先生と私の見えない赤い糸
***

 次の日、普通に手紙を渡せばいいものを何を血迷ったのか安藤は、自作の小説が書かれたノートに挟んでわざわざ持って来た。

「これ、読んでください。大事なものも、しっかり挟まれてますので」

「あー、例のアレね。わかった、預かる」

「それじゃあ、失礼します」

 なぜか逃げるように去って行く背中を不思議に思いながら眺めつつ、手渡されたノートをパラッとめくって中身を確認した。

 手紙が挟まれていたノートの最初のページに書かれた詩を読みながら、職員室へ向かおうとしたのだが、足を止めて思わず読みふけってしまった。

「へえぇ。コイツは驚いた!」

 自分が書いた創作物を読んで欲しいなんて、安藤は結構大胆な生徒だと思った。まるで僕宛にラブレターを貰った気分になる。なんだかわからないが、ニヤニヤが止まらない。

 次の時間、受け持ちの授業がないのをいいことに、ケロカーの中でじっくりと中身を拝見させてもらった。学校の授業以外でこうやって文章と向き合うのは久しぶりの行為で、思わず添削までしてしまう始末。

(若いっていいなぁ。勢いで何も考えずに書いてる感じが、羨ましいというか何というか)

 ホクホクしながら楽しいひとときを過ごした僕とは対照的に、ノートを取りに来た安藤の顔は酷くやつれ切ったものだった。やつれているんだが、若干頬が赤くなってるのが疑問である。熱でもあるんだろうか?

「ああ、あのノートな。今は手元にない」

「はあ?」

「だってよー、すっごく面白そうな内容だったから、ニヤニヤしながら読んでる姿、誰にも見られたくないだろ。だから、車の中でしっかり読ませてもらった」

「そうですか、読んだんですね……」

 端的なやり取りのあと、頬杖をつきながら僕が読んだと言った途端に、見るからに悔しそうな顔をする。読めと言って渡したクセに、いったいなんだっていうんだろうか?

「間違ってノートを渡しちゃったんです。現国の先生に読んでほしいなんて、そんな大それたことをしませんって」

 他の生徒には見られたくない手紙を、スカートのポケットから落とすドジをやらかしていた奴だからこそ、間違ってノートを僕に渡す失態をしてしまったというところか。

「でもよかったぞ。主人公が死んじゃうとは、予想してなかったけどな」

「それって、最後まで読んだんですね……」

 良かったと誉めてやったからか、更に顔を赤くして俯く安藤。ドジな上に照れ屋なんだ、へぇ。結構可愛いじゃないの。影口叩いてたこと、許してやろうかな。

 テレまくって恥らう様子を好感に思いながら(恥らってるにしては、ちょっと嫌がってるような顔してるのはなぜだ?)創作物について詳しく訊ねたいとことがあったので、思いきってミーティングを提案してみた。

 ケロカーの鍵を渡すと脱兎のごとく職員室を出て行った安藤の姿に、思わず苦笑いを浮かべてしまう。

 きっと話し合いで遅くなる予感がしたので、安藤を送ることになるだろうと家を調べてみたら、自分が住んでいるところと近所であることがわかった。

 自宅から歩いて送って行ける距離に笑ってしまったが、安藤にとっては苦手な僕が近所に住んでるってわかったら、また渋い顔をするんだろうなと予想できてしまった。

***

「少しだけ話が長くなりそうだから、僕のウチに寄った。悪いが、外で待っていてくれるか。家の中をちょっとだけ片付けてくる」

 ケロカーで自宅に到着し、慌てて家の中を片付ける。脱ぎ散らかした服を押入れに突っ込み、食器はシンクに放り込んで――ダッシュボードに無造作に置かれていた写真を手に取り、本棚から適当に本を取り出して挟み込み、また元に戻した。

 まさか生徒を自宅に招くことがあるとは思っていなかったから、もう荒れ放題。 目に付くものからとっとと片付け終えて、外で待つ安藤を呼ぶと、足元においてある郵便受けをじっと眺めていた。

 僕の顔と郵便受けを交互に見る視線は、どことなくなにかを疑っているようなものに感じた。

「あーそれ、可愛いだろ。身内が授業で作ったのを、プレゼントしてくれたんだ」

「へえ、そうなんだ。ふーん」

 懇切丁寧に説明をしたのにも関わらず、安藤はじと目で見つめる。まったく――。

「安藤が考えるような、不純な付き合いを僕はしないって。ガキには一切、興味が沸かん。どこかの理科教師みたいに、見境のないヤツも実際にはいるけどなー」

 どこかのエロ教師をたとえつつ、安藤のオデコにデコピンしてやる。日頃の恨みを、ちょっとだけ混ぜさせてもらった。

 デコピンされてへそを曲げる可愛くない生徒を、苦笑いしながら自宅に招きいれた。

「すごっ、何か図書館みたい……」

 安藤から告げられる部屋の感想に、思わず含み笑いをしてしまう。自宅の自慢といえば、これしかない。

「三木先生、この地域で大地震が起きたら、本に潰されて死んじゃうんじゃない?」

 面白いことを言う安藤にその通りだと答えて、本人が嫌がるコーヒーをわざわざ淹れてやった。コーヒーは苦くて美味しくないもの。そんな先入観を取るべく、ひと手間かけて淹れてやる。

 自分の手間はかかるが、いろんなことを教えることができて、内心ウキウキしていた。

「うん。このコーヒーなら飲めるよ」

 はじめは恐るおそるといった様子で飲んだのに、二口目からは一気飲みしそうな勢いで飲む。余程、気に入ったらしいな。

「コーヒーに限らず、他の苦手なことも見方を変えれば、多少なりとも苦手意識がなくなるんだ。逃げずにどんなことでも、果敢にチャレンジしろよな。その経験が、絶対に文章に生かされるんだから」

 教師らしく説教くさいことをつい口にしてしまったが、素直に頷く安藤の姿に自然と笑みがこぼれてしまう。さてと、ここからが本題だ。

 どうやってコイツの中に潜んでいる、ボキャブラリーを引き出してやろうか――男の僕をまったく疑わずに、素直にホイホイ自宅について来たことを、逆手に取るのも実際面白いかもしれない。

「本題ってなんですか? 三木せ――」

 安藤がかわいらしく小首を傾げた瞬間に抱きついて、強引に床に押し倒してやった。たちまち目の前にある顔色が悪くなり、全身をかちんこちんに緊張させる。

「授業で教わらないコト、僕が手とり足とり安藤に直接教えてやる。おまえが感じるように丁寧にな」

「ちょっ、やだ……。冗談っ!?」

 僕の体を両手を使って必死に押し退けようとしたが、そんなヤワな力を使ってもビクともしないのが男の力だ。どうだ思い知れ!

 恐怖に恐れおののいて顔を引きつらせる安藤の耳元に、そっと告げてやる。

(――あ、シャンプーの香りがいい匂いだなぁ)

「そんなに震えて、初めてなのか? 大丈夫、優しくするから」

 さあ、これに対してどれくらいの反撃が、お前の口から出てくるんだろうか? ――僕の行為を止める威力はあるのかなぁ?

「それ以上、近づかないで変態っ! すっごく気持ち悪すぎて、吐き気が止まらないんだよ、このNHK! ガキには興味ないって言ったクセに、手を出すなロリコン教師っ!」

(やっぱ、これが限界か。もっと罵れる言葉があるだろうよ。これくらいなら、簡単にヤッちゃうぞ)

「あーあ。僕に対する安藤の罵詈雑言は、たったそれだけか? やっぱ足りねーな、それじゃあ」

「――は?」

「ボキャブラリーが、絶対的に足りないって言ってんだよ。ほら次はおまえの番、代われ」

 どこかのお笑い芸人のネタのようなセリフを言って、安藤を僕の上に跨らせた。下腹部に感じるムチッとした重さをダイレクトに感じて、一瞬理性が飛びそうになるが、『僕は教師なんだ!』という気持ちを強く持ち、やられ役になるべく必死に集中した。

「ひーっ、わかりましたよ、もう……。三木先生っ、私のモノになってくださいっ! 多分、好きなんですっ!」

 いいねぇ、ヤル気がみなぎる。が、多分の言葉はいらないだろうよ。そこは愛してるとか、大好きですとか言ってほしかったなー、個人的に。

 イヤイヤながらも安藤は両目をぎゅっとつぶり、顔を近づける。決死の覚悟を伴う演技に、思わず吹き出しそうになった。

 それを頑張って隠しながら、両手で顔を恥ずかしそうに覆い、上半身をくねくねと左右に動かしてやる。
 
「いやっ、やめてっ! 僕には妻と子がいるんですっ。しかも教師と生徒の垣根をこんなふうに、強引に乗り越えちゃうなんて、いけないんだってば! PTAに見つかったら処罰されるのは、絶対に僕の方なんだからね」

「あの……三木先生?」

「大人のすることに興味のある年齢だから、こういうことを進んでやっちゃう気持ち、わからなくはないけど、だからといって、いたいけな僕を襲うなんて、奈美ってば積極的っ」

 顔を隠してる指の隙間から安藤の顔を確認してみると、僕の言葉に翻弄されて、困惑を滲ませた表情をしていた。困り果てて腰を上下に浮かしたりするのは、ちょっと刺激が強いような――。

「ちょっと待って、私は襲ってないし――」

「ああんっ、もう! そんなトコ触っちゃダメ! 感じやすい体なんだからぁ」

 いろんな意味で限界に近いかも。生徒に感じさせられる、アブナイ教師になっちまう。

「……今の違い、わかったか?」

「いや、さっぱり。ぜんぜんわからない」

「さっきも言ったろ。絶対的にボキャブラリーが足りねーって。おまえが言った一の言葉に対して、僕は十くらいは返しているぞ。しかも、白けさせるという技まで見せつけてしまった。すごいだろ?」

 すごいだろと自慢したのに、安藤はなにを言ってるんだコイツという表情を浮かべて、じっと僕の顔を見つめた。

「これからたくさんいろんな経験を積んで、語彙数を増やせばきっと、安藤はいい書き手になれる。頑張れよ」

 そう言って、安藤の頭を優しく撫でてやった。あまりの素直な姿に、つい――。

「――でもやっぱ、女の子は抱き心地がいいわ。柔らかいなぁ……」

 ぽろっと本音をこぼした僕の頬を、思いっきり引っぱたいてくれた安藤。

「せっかく教育的指導をしてるときに、暴力はいけないと思うぞ」

「教育的指導を名目に抱きつくなんて行為は、絶対に認められません。あれは暴力じゃなく、れっきとした正当防衛です!」

 ふてくされた安藤をなんとかしたくて、ノートの冒頭にあった詩をすらすらと暗唱してやる。

「ちょっと待って。どうしてそれを覚えてる!?」

「恥ずかしがることじゃねーって。褒めてるのに、おかしなヤツだな。もっと胸張って、堂々とすればいいのによ」

 テレまくって慌てふためく安藤を、思いっきり誉めちぎってみた。

「せっかくいいモノを持っているのに、そのままにしておくのが惜しいと思ってさ。僕の手で、三日月を満月まで光らせてやるって言ってんだよ」

「三木先生に、それができるっていうの? どんなに考えても、不安しかないんだけど……」

 これでもかと猜疑心溢れる眼差しで見る。それに負けじとメガネを上げて、きりりっと顔の筋肉を引き締めた。

「で、どうするよ。僕の手を取るのか?」

 その言葉にしばし考えてから、安藤はこわごわと右手を差し出してきた。

 こうして僕らは、改めて手を組んで活動することになったのだった。
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