初恋の君に真紅の薔薇の花束を・・・
アントニウスと共にアレクサンドラが広間に戻ると、待ちかまえたようにシュタインバーグ伯爵が娘のロザリンドを連れてやってきた。
「アントニウス殿、少々お時間を戴けますでしょうか?」
 シュタインバーグ伯爵の言葉に、アントニウスは渋々足を止め、アレクサンドラもそれに従った。しかし、娘に悪い虫を近付けたのがアレクシスだと察している伯爵は、虫を払うようにアレクサンドラに席を外すように手振りした。
「アントニウス殿、シュタインバーグ伯爵は大切なお話がお有りのようですから、僕は一旦、失礼させて戴きましょう」
 ロザリンドのすがるような視線を受けながら、アレクサンドラが踵を返そうとすると、アントニウスがアレクサンドラの肩に手をかけた。
「待ちたまえ、アレクシス。それを言うなら、私達の大切な話に割り込んできたのは伯爵の方だ。分をわきまえるのは、君ではなく伯爵の方ではないか?」
 アントニウスの辛辣な言葉に、伯爵は慌ててアントニウスに詫びを言って引き下がった。
「あの娘は、さっきの・・・・・・」
 壁際にアレクサンドラを引っ張って落ち着くと、アントニウスが呟いた。
「ええ、僕は彼女と友人の恋の橋渡しをしていたんですが、友達には裕福な平民の娘との結婚話。彼女には貴方との結婚話。どちらも僕の所に泣きついてきたというわけです」
 アレクサンドラの言葉に、アントニウスはしばらく思案してからアレクサンドラの方に向き直った。
「つまり、君としてはあの伯爵を説得して何とか友人の恋を実らせてやりたいわけだ」
「ええ、まさか、対抗馬があなただとは。分が悪すぎて子爵家の三男なんて、相手にもなりませんよ」
 アレクサンドラは言うと、壁に寄りかかり、前髪を書き上げた。
 その姿は、女性から見れば思わずうっとりとしてしまう見目麗しいアレクシスの絵姿だったが、アントニウスからは隙だらけの無防備な姿に見えた。
「君の返答次第では、協力しても構わない」
 アントニウスの言葉に、アレクサンドラは驚いてアントニウスの方を向いた。
「僕の返答次第ということは、また取引ですか?」
「そうとも言える。アレクサンドラ嬢の初舞踏会のエスコート役を私に。難しい事ではないだろう?」
 確かに、先ほどのルール改定によりアレクサンドラには一刻も早く女性に戻らなくてはいけないという弱みがあるが、自分でも本当にあの拷問器具のようなコルセットを身に着けて屋敷の外に出るだけではなく、ダンスをすることができるようになる日が来るのか、不安でたまらなかった。
「僕は田舎にすぐに帰れても、アレクサンドラがすぐに舞踏会に出席できるようになるかはわかりませんよ。見合いのこともありますし」
「では、もっとルールを明確にしよう」
「というと?」
「ロベルトの結婚相手が決まるまでに君が私に勝つことができなかったら、全ておしまいということだ」
 アレクサンドラの背中を冷たいものが流れていった。
 確かに、王太子の婚約者が内定してからスキャンダルが表になれば、王太子の従兄である自分の立場も危うくなる。それを考えれば、この理不尽なゲームの勝負が半年と期限を切られて始まった見合いの結末を見る前に決しなければいけないことは尤もだった。
「では、アレクサンドラのデビューとなる舞踏会のエスコートをあなたにすれば、間違いなくあの二人を幸せにしてくれると約束できますか?」
 アレクサンドラの問いに、アントニウスは首をかしげた。
「二人が結婚できるように力を貸すことはできるが、二人が幸せになれるかどうかは、二人の問題ではないかな?」
「わかりました。では、あなたはロザリンドに手は出さないと約束できますか?」
「約束しよう、母の名前にかけて」
 アントニウスの言葉に、アレクサンドラはアントニウスを信じることにした。
「では、お約束します」
 アレクサンドラが答えると、アントニウスは満面の笑みを浮かべた。
 アレクサンドラとアントニウスの様子をつかず離れずして窺っているシュタインバーグ伯爵の姿を確認すると、アントニウスは『見ていたまえ』というなり、手を挙げてシュタインバーグ伯爵に声をかけた。
 飼い主に呼ばれた犬のように、一度は尻尾をまいて退散したシュタインバーグ伯爵は、大喜びでアントニウスの方へ歩み寄ってきた。
「先ほどは失礼しました」
 あくまでも王太子の従兄という立場を崩さないアントニウスに、シュタインバーグ伯爵は平身低頭も甚だしく、歯の浮くようなお世辞まで並べ立ててアントニウスを褒めちぎった。
「いま、アレクシスから聞いていたのだが、伯爵のお嬢様はとても可愛らしいそうですね」
 アントニウスが娘に興味を持ったとばかり、シュタインバーグ伯爵は一気にロザリンドの売り込みに入った。
「なるほど。確かにアレクシスが話していた通り、素晴らしい方だ」
 アントニウスは伯爵に言ってから『君は確かに人を見る目があるな』などと、わざとらしくアレクサンドラを褒めたりもした。
「しかし伯爵。私は、アレクシスの前でも宣言しておきたいのですが、もう心に決めた女性がいるのです」
 アントニウスの言葉に、伯爵の顔が驚愕にかわった。
「私は、以前よりジャスティーヌ嬢に想いを寄せていたのですが、ロベルト殿下に先を越されてしまいましたから、双子のアレクサンドラ嬢をと心に決めているのです。ですが、このことはご内密に。万が一、ロベルト殿下に私がジャスティーヌ嬢に懸想していたなどということがバレたら、両国が戦争になりかねませんから」
 堂々と物騒な事を口にするアントニウスに、気の小さいシュタインバーグ伯爵はぶんぶんと頭を振るようにして頷くと、他の誰にも聞かれていないか、あたりの様子を必死に窺った。
「では、伯爵。ごきげんよう」
 アントニウスは言うと、伯爵とアレクサンドラを残したまま、一人で広間の反対側へ向かって歩き去っていった。
「私も失礼致します」
 命じられたわけではなかったが、勝手に歩き去ったからと言ってアントニウスを一人にしたら、次に何を要求されるか分かったものではなかったので、アレクサンドラはアントニウスの後を追った。
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