初恋の君に真紅の薔薇の花束を・・・
アントニウスの乗った馬車が見えなくなると、ジャスティーヌは急いで二階の自分の部屋へと向かった。正確に言えば、自室の続きの間であるアレクサンドラの部屋に向かったというべきだろう。
部屋の扉を開けると、窓から去っていくアントニウスの馬車をアレクサンドラが見つめていた。
「アレク?」
その不安げな表情に、ジャスティーヌはただならぬものを感じた。
「あいつ、何しに来たの?」
アレクサンドラは言うと、ゆっくりとりジャスティーヌの方に歩み寄った。
「ねえ、アレク。何か私に隠していることはない?」
双子の感の鋭さか、アレクサンドラの不安を共有しているからなのか、ジャスティーヌは心配そうに問いかけた。
「隠し事? そんなの、あるわけないじゃん。僕が・・・・・・っと。えーっと、隠し事なんて、私がジャスティーヌにするわけないでしょう」
必死にレディになろうとするアレクサンドラに、ジャスティーヌはそれ以上追及することをやめた。
「それがね、アントニウス様が、アレクの社交界デビューの支度から何から、全部、費用を負担してくださるってお話なの」
あまりのことに、アレクサンドラは耳を疑った。
秘密を知られたうえに、お金まで借りたとなったら、それこそどんな見返りを要求されるか知れたものではない。
「断って。とにかく、その話は断って。私はジャスティーヌのお古でいいし、新しいドレスも髪飾りも、何もいらないから!」
アレクサンドラの剣幕に、ジャスティーヌはアレクサンドラに歩み寄るとその手を取った。
「ねえ、アレク。よく聞いて。私のお古でことが済むなら、お母様だってわざわざご実家にお金を借りに行こうなんて、お考えにならないわ」
「じゃあ、やっぱり今日のは・・・・・・」
「そうよ。あなたは望んでいなかったけれど、あなたも私も殿下の見合い相手。正式に社交界にデビューすることになり、陛下に謁見を申し入れるのに、私のお古を着ていては陛下に失礼だわ。それに、舞踏会に出席する時だってそう。同じドレスは着ては行かれないわ」
「だから、いつもみんな違うドレスなんだ・・・・・・」
「そうね。忘れたころには同じドレスを着ることはあっても、正式な場所には同じドレスは着ていかれないのが決まりなの。それを考えたら、アントニウス様の申し出は、天の助けよ」
ジャスティーヌに諭され、アレクサンドラはこの話が既に断れない状況にあることを知った。そして、いつもの癖で唇を噛みしめた。
その瞬間、『その癖はおやめなさい』というアントニウスの声が聞こえた気がして、アレクサンドラは唇を噛むのを止めた。
「素敵なお支度を用意なさってくださるそうよ」
「で、見返りは何?」
「最初の舞踏会でのエスコート」
意外にも、アントニウスの要求は簡単なものだった。
「それから、もし、あなたが他に好きな人が出来たら、大人しく身を引くことを陛下にお約束しているので、その際は、負担した費用の返済は一切求めないって」
ジャスティーヌが聞いたら、信じられないほど何だいな申し入れだが、既に本人から『自分を篭絡し、その気にしてみろ』と要求されているアレクサンドラとしては、アントニウスが自分に他の誰かを好きになる機会など与えるつもりがなく、家族の前では寛大に振る舞い交際の妨げや障害となる問題を排除したうえで、女性であるアレクサンドラに街の女のように自分を篭絡させ、きっとアレクサンドラを好きに弄び、飽きたら国に帰る、そういう計画なのだろうと、アレクサンドラは確信した。
実際、自由恋愛の国ということもあり、もちろん勧められたことではないが、ジェームズとロザリンドのように、激しい親の反対にあうと、刹那的に一線を越え、既成事実を作ることでなんとか親の反対を回避しようと試みるカップルは少なくない。だからと言って、それが認められず引き離され、違う男性に嫁ぐことになる女性に待っているのは、『ふしだらな』『誰にでも足を開く』『身持ちの悪い』という不名誉なレッテルを貼られた娘を見る嫁家の女性陣からの冷たい仕打ちと虐めだ。唯一、この不名誉なレッテルを貼られずに済むのは、相手が王太子の場合くらいだ。
つまり、アントニウスがアレクサンドラに飽きて帰国した後、アレクサンドラに残された道は、ふしだらな娘だと蔑まれながらも、かつてはよい男友達として過ごした誰かの家に嫁ぐか、世俗の穢れを受けた罪深い娘として、所領内の修道院で生涯を過ごすという道しかない。
「ねえ、アレク」
ジャスティーヌの優しい声に、アレクサンドラの絶望的な思考が中断された。
「今まで、紳士として、同性としてお付き合いしてきたアントニウス様や、殿下、それから大勢の貴族の子息方と、今度は初めて会う異性のアレクサンドラとして付き合うことは大変だと思うわ。でも、レディの強みは、答えたくない質問には答えなくていいこと。それから、その場の雰囲気が嫌だったら、すぐに眩暈とか、気分がとかいって、その場を去ることができることなの。だから、なにか間違えたって思ったら、すぐにそう言って逃げればいいのよ」
ジャスティーヌは言うと、再びアレクサンドラの手をしっかりと握った。
「殿下も、当分の間は、アレクが一人では不安だろうから、自分も一緒にアレクの傍にいてくださるって・・・・・・」
ジャスティーヌの言葉に、アレクサンドラはギョッとした。それはつまり、ロベルトがジャスティーヌと共に傍にいるという事は、常にアントニウスが傍に居るということになる。つまり、いつどこへ行くときも、アレクサンドラのエスコートはアントニウスがするという事だ。
アレクサンドラとしては、百歩どころか、一万歩譲ったって、ジャスティーヌの愛しのロベルトにエスコートなどされたくない。そうすると、ドジを踏まないようにするには、秘密を知っているアントニウスの方が安全なのかもしれないと、アレクサンドラはそう考えて自分を必死に納得させた。
「ちょっと待って、見合いはどうなるの?」
どう考えても、ロベルトの相手なんて、したくもないし、できる気もしない。
「あ、それは、陛下から許可が出て、お見合いの日は、私が殿下と過ごして、アレクはアントニウス様と過ごすという事になったそうよ」
ハンマーで頭を殴られたような衝撃がアレクサンドラを襲った。
そう、見合い中の王太子には護衛もつくし、どう頑張ったところで、なかなか二人きりになんてなることはできない。しかし、その反対で、本来は見合いをしているはずのないアレクサンドラとアントニウスだとしたら、容易に二人きりになることができるし、それこそ屋敷の寝室に連れ込まれても、助けてくれる人はいない。
アレクサンドラは大きなため息をつくと、我が身の不幸を呪うよりも、アントニウスが口だけでなく、本当の紳士であることを祈るばかりだった。
「それでね、今日は、気分がすぐれなくてお目にかかれないってお話したのだけれど、アレク、お礼のお手紙を書ける?」
こうなれば、お礼の手紙だろうと、何だろうと書いてやると、アレクサンドラは腹を括った。
「わかった。今回は、ジャスティーヌの助けを借りずに一人で書いてみる」
「もし、分からないことがあったら、なんでも訊いてね」
優しく微笑むジャスティーヌに、アレクサンドラはどんなことをしてもジャスティーヌの幸せと、アーチボルト伯爵家だけは守って見せると、心のなかで宣言した。
部屋の扉を開けると、窓から去っていくアントニウスの馬車をアレクサンドラが見つめていた。
「アレク?」
その不安げな表情に、ジャスティーヌはただならぬものを感じた。
「あいつ、何しに来たの?」
アレクサンドラは言うと、ゆっくりとりジャスティーヌの方に歩み寄った。
「ねえ、アレク。何か私に隠していることはない?」
双子の感の鋭さか、アレクサンドラの不安を共有しているからなのか、ジャスティーヌは心配そうに問いかけた。
「隠し事? そんなの、あるわけないじゃん。僕が・・・・・・っと。えーっと、隠し事なんて、私がジャスティーヌにするわけないでしょう」
必死にレディになろうとするアレクサンドラに、ジャスティーヌはそれ以上追及することをやめた。
「それがね、アントニウス様が、アレクの社交界デビューの支度から何から、全部、費用を負担してくださるってお話なの」
あまりのことに、アレクサンドラは耳を疑った。
秘密を知られたうえに、お金まで借りたとなったら、それこそどんな見返りを要求されるか知れたものではない。
「断って。とにかく、その話は断って。私はジャスティーヌのお古でいいし、新しいドレスも髪飾りも、何もいらないから!」
アレクサンドラの剣幕に、ジャスティーヌはアレクサンドラに歩み寄るとその手を取った。
「ねえ、アレク。よく聞いて。私のお古でことが済むなら、お母様だってわざわざご実家にお金を借りに行こうなんて、お考えにならないわ」
「じゃあ、やっぱり今日のは・・・・・・」
「そうよ。あなたは望んでいなかったけれど、あなたも私も殿下の見合い相手。正式に社交界にデビューすることになり、陛下に謁見を申し入れるのに、私のお古を着ていては陛下に失礼だわ。それに、舞踏会に出席する時だってそう。同じドレスは着ては行かれないわ」
「だから、いつもみんな違うドレスなんだ・・・・・・」
「そうね。忘れたころには同じドレスを着ることはあっても、正式な場所には同じドレスは着ていかれないのが決まりなの。それを考えたら、アントニウス様の申し出は、天の助けよ」
ジャスティーヌに諭され、アレクサンドラはこの話が既に断れない状況にあることを知った。そして、いつもの癖で唇を噛みしめた。
その瞬間、『その癖はおやめなさい』というアントニウスの声が聞こえた気がして、アレクサンドラは唇を噛むのを止めた。
「素敵なお支度を用意なさってくださるそうよ」
「で、見返りは何?」
「最初の舞踏会でのエスコート」
意外にも、アントニウスの要求は簡単なものだった。
「それから、もし、あなたが他に好きな人が出来たら、大人しく身を引くことを陛下にお約束しているので、その際は、負担した費用の返済は一切求めないって」
ジャスティーヌが聞いたら、信じられないほど何だいな申し入れだが、既に本人から『自分を篭絡し、その気にしてみろ』と要求されているアレクサンドラとしては、アントニウスが自分に他の誰かを好きになる機会など与えるつもりがなく、家族の前では寛大に振る舞い交際の妨げや障害となる問題を排除したうえで、女性であるアレクサンドラに街の女のように自分を篭絡させ、きっとアレクサンドラを好きに弄び、飽きたら国に帰る、そういう計画なのだろうと、アレクサンドラは確信した。
実際、自由恋愛の国ということもあり、もちろん勧められたことではないが、ジェームズとロザリンドのように、激しい親の反対にあうと、刹那的に一線を越え、既成事実を作ることでなんとか親の反対を回避しようと試みるカップルは少なくない。だからと言って、それが認められず引き離され、違う男性に嫁ぐことになる女性に待っているのは、『ふしだらな』『誰にでも足を開く』『身持ちの悪い』という不名誉なレッテルを貼られた娘を見る嫁家の女性陣からの冷たい仕打ちと虐めだ。唯一、この不名誉なレッテルを貼られずに済むのは、相手が王太子の場合くらいだ。
つまり、アントニウスがアレクサンドラに飽きて帰国した後、アレクサンドラに残された道は、ふしだらな娘だと蔑まれながらも、かつてはよい男友達として過ごした誰かの家に嫁ぐか、世俗の穢れを受けた罪深い娘として、所領内の修道院で生涯を過ごすという道しかない。
「ねえ、アレク」
ジャスティーヌの優しい声に、アレクサンドラの絶望的な思考が中断された。
「今まで、紳士として、同性としてお付き合いしてきたアントニウス様や、殿下、それから大勢の貴族の子息方と、今度は初めて会う異性のアレクサンドラとして付き合うことは大変だと思うわ。でも、レディの強みは、答えたくない質問には答えなくていいこと。それから、その場の雰囲気が嫌だったら、すぐに眩暈とか、気分がとかいって、その場を去ることができることなの。だから、なにか間違えたって思ったら、すぐにそう言って逃げればいいのよ」
ジャスティーヌは言うと、再びアレクサンドラの手をしっかりと握った。
「殿下も、当分の間は、アレクが一人では不安だろうから、自分も一緒にアレクの傍にいてくださるって・・・・・・」
ジャスティーヌの言葉に、アレクサンドラはギョッとした。それはつまり、ロベルトがジャスティーヌと共に傍にいるという事は、常にアントニウスが傍に居るということになる。つまり、いつどこへ行くときも、アレクサンドラのエスコートはアントニウスがするという事だ。
アレクサンドラとしては、百歩どころか、一万歩譲ったって、ジャスティーヌの愛しのロベルトにエスコートなどされたくない。そうすると、ドジを踏まないようにするには、秘密を知っているアントニウスの方が安全なのかもしれないと、アレクサンドラはそう考えて自分を必死に納得させた。
「ちょっと待って、見合いはどうなるの?」
どう考えても、ロベルトの相手なんて、したくもないし、できる気もしない。
「あ、それは、陛下から許可が出て、お見合いの日は、私が殿下と過ごして、アレクはアントニウス様と過ごすという事になったそうよ」
ハンマーで頭を殴られたような衝撃がアレクサンドラを襲った。
そう、見合い中の王太子には護衛もつくし、どう頑張ったところで、なかなか二人きりになんてなることはできない。しかし、その反対で、本来は見合いをしているはずのないアレクサンドラとアントニウスだとしたら、容易に二人きりになることができるし、それこそ屋敷の寝室に連れ込まれても、助けてくれる人はいない。
アレクサンドラは大きなため息をつくと、我が身の不幸を呪うよりも、アントニウスが口だけでなく、本当の紳士であることを祈るばかりだった。
「それでね、今日は、気分がすぐれなくてお目にかかれないってお話したのだけれど、アレク、お礼のお手紙を書ける?」
こうなれば、お礼の手紙だろうと、何だろうと書いてやると、アレクサンドラは腹を括った。
「わかった。今回は、ジャスティーヌの助けを借りずに一人で書いてみる」
「もし、分からないことがあったら、なんでも訊いてね」
優しく微笑むジャスティーヌに、アレクサンドラはどんなことをしてもジャスティーヌの幸せと、アーチボルト伯爵家だけは守って見せると、心のなかで宣言した。