初恋の君に真紅の薔薇の花束を・・・
 晩餐が終わり、夜会が始まると荘厳な雰囲気は一変した。にぎやかな音楽と色とりどりのドレスに身を包んだレディ達で、人々の気分が益々盛り上がっていくのが感じられた。
 今夜の最初のダンスは、もちろんロベルトとジャスティーヌだった。
 二人が踊っているのを見ているうちに、アレクサンドラはアントニウスと過ごした華やかな日々を思い出した。
 でも、二人のダンスの後に、アレクサンドラを誘ってくれるアントニウスはいない。だから、ロベルトとジャスティーヌに誘われ、ダンスフロアーに向かった両親や他の王族がダンスを踊るのを見守った。
 エイゼンシュタインのほぼすべての貴族が招待されていることもあり、アレクサンドラの知っている顔も大勢いた。
「レディ・・・・・・」
 突然声をかけられ、アレクサンドラが驚いて振り向くと、そこには懐かしいジェームズ、ピエートル、ロザリンドの三人が立っていた。
「突然のご無礼、大変失礼いたします」
 畏まった様子の三人に、アレクサンドラは優しく微笑み返した。
「私はシュタインバーグ伯爵家のロザリンドと申します。そして、婚約者のジェームズとバウムガルト男爵家のピエートルでございます」
 ロザリンドは消え入りそうな声で言った。
「あなた方は、アレクシスのお友達ね」
 アレクサンドラが助け舟を出すと、三人は一気に顔を綻ばせた。
「突然のことで、申し訳ございません。どうか、アレクシスに私たちからのお礼をお伝えいただけませんか?」
「お礼ですか?」
「はい。私とジェームズが婚約できたのは、アレクシスのおかげなのです。アレクシスが殿下に協力をお願いしてくださって、頑固な父を説得してくださったのです」
 アレクサンドラ自身がアレクシスなのだから、事の成り行きは知っていたが、実際にロザリンド達の婚約が発表されたころはジャスティーヌの婚約問題で大わらわだったので、お祝いのカード一枚送っていなかった。
「そうなのですか。私は親しい友人だという話は聞いていましたが、アレクシスも急に田舎に帰ることが決まり、最後は話もろくにできずに別れてしまいましたから」
 アレクサンドラが言うと、ピエートルが一歩前に踏み出した。
「あの、アレクシスは元気にしているのですか? いちど、馬を飛ばして街を走り抜ける姿を見たというものがいるのですが、誰にも連絡がなかったので・・・・・・」
 ピエートルの言葉に、アレクサンドラはアントニウスの屋敷に殴り込みをかけた時の事を思い出した。
「さあ、見間違いではありませんか? 田舎に帰ってから、アレクシスは一度も王都にはきておりません」
 公爵令嬢となったアレクサンドラが否定すれば、それは嘘でも事実になる。伯爵令嬢や四肢爵家や男爵家の子息が反駁することは許されない。
「そうでしたか」
 ピエートルが残念そうに言うと、ジェームズがピエートルの脇腹を小突いた。
「あ、あの、もしよろしければ、私と踊っていただけませんか?」
 ピエートルが頬を染めて言った。
「え、私が?」
 アレクサンドラが驚いた様子で言うと、ピエートルは突然弱気になった。
「も、申し訳ありません。男爵家子息風情が公爵家のご令嬢にダンスを申し込むなど、不躾でございました」
 俯くピエートルの前にアレクサンドラは手を差し出した。
「えっ?」
 戸惑うピエートルにアレクサンドラは微笑みかけた。
「もうずっと踊っていないので、足を踏んでしまうかもしれませんが、それでよろしければ、一曲ご一緒致します」
「あ、ありがとうございます!」
 ピエートルは背筋を伸ばして言うと、アレクサンドラの手を取ってダンスフロアーへと進んでいった。
 流れていた曲はワルツで、ダンスの基本中の基本なのに、緊張気味のピエートルはリズムを外しそうで、アレクサンドラは必要以上にピエートルと体を近づけて踊る必要があった。
「じ、自分は、アレクサンドラ様が社交界にデビューした時から、ずっとアレクサンドラ様の事が・・・・・・」
 そこまで言ってから、ピエートルは顔を真っ赤にして口ごもった。
 その様子に、アレクサンドラは以前ピエートルがフランツとアレクサンドラを奪い合い、大喧嘩になったことを思い出した。

(・・・・・・・・まさかピエートル、私の事を好きなの?・・・・・・・・)

 ピエートルの好意に気付いた途端、アレクサンドラも顔が赤くなってしまった。

(・・・・・・・・考えたこともなかった。アレクシスだった私に、ピエートルが好意をいだくなんて・・・・・・・・)

 頭の中が混乱し、フランツの強引なやり方も本当は自分に好意を寄せていたからと言うよりも、ジャスティーヌに好意を寄せていたからで、決して、ただの見栄ではなかったのではと思うと、さらにピエートルの想いがより現実的に感じられ、リズムを崩したピエートルと近すぎる距離でバランスを崩したアレクサンドラは、女性のステップを踏むはずの所を体に染みついた男性のステップを踏んでしまった。
 体と体がぶつかり合い、バランスを崩したピエートルが後ろに倒れそうになると同時に、組んでいた手が離れたアレクサンドラの体は突然真横に放り出された。
「あっ!」
「アレクサンドラ様!」
 遠くでピエートルの声が聞こえたような気がした次の瞬間、アレクサンドラは逞しい腕に抱きとめられた。
 踊っていたアレクサンドラは気付かなかったが、久しぶりに夜会に姿を現したアレクサンドラがピエートルからのダンスの申し込みに応じたことで、フロアーを取り囲む人々は好奇の目で二人の歪なダンスを見つめていたのだった。
 突然の事にバウムガルト男爵が無様に尻餅をついたピエートルを叱咤している声も遠くに聞こえた。それくらい、アレクサンドラを抱きとめてくれた逞しい腕と胸はアレクサンドラに安らぎを与えてくれた。
「大丈夫ですか、レディ・・・・・・」(イルデランザ語)
 優しさの中に逞しさのある声に、アレクサンドラは慌てて体を離そうとしたが、逞しい腕はしっかりとアレクサンドラを抱きしめていた。
「アレクサンドラ嬢ですね。ジャスティーヌ王太子妃に瓜二つだ」(イルデランザ語)
 久しぶりに訊くイルデランザ語に、アレクサンドラは弾かれたように助けてくれた相手の事を見上げた。
「お初にお目にかかる。イルデランザ公国大公のユリウス・アレクサンドロス七世と申します」(イルデランザ語)
「大変ご無礼いたしました」(イルデランザ語)
 アレクサンドラはイルデランザ語で謝罪した。
「姉君だけではなく、妹君もイルデランザ語を話されるのか?」(イルデランザ語)
 次に返された言葉はアレクサンドラには完全に理解することはできなかった。
「申し訳ございません。言葉はあまり得意ではなくて・・・・・・」(イルデランザ語)
「そのバラの花弁のような唇。妻のある身とはいえ、思わず自分のものにしたくなるほどの魅力を持っている。我が甥が骨抜きになるのも当たり前と言えるな」
「あ、あの、もう、お放しください」
 アレクサンドラが言っても、ユリウスはアレクサンドラを放そうとはしなかった。
「実に美しい」(イルデランザ語)
 ユリウスの言葉はアレクサンドラにも理解できた。
「大公閣下・・・・・・」
 誘われるようにユリウスが口づけを落とそうとした瞬間、ユリウスの肩をアントニウスが掴んだ。
「閣下、お戯れが過ぎます」(イルデランザ語)
 アントニウスに止められたユリウスは、すぐにアレクサンドラを自由にすると、紳士としての礼をとった。
「ご無礼失礼した。あまりにレディがお美しいので、我を忘れてしまいました」
 ユリウスの謝罪も、アントニウスの登場でアレクサンドラの耳には入らなかった。
 まるで時間が止まったようで、誰の言葉もアレクサンドラの耳には入らなかった。ただ、そこにアントニウスがいた。ずっと逢いたかったアントニウスが、健康で、無事な姿で、アントニウスがそこにいた。
 思わず手を伸ばしてしまいそうになりながら、アレクサンドラはぎゅっと手を強く握った。次の瞬間、背後から誰かが抱き着く感じがした。

(・・・・・・・・この優しい感じはジャスティーヌ・・・・・・・・)

 止まった時間が流れ始めた。
「アレク、大丈夫?」
「アレクサンドロス大公、妹のジャスティーヌを助けて下さりありがとうございます」
 ジャスティーヌの声とロベルトの声だけがアレクサンドラの耳に届いた。
 人々の注目を浴びる中、アレクサンドラとアントニウスは一言も言葉を交わすことなくその場は収まり、アレクサンドラが再び壁の花に戻ると、父のバウムガルト男爵に連れられたピエートルが謝罪に来たが、事が多ごとにならないようにビクトリアがその場を仕切ってくれた。
 結局、必要以上に人々の注目を集めることが居心地が悪く、アレクサンドラが困っているのを見かねたビクトリアが『腰が痛い』と言って先に屋敷に帰ることにし、同じ馬車で王宮で入ったアレクサンドラが付き添って帰ることになった。

☆☆☆

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