初恋の君に真紅の薔薇の花束を・・・
謁見の間で大公を待つ間、アントニウスがポレモスとの戦の決め手となるいくつかの作戦の功労者であること、『殿下』と呼ばれるほどの高貴な身分でありながら、自分よりはるかに身分が低い上官の命を守り負傷したこと、そして、その負傷のせいで足が不自由である事を知っている大公の側近たちは、アントニウスに臣下の礼をとらず、直立の姿勢で大公を待つように勧めたが、アントニウスは敢えて臣下の礼をとり、未だに思い通りに動かぬことのある膝を折って大公を待った。
「アントニウス! 我が甥よ、何をそんなにかしこまっている。正式の謁見など堅苦しいことをせずとも、いつでも顔を出せば良いものを・・・・・・」
イルデランザ公国大公、ユリウス・アレクサンドロス七世は謁見の間に入ると、玉座には坐さず、アントニウスの元に歩み寄った。
「どうした、親子げんかに仲裁でも必要か?」
ユーモアたっぷりに話しかけるユリウスに、アントニウスは臣下の礼をとり、深々と頭を下げた。
「大公閣下、本日はお忙しいところお時間を謁見のお許しを戴き恐悦至極にございます」
アントニウスが謝辞を述べると、切れの良い、手を打つ音が響いた。
「皆、下がるがよい」
ユリウスの言葉に従い、一斉に控えていた者たちが姿を消した。
「立ちなさい、アントニウス」
ユリウスは言うと、アントニウスの手を取って立ち上がらせた。
「痛めた足をついていては、一人で立つのも大変だろう」
「殿下、本日は、大公位の継承権を返上に参りました」
アントニウスの言葉に、ユリウスが絶句した。
「わかっているだろうが、シザリオンには兄弟がいない。代が変われば、シザリオンに息子が生まれるまでの間、お前が皇嗣になるのだ。継承権の返上など、ありえない事くらいわかっているだろう」
戦の功労者でもあるアントニウスが継承権を放棄するなど、ポレモスを平定したばかりのイルデランザには考えられない事だった。
「では、ファーレンハイト伯爵の爵位も返上いたします」
アントニウスはまっすぐにユリウスの目を見つめていった。
「まて、待て。いったい何があった。私が納得する答えが聞けるまで、一切許すつもりはないぞ」
父のアラミスとは違い、アントニウスの話を聞いてくれるユリウスに、アントニウスはいつもながら感謝した。
「私は、父から話を受けました、ポレモスの有力者の令嬢との結婚は考えられません。私には心に決めた女性がおります」
アントニウスがきっぱりと言うと、ユリウスはため息をついた。
「話が長くなりそうだ。ついてきなさい」
ユリウスの執務室で向かい合い、アントニウスはロベルトの見合い相手で会ったアレクサンドラに一目惚れし、リカルド三世の許しを受け求婚したこと。また、負傷し意識が戻らない間、相手の女性は母のマリー・ルイーズと共にイルデランザに赴き、アントニウスの看病をしてくれたこと。それなのに、アントニウスの意識が戻るとすぐに父アラミスの命令で何事もなかったかのように振舞い、帰国させたこと。さらに、二人の間に何もなかった証しを立てるため、わざわざアラミスがリカルド三世に親書をおくったことを説明した。
「まったく、アラミスは・・・・・・」
ユリウスは呆れたように言った。
「問題は、私が求婚した時は伯爵令嬢だったのですが、姉君がロベルトの婚約者となり、父君の長年の功労を労い、両親を亡くしたアーチボルト伯爵がリカルド三世の叔母に当たるホーエンバウム公爵夫人の養子となり、現ホーエンバウム公爵に叙爵されたため、アレクサンドラも公爵令嬢となりました。父は、私がこのような姿で、子をなす事もできなかった時に両国が不和になるようなことになってはいけないと、先手を打ったのです」
アントニウスの説明に、ユリウスは再び大きなため息をついた。
「そのせいか」
「と、おっしゃられますと?」
「先日、リカルド三世にポレモス併合にかかわる重要項目の調停に立って欲しいと、可能であれば王太子もしくは、それ相応の身分の方にお願いしたいと親書を送ったのだが、快い返事ではなかった。言い訳を連ねたような返事で、ポレモスに隣接していた、グランフェルド大公に依頼してはどうかと返事があった。温厚な方なのに、何が起こったのかと思えば、そういう事か・・・・・・」
リカルド三世の怒りはもっともだという顔をして、ユリウスは何度も一人頷いた。
「そのせいで、両国関係が悪化していると、問題視する輩も出ている。ポレモスを併合し、わが国が大きくなったことをエイゼンシュタインは面白くないのではないかと。今までは、エイゼンシュタインに比べれば小国。見下していたのに、ポレモスを併合し、大国とまではいかずとも、それなりの規模になったことにいら立っているなどと言う穿った見方をするものまで出ている」
「それでは、母上が嫁ぐ前のような状況ではありませんか」
アントニウスは驚いて声をあげた。
「そういう事になる。そのため、わが国としては、第二のマリー・ルイーズを必要としている。だが、お前は見合いを断るプロだ。この話をお前に持っていったところで、成功する可能性は少ないと、そこでシザリオンに妻をと言う話が出ているのだが、エイゼンシュタイン王族にも年齢の釣り合う娘がいないし、クラリッサの縁戚筋の娘をロベルトに嫁がせたくとも、既に婚約が発表されている。だから、私は頭を抱えていたのだが、もしもお前がエイゼンシュタインの王族から妻を娶ってくれるのであれば、喜ばしいことだ。アラミスの事は、私が何とかしよう」
ユリウスの言葉はありがたかったが、アントニウスとしては両国の和平のためにアレクサンドラを妻に貰いたいのではないと、自分が愛しているからアレクサンドラを妻にと望んでいるのだと誤解なくアレクサンドラにわかってもらえるかが不安になった。
「それでは、私の想いが先か、両国の和平が先かわからなくなります」
アントニウスの返事に、ユリウスが大きなため息をついた。
「まったく、どちらも頑固な奴だ。アラミスは私の婚約者に横恋慕して奪うし、お前は私の和平案に異議を申し立てるとは・・・・・・。だが、継承権を返上し、爵位を返上して、どうやって公爵令嬢と結ばれるつもりだ? ただのアントニウスになってしまえば、公爵令嬢など雲の上の存在、目通りも叶わなくなるぞ」
「下僕にでも、馬蹄にでも身をやつします」
「では、お前は公爵令嬢を下僕や馬蹄の妻に迎えるつもりなのか?」
ユリウスの鋭い切り返しに、アントニウスは答えに詰まった。
しばらく沈黙した後、再びユリウスが口を開いた。
「継承権も爵位も要らないと言うならば、お前が婿に行けばよい」
考えてもいなかった発想の転換に、アントニウスは目を瞬いた。
「既にわが国はマリー・ルイーズを一度同盟関係強化のためにエイゼンシュタインの王族から迎えているが、わが国は一人も送ってはいない。聞けば、ホーエンバウム公爵には令嬢が二人、子息はない。いっそお前が婿に入れば、ホーエンバウム公爵の後継ぎ問題も解決する。但し、シザリオンに息子が生まれるまでは、お前は皇嗣。そして、お前の息子の一人をザッカローネ公爵家の後継ぎとして公爵家に戻すこと、それが条件だ」
ユリウスの案は魅力的だったが、アントニウスにもしも息子が生まれなかったらと思うと、アントニウスは即答できなかった。
「心配する必要はない。もし、お前の所に息子が生まれなかったら、シザリオンに励めというまでだ。まったく、アラミスも不甲斐ない。あれだけ熱愛夫婦で息子が一人とは・・・・・・」
ユリウスは言うと、笑みを浮かべた。
「世は、お前を甥として、愛しく思っている。お前がシザリオンよりも、ロベルトと親しいことは少し不満ではあるが、もし、エイゼンシュタインから、お前など婿には貰いたくないと言われたら諦めて、自力でその令嬢を篭絡しろ」
ユリウスの『篭絡』という言葉に、アントニウスはドキリとした。
「あの温厚なリカルド三世を怒らせてしまった以上、事を丸く治められるのは、そのホーエンバウム公爵の以外にはいないだろう」
ユリウスの言葉に、アントニウスは納得した。
「では、決まりだ。ロベルトの結婚式には同盟列強六ヶ国、すべての国が招待される。私はポレモスとの後始末がある故、本来はアラミスを行かせようと思っていたが、火に油を注がれてはかなわないからな。アントニウス、私の共をせよ」
「かしこまりました」
アントニウスは深々と頭を下げ、大公の決断にすべてを委ねる事にした。
☆☆☆
「アントニウス! 我が甥よ、何をそんなにかしこまっている。正式の謁見など堅苦しいことをせずとも、いつでも顔を出せば良いものを・・・・・・」
イルデランザ公国大公、ユリウス・アレクサンドロス七世は謁見の間に入ると、玉座には坐さず、アントニウスの元に歩み寄った。
「どうした、親子げんかに仲裁でも必要か?」
ユーモアたっぷりに話しかけるユリウスに、アントニウスは臣下の礼をとり、深々と頭を下げた。
「大公閣下、本日はお忙しいところお時間を謁見のお許しを戴き恐悦至極にございます」
アントニウスが謝辞を述べると、切れの良い、手を打つ音が響いた。
「皆、下がるがよい」
ユリウスの言葉に従い、一斉に控えていた者たちが姿を消した。
「立ちなさい、アントニウス」
ユリウスは言うと、アントニウスの手を取って立ち上がらせた。
「痛めた足をついていては、一人で立つのも大変だろう」
「殿下、本日は、大公位の継承権を返上に参りました」
アントニウスの言葉に、ユリウスが絶句した。
「わかっているだろうが、シザリオンには兄弟がいない。代が変われば、シザリオンに息子が生まれるまでの間、お前が皇嗣になるのだ。継承権の返上など、ありえない事くらいわかっているだろう」
戦の功労者でもあるアントニウスが継承権を放棄するなど、ポレモスを平定したばかりのイルデランザには考えられない事だった。
「では、ファーレンハイト伯爵の爵位も返上いたします」
アントニウスはまっすぐにユリウスの目を見つめていった。
「まて、待て。いったい何があった。私が納得する答えが聞けるまで、一切許すつもりはないぞ」
父のアラミスとは違い、アントニウスの話を聞いてくれるユリウスに、アントニウスはいつもながら感謝した。
「私は、父から話を受けました、ポレモスの有力者の令嬢との結婚は考えられません。私には心に決めた女性がおります」
アントニウスがきっぱりと言うと、ユリウスはため息をついた。
「話が長くなりそうだ。ついてきなさい」
ユリウスの執務室で向かい合い、アントニウスはロベルトの見合い相手で会ったアレクサンドラに一目惚れし、リカルド三世の許しを受け求婚したこと。また、負傷し意識が戻らない間、相手の女性は母のマリー・ルイーズと共にイルデランザに赴き、アントニウスの看病をしてくれたこと。それなのに、アントニウスの意識が戻るとすぐに父アラミスの命令で何事もなかったかのように振舞い、帰国させたこと。さらに、二人の間に何もなかった証しを立てるため、わざわざアラミスがリカルド三世に親書をおくったことを説明した。
「まったく、アラミスは・・・・・・」
ユリウスは呆れたように言った。
「問題は、私が求婚した時は伯爵令嬢だったのですが、姉君がロベルトの婚約者となり、父君の長年の功労を労い、両親を亡くしたアーチボルト伯爵がリカルド三世の叔母に当たるホーエンバウム公爵夫人の養子となり、現ホーエンバウム公爵に叙爵されたため、アレクサンドラも公爵令嬢となりました。父は、私がこのような姿で、子をなす事もできなかった時に両国が不和になるようなことになってはいけないと、先手を打ったのです」
アントニウスの説明に、ユリウスは再び大きなため息をついた。
「そのせいか」
「と、おっしゃられますと?」
「先日、リカルド三世にポレモス併合にかかわる重要項目の調停に立って欲しいと、可能であれば王太子もしくは、それ相応の身分の方にお願いしたいと親書を送ったのだが、快い返事ではなかった。言い訳を連ねたような返事で、ポレモスに隣接していた、グランフェルド大公に依頼してはどうかと返事があった。温厚な方なのに、何が起こったのかと思えば、そういう事か・・・・・・」
リカルド三世の怒りはもっともだという顔をして、ユリウスは何度も一人頷いた。
「そのせいで、両国関係が悪化していると、問題視する輩も出ている。ポレモスを併合し、わが国が大きくなったことをエイゼンシュタインは面白くないのではないかと。今までは、エイゼンシュタインに比べれば小国。見下していたのに、ポレモスを併合し、大国とまではいかずとも、それなりの規模になったことにいら立っているなどと言う穿った見方をするものまで出ている」
「それでは、母上が嫁ぐ前のような状況ではありませんか」
アントニウスは驚いて声をあげた。
「そういう事になる。そのため、わが国としては、第二のマリー・ルイーズを必要としている。だが、お前は見合いを断るプロだ。この話をお前に持っていったところで、成功する可能性は少ないと、そこでシザリオンに妻をと言う話が出ているのだが、エイゼンシュタイン王族にも年齢の釣り合う娘がいないし、クラリッサの縁戚筋の娘をロベルトに嫁がせたくとも、既に婚約が発表されている。だから、私は頭を抱えていたのだが、もしもお前がエイゼンシュタインの王族から妻を娶ってくれるのであれば、喜ばしいことだ。アラミスの事は、私が何とかしよう」
ユリウスの言葉はありがたかったが、アントニウスとしては両国の和平のためにアレクサンドラを妻に貰いたいのではないと、自分が愛しているからアレクサンドラを妻にと望んでいるのだと誤解なくアレクサンドラにわかってもらえるかが不安になった。
「それでは、私の想いが先か、両国の和平が先かわからなくなります」
アントニウスの返事に、ユリウスが大きなため息をついた。
「まったく、どちらも頑固な奴だ。アラミスは私の婚約者に横恋慕して奪うし、お前は私の和平案に異議を申し立てるとは・・・・・・。だが、継承権を返上し、爵位を返上して、どうやって公爵令嬢と結ばれるつもりだ? ただのアントニウスになってしまえば、公爵令嬢など雲の上の存在、目通りも叶わなくなるぞ」
「下僕にでも、馬蹄にでも身をやつします」
「では、お前は公爵令嬢を下僕や馬蹄の妻に迎えるつもりなのか?」
ユリウスの鋭い切り返しに、アントニウスは答えに詰まった。
しばらく沈黙した後、再びユリウスが口を開いた。
「継承権も爵位も要らないと言うならば、お前が婿に行けばよい」
考えてもいなかった発想の転換に、アントニウスは目を瞬いた。
「既にわが国はマリー・ルイーズを一度同盟関係強化のためにエイゼンシュタインの王族から迎えているが、わが国は一人も送ってはいない。聞けば、ホーエンバウム公爵には令嬢が二人、子息はない。いっそお前が婿に入れば、ホーエンバウム公爵の後継ぎ問題も解決する。但し、シザリオンに息子が生まれるまでは、お前は皇嗣。そして、お前の息子の一人をザッカローネ公爵家の後継ぎとして公爵家に戻すこと、それが条件だ」
ユリウスの案は魅力的だったが、アントニウスにもしも息子が生まれなかったらと思うと、アントニウスは即答できなかった。
「心配する必要はない。もし、お前の所に息子が生まれなかったら、シザリオンに励めというまでだ。まったく、アラミスも不甲斐ない。あれだけ熱愛夫婦で息子が一人とは・・・・・・」
ユリウスは言うと、笑みを浮かべた。
「世は、お前を甥として、愛しく思っている。お前がシザリオンよりも、ロベルトと親しいことは少し不満ではあるが、もし、エイゼンシュタインから、お前など婿には貰いたくないと言われたら諦めて、自力でその令嬢を篭絡しろ」
ユリウスの『篭絡』という言葉に、アントニウスはドキリとした。
「あの温厚なリカルド三世を怒らせてしまった以上、事を丸く治められるのは、そのホーエンバウム公爵の以外にはいないだろう」
ユリウスの言葉に、アントニウスは納得した。
「では、決まりだ。ロベルトの結婚式には同盟列強六ヶ国、すべての国が招待される。私はポレモスとの後始末がある故、本来はアラミスを行かせようと思っていたが、火に油を注がれてはかなわないからな。アントニウス、私の共をせよ」
「かしこまりました」
アントニウスは深々と頭を下げ、大公の決断にすべてを委ねる事にした。
☆☆☆