初恋の君に真紅の薔薇の花束を・・・
 式の翌日は来賓客のほとんどが自国に帰国するため、リカルド三世は謁見の間に、そしてロベルトとジャスティーヌは見送りの挨拶で終わって行った。
 結局、長く滞在するのはユリウスとアントニウスだけだった。


 運命の翌々日、ユリウスはアントニウスを伴わずにリカルド三世との会談に臨んだ。
 エイゼンシュタインとしても、国境を接する隣国であるイルデランザとの友好は重要な問題で、特に国境線付近でのトラブルを回避するために、同盟を強固にしたいというのが本気だったが、アレクサンドラを弄ぶようなアントニウスのやり方に激怒していたリカルド三世は、わざわざルドルフを会談に同席させていた。

「本日は、こうして会談の場を設けることに賛同して戴けたので、今後の両国の関係に関してお話をしたいと思っているのだが、宜しいかな?」
 ユリウスの言葉に、リカルド三世は頷いた。
「両国の和平の修復は急務と思われるが、エイゼンシュタインからは人質はこれ以上出せぬというのが正直なところである。すでに、私の従妹のマリー・ルイーズをザッカローネ公爵家に嫁がせておるからな」
 リカルド三世の言葉に、ユリウスは笑顔で応じた。
「それは、こちらも承知しております。妻のクラリッサの縁戚筋の娘をロベルト殿下の妻にと思っておりましたが、ロベルト殿下は結婚されたばかりですし、シザリオンには決まった相手はおりませんが、再びエイゼンシュタインから妻を娶るというのは、リカルド三世のお考えにも反する。だが、同盟関係の継続と安定は急務。そこで、この度はやはりイルデランザが人質を出す番と心得ております」
 ユリウスの言葉に、リカルド三世が目を剥いた。
「ロベルトは妻を迎えたばかり、他に妻を娶る習慣はエイゼンシュタインにはありませんぞ」
「それもわかっております。ですから、私の甥、アントニウスを貴国の王族に婿として差し出したい」
 ユリウスの申し出に、アントニウスが王族の娘婿としてエイゼンシュタインに来ることを知った時のアレクサンドラの悲しみを思うと、ルドルフは目の前が暗くなった。
「私の甥で、本来であれば公爵家の嫡男。貴国の王族の令嬢と養子縁組をするのに釣り合いが取れないという事もないかと・・・・・・」
 ユリウスは満面の笑みで言ったが、リカルド三世は怒りに震えていた。
「アレクサンドラとアントニウスの事を知らないわけではあるまい! アントニウスが王族の娘婿となるなど、アレクサンドラをこれ以上苦しめて、何が楽しいのだ!」
 この時ばかりは、窘める役で同席したルドルフも、窘めるのを忘れてリカルド三世が怒りをぶちまけるのをそのままにした。
「お待ちください、リカルド三世陛下。アレクサンドラとおっしゃられたのは、ジャスティーヌ王太子妃の妹、同席されているホーエンバウム公爵のご令嬢では?」
 ユリウスの問いにリカルド三世はため息をついた。
「アントニウスは、ポレモスとの開戦前に、正式にアレクサンドラに結婚を申し込みたいと許可を求めてきた。当時、アレクサンドラはロベルトの見合い相手の一人だったので、ロベルトの同意を得てアレクサンドラを見合い相手から外し、アントニウスに機会を与えたが、アントニウスは帰国し、出兵し、結婚の話はそのまま流れてしまった」
 リカルド三世の説明を聞きながら、ユリウスは何度も頷いた。
「なるほど。晩餐会の夜、パートナーが転び、転倒しそうになったアレクサンドラ嬢の愛らしさに、思わず口づけたいと思った私にアントニウスから激しい抗議がありました。そこで問いただすと、アントニウスはアレクサンドラ嬢を愛していると。・・・・・・イルデランザとしては、アントニウスの結婚相手の選択はエイゼンシュタインに一任するつもりではありますが、ホーエンバウム公爵は立派な王族のお一人、アレクサンドラ嬢も王族の令嬢。ともなれば、同盟のためにアントニウスをアレクサンドラ嬢の婿としていただくのもよろしいかと」
 今にも『それは名案だ!』と言い出しそうなリカルド三世を牽制し、ルドルフが口を開いた。
「恐れ多くも、アントニウス殿はザッカローネ公爵家のご嫡男。大公位の継承権もお持ちです。そのような方をエイゼンシュタインの王族に婿養子として迎えることには、王族のあり方に支障が出る可能性がございます」
「ほぉ? どのようにかな?」
 ユリウスが興味深げに尋ねた。
「あくまでも仮定の話でございます。不敬にあたることは承知で申し上げます。」
 ルドルフは慎重に言葉を選んで続けた。
「万が一、シザリオン殿下が大公位に着かれたのち、お世継ぎに恵まれなかった場合、ザッカローネ公爵が第一位、アントニウス殿が第二位の継承権をお持ちです。そして、その後に第三位、第四位の継承者と続きますが、エイゼンシュタインに婿入りしたアントニウス様の継承を望まぬ者、高齢のザッカローネ公爵の継承を望まぬ者、第三位、第四位の方々との継承権の争いにエイゼンシュタインの王族が巻き込まれるのは好ましくございませんし、再び両国間の関係を危ういものとすることになります」
「確かに、シザリオンに子がない今、アントニウスを手放すのは非常に痛い。それゆえ、人質としての価値も上がると思ってのことだったのだが・・・・・・」
 ユリウスも考え深げに言った。
 しばらくの沈黙の後、再びユリウスが口を開いた。
「では、アントニウスの継承権を剥奪しよう」
「それでは、アントニウスは廃嫡されたも同じでないか」
 ルドルフが口を開く前にリカルド三世が異議を唱えた。廃嫡された公爵家の元嫡男では同盟にも両国の和平の足しにもならないからだ。
「では、こうしよう。万が一の時は、アントニウスはイルデランザに戻り、継承権を行使することができることとする」
「それでは、問題が取り除かれません」
 ルドルフの言葉に、再び沈黙が訪れた。
「では、アントニウスの継承権はその嫡男に譲られるものとするとしてはどうだ?」
「それでは、公爵家に後継ぎがいなくなります」
 話が堂々巡りを繰り返したため、リカルド三世はロベルトを更に話し合いに同席させた。
「ですが、イルデランザとしては、アントニウスをエイゼンシュタインの王族に婿養子として送り出したとしても、母親はエイゼンシュタインの王族、半分しかイルデランザの血が入っていないのですから、人質としての価値は低いのではありませんか?」
 ロベルトの発言に、ユリウスは延々といかにイルデランザがポレモスに勝利するためにアントニウスが必要だったか、どれほどアントニウスが国の英雄として大切にされているかを説いて聞かせた。
 そして、長い話し合いの結果導きだした結論は、概ねユリウスの望んだものだった。

 アントニウスはシザリオンに後継ぎが生まれるまで継承権を維持するが、後継ぎが生まれたのち、継承権は停止され、継承権はアントニウスの男子第二子、つまり次男に継承される。あくまでも、長男は公爵家の跡取りとする。万が一、後継ぎが生まれないままアントニウスが妻を亡くした場合、アントニウスには二つの選択があり、イルデランザに帰り、ザッカローネ公爵家の嫡男としての義務を全うするか、エイゼンシュタインに残り継承権を放棄し、公爵家の跡取りとしての義務を全うする。エイゼンシュタインに残ることを決めた場合は、いかなる理由があっても継承権は復権されず、後妻を迎えて後継ぎが生まれても、継承権の継承は発生しない。後継ぎが生まれた後で妻を亡くした場合も概ね同じだが、既に継承権を継承することのできる男子第二子、次男が生まれている場合は、継承権は継承される。また、ザッカローネ公爵がなくなった場合、大公が一時的に公爵家の所領を管理するが、アントニウスの男子第二子、次男の成人を持って公爵に叙爵する。アントニウスは、現ファーレンハイト伯爵領をザッカローネ公爵に返却し、ファーレンハイト伯爵の爵位のみ維持する。

 細々としたルールを決めるという外堀から攻める事になった話し合いは、長時間に及び、最終的に誰の婿養子にするかという問題に逆戻りした。
「年齢が釣り合う相手と言ったら、今王家にはアレクサンドラしかいないではありませんか」
 ロベルトが、もういい加減にしてくれと言わんばかりに言うと、ユリウスは笑みを浮かべたが、ルドルフもリカルド三世も慎重だった。
「話が流れ、娘はもう、アントニウス殿下との事は諦めております」
 ルドルフの言葉に、ロベルトは焦った。
「いえ、そんなことはありません。ビクトリア大叔母様から、アレクサンドラの気持ちは聞いております」
 ロベルトの失言から、とうとうビクトリアまでが呼び出されることになった。
 しかし、会談の席についたビクトリアは厳しい表情で言った。
「私は、ルドルフを息子として迎えてから、アレクサンドラを立派な王家の一員として、恥ずかしくないレディとして育て上げたつもりです。ですから、イルデランザとの和平のためという事であれば、過去の遺恨や本人の好き嫌いなどと言うものに囚われることなく、王家の一員としての役目を果たすことができると信じています」
 ビクトリアの言葉に、ユリウスが無言で頷いた。
「素晴らしい。先代のホーエンバウム公爵夫人の王族としての矜持には、頭がさがります。そういう事であれは、是非、このお話、アレクサンドラ嬢の娘婿で話を勧めて戴きたいが、ここは一つ、公平にアレクサンドラ嬢にも拒否するチャンスを与えるべきだと私は思います」
「そうおっしゃられますと?」
 ビクトリアは静かに問い返した。
「アントニウスに、アレクサンドラ嬢を訪ねさせ、もう一度求婚させましょう。そこで、アレクサンドラ嬢が求婚を受けなければ、この話はなかった事に。もし、アレクサンドラ嬢が求婚を受けたなら、アントニウスはホーエンバウム公爵家に婿養子に出すという事で如何でしょうか?」
 アレクサンドラの意思を前面に出した決定方針に、全員が納得の表情を浮かべ頷いた。
「ただ一つ、お願いがあります。どうか、この話は二人には内緒に。私はアントニウスに自力でアレクサンドラ嬢を勝ち取れと言いましょう。ですから、皆様はアレクサンドラ嬢にはこれが両国の和平にかかわる婚姻であることは内緒にしていただきたい」
「わかりました。そのように致しましょう」
 リカルド三世でもなく、ルドルフでもなく、ビクトリアがすべてを承諾した。
 長かった会談はようやく着陸地点を見つけ、終了した。

☆☆☆

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