサンドラ、私が知りたいのはあなたの本当の気持ちです。他の誰かに嫁ぐつもりはないのでしょう?」
アレクサンドラはしばらく躊躇してから、問いに答えた。
「私は、アントニウス様以外の誰にも嫁ぐつもりはありません。もしも、公爵家の令嬢として、嫁がなくてはならないとお父様がおっしゃるのなら、私は修道院にはいると心に決めております」
「それで、アントニウスの事は?」
レディとして、殿方を慕っているなどと口に出すことは憚られ、アレクサンドラは言葉を濁したがビクトリアは更に問い詰めた。
「心より、お慕い申し上げております」
アレクサンドラは、仕方なく本心を打ち明けた。
「そう。よかったわ。私の目が節穴ではなくて」
ビクトリアは安心したように言った。
「ですが、アントニウス様は・・・・・・」
続けようとしたアレクサンドラの言葉をビクトリアが遮った。
「私は、その場にいなかったので、それがアントニウスの本心なのか、それとも、アラミスに言わされたものなのかはわかりません。でも、人を愛しく思う事は、尊いことです。それを恥ずかしく思う必要はありません」
ビクトリアは言うと、アレクサンドラの手をとり再び歩き出した。
「アラミスは、あれで結構な頑固者です。頑固を通して、マリー・ルイーズをついには妻に迎えたくらいですから。この事は、しばらく私に預けなさい。悪いようにはしません。でも、これは二人だけの秘密です。良いわね」
「はい、おばあ様」
アレクサンドラは優しいビクトリアに言うと、足元に注意しながらビクトリアと共に庭を進んだ。
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