初恋の君に真紅の薔薇の花束を・・・
 願ってもないことだったが、あまりにもタイムリーで、且つ都合の良すぎる申し出に、アリシアは答えに困って躊躇した。
 伝え聞いている陛下のお言葉からは、一応、アレクサンドラには拒否権があり、万が一にも、アレクサンドラがアントニウスの事を気に入らなかった場合には、当然、全てはご破算になる。もし、そうなったら、莫大な資金を投じてアレクサンドラを社交界にデビューさせたアントニウスは大損もいいところ、逆に、国家間の問題を大きくすることにもなりかねない。
「陛下からも、もしもアレクサンドラ嬢が私を夫に選ばれなかった場合は、速やかに身を引くという事はお約束してあります。ですから、その段になって、支度金を返せなどという事を申し上げる気は一切ございません」
 アントニウスの言葉に、アリシアは思わずじっとアントニウスの事を見つめてしまった。
 アントニウスは、王太子とは違い軽々とアリシアを抱いて馬車まで運んでしまえる偉丈夫だ。あの男勝りのアレクサンドラを妻に迎えられるとしたら、正直、剣でも、乗馬の技術でも上を行く、アントニウスの他にはアリシアには考えられなかったが、あのはねっかえりが大人しく交際をするかも怪しいものだと、アリシアは思っていた。
「実は、ここだけのお話なのですが、王太子から、今後、アレクサンドラ嬢との見合いの日は、私がアレクサンドラ嬢のお相手をし、王太子はジャスティーヌ嬢と過ごしたいと、場合によっては、四人で過ごすようにしたいと相談を受けておりまして、そうなりますと、今は爵位のない身ではありますが、これでもいずれは公爵家を継ぐ身でございますから、アレクサンドラ嬢には、やはりそれなりのお支度をしていただきたいと思っております」
 アリシアの折れそうだった心は完全に折れた。例えアントニウスが悪魔だったとしても構わない。ここで、伯爵家とアレクサンドラに恥をかかせることなく、全てを穏便に済ませ、更に目が回るようなお金の工面から解放されるなら、溺れる者は藁をもつかむという言葉通り、アリシアはアントニウスの手を取った。
「本当によろしいのですか?」
「もちろんです。こう申し上げては、少し押しつけがましいかもしれませんが、全ては愛しいアレクサンドラ嬢と、そのご家族のため。私にできることがあれば、なんでもおっしゃってください。なんなら、庭師の手配も致しますよ。それに、もう一台くらい馬車があった方が都合がよろしいでしょう」
 どんどん話を膨らませるアントニウスに、アリシアは慌てた。あくまでも、サポートが必要なのは、アレクサンドラの事だけだ。そう、自分たちは野菜に埋もれたささやかなハムと魚に見立てたマッシュポテトで構わないのだ。
「そこまでは、さすがに。・・・・・・アレクサンドラは、ずっと引きこもっておりましたし、正直に申し上げますと、何年もドレスを作っておりませんでしたから、もう、普段着ばかりで・・・・・・」
 実は、その普段着も一着しかないのだが、さすがにそれは口が滑っても言えない。
「では、改めて仕立て屋を伺わせますので、そうですね、アレクサンドラ嬢のお気に召すだけ、好きなだけお仕立てください。社交界デビュー用の飛び切りのドレスも含めて」
 一度悪魔に魂を売ってしまえば、あとはつらくないと聞いたことがあるが、危険なくらい美味しい話に飛びついたアリシアは、先ほどまでのめまいも吐き気もどこかに飛んでしまっていた。
「では、お屋敷までお送りしましょう。それかから、このお話を伯爵にもお伝えしましょう」
 アントニウスは嬉しそうに言うと、御者に命じて馬車を走らせた。
 滑らかな動き、デコボコ道でもクッションの良く聞いた馬車の中は少し揺れる程度で、先ほどまでの舌を噛みそうな激しい揺れはない。
「お加減がよくなって、本当に良かったです」
 アントニウスは嬉しそうに笑みを浮かべた。

☆☆☆

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