先生と私の見えない赤い糸
***
安藤がいつ来てもいいように、部屋は片付いている。ワクワクしながら覗き穴を覗いて待っていると、不安そうな顔をありありと浮かべて、とぼとぼ歩いてやって来た。
驚かせる気満々で扉を開けると、あからさまに面白い顔に変化する。さすがはカメレオン奈美!
この間と同じように家に入ると、落ち着きなくキョロキョロしてから、僕に向かって声をかける。
「……あの、お借りした本、本棚に戻しておきますか?」
そう提案してくれたので、本が作者順に並んでることを告げてお願いした。
この間貸した本で数冊高い位置にあったから、手伝わねばならないなぁと内心思いながら、背後を気にしつつ、台所でお茶の用意をする。案の定、本棚に片手をつき、うんと背伸びをして高い棚に本を戻そうと腕を伸ばした安藤の背後に、急いで駆けつけた。
「あぶねーな、なにをやってんだ」
口ではこう言ったが、一生懸命な安藤の姿を可愛いと思ってしまった。努力する姿は美しいものだ、うん。
お礼にはならないだろうが、頭を撫でてやる。
(それにしてもコイツ、相変わらずイイ匂いするな)
そう思いながら礼を言って、すぐに台所に戻った。
この間のコーヒーを淹れてやり、飲みながら創作物の話をする。
――主人公が亡くなる話。もしかしたら安藤も僕と同じように、大事な人を亡くしたのかもしれない。
そう思って訊ねてみたが、答えはアッサリと否定された。現実的な事情を聞いて、なるほどなーと納得する。コイツはコイツなりに、能天気にすごしてるように見えて、それなりに大変な悩みを抱えているんだなぁ。それを小説という形で著しているんだ。
「なんて顔してんだ、そんなに親父さんに嫌がらせしたいのか?」
「嫌がらせって、そんなんじゃなく……」
「だったらさ卒業したら、僕のところへお嫁さんにくるといい。これって、すごい嫌がらせだろ?」
思い付きを口にしたら、安藤は途端に顔を赤くさせ、しどろもどろする。あれ、刺激が強かったか?
「でもなー未成年って確か、親の承諾が必要だったような。幼な妻、ゲットならず?」
冗談だよという意味を込めて笑いながら言ってみたら安藤は真顔のまま、テーブルに置かれたノートを手に取り、両手で持って僕の頭に目がけて振り下ろした。
痛くはないけど、ちょっと過剰防衛しすぎじゃないのか?
「もう奈美ってば猛烈に照れちゃって、可愛いなぁ」
いやぁ、新鮮新鮮。からかい応えがある!
内心含み笑いしながらおもむろに立ち上がり、ダッシュボードに置いてあるタバコに手を伸ばしてから、ベランダに足を踏み入れる。外の空気を吸いながら、久しぶりに心から笑ってる自分を感じた。タバコがやけに美味いじゃないか。こんなふうに笑ったのは、いつ以来だろう。
意地悪するたびにコロコロ変わる顔色に、どんどん構い倒してしまう。面白い生徒だよ、奈美ってば。
そう思って振り返り、部屋の中を見てみると、ちゃっかり僕のパソコンの前でしっかり中身を見ている姿を発見した。
「まったく! 油断も隙もありゃしない」
慌ててタバコの火を消して中に入り、ノートパソコンを閉じてやる。
「コラッ! 人のパソコン、勝手に見るなよ」
言いながら拳骨してやったのに、そんなモノはなんのそのという勢いで、安藤は瞳をキラキラさせながら、じっと僕を見つめる。
「三木先生、すっごく面白い。世界経済とか今までそんなの全然興味がなかったけど、コレ読んだらもっと勉強したくなったよ。国語の先生が公民の分野をこんなふうに書くなんて、いろいろ調べなきゃできないことだよね?」
正直そのセリフに、たじろいでしまった。
「おー、まぁな……」
「やっぱり! 書いてある文章もすっごい読みやすいだけじゃなく、わかりやすいから自然と引き込まれちゃった。尊敬しちゃったよ、三木先生。すごいすごい! さすがは、元新聞記者だけのことはあるね」
すごいの連発に、自然と頬が熱くなるのを感じた。生徒に誉められて、何でこんなに照れてるんだよ自分。
「ププッ、何か可愛い」
その言葉にますます照れてしまって、どうしていいかわからない。いい大人が子どもに翻弄されて、どうするんだ……。
「僕はお笑い芸人じゃない。いい加減にしろ、笑いすぎだろ」
「ごっ、ごめんなさい。でもその文章、どこかの新聞か雑誌に載るんだよね?」
当たり前のことを聞いてきた安藤の言葉に、一瞬答えに惑った。
「大人には、大人の事情ってものがあるんだ。しょうがないんだよ」
そう言うしかない。僕自身、納得できない答え方なのだから、当然コイツも納得いかないだろう。
何かが気になるのか、安藤はその後のレクチャーに集中してくれず、この日は呆気なく指導が終わってしまった。
伝えたいことがたくさんあるのに、困った奴だ。
安藤がいつ来てもいいように、部屋は片付いている。ワクワクしながら覗き穴を覗いて待っていると、不安そうな顔をありありと浮かべて、とぼとぼ歩いてやって来た。
驚かせる気満々で扉を開けると、あからさまに面白い顔に変化する。さすがはカメレオン奈美!
この間と同じように家に入ると、落ち着きなくキョロキョロしてから、僕に向かって声をかける。
「……あの、お借りした本、本棚に戻しておきますか?」
そう提案してくれたので、本が作者順に並んでることを告げてお願いした。
この間貸した本で数冊高い位置にあったから、手伝わねばならないなぁと内心思いながら、背後を気にしつつ、台所でお茶の用意をする。案の定、本棚に片手をつき、うんと背伸びをして高い棚に本を戻そうと腕を伸ばした安藤の背後に、急いで駆けつけた。
「あぶねーな、なにをやってんだ」
口ではこう言ったが、一生懸命な安藤の姿を可愛いと思ってしまった。努力する姿は美しいものだ、うん。
お礼にはならないだろうが、頭を撫でてやる。
(それにしてもコイツ、相変わらずイイ匂いするな)
そう思いながら礼を言って、すぐに台所に戻った。
この間のコーヒーを淹れてやり、飲みながら創作物の話をする。
――主人公が亡くなる話。もしかしたら安藤も僕と同じように、大事な人を亡くしたのかもしれない。
そう思って訊ねてみたが、答えはアッサリと否定された。現実的な事情を聞いて、なるほどなーと納得する。コイツはコイツなりに、能天気にすごしてるように見えて、それなりに大変な悩みを抱えているんだなぁ。それを小説という形で著しているんだ。
「なんて顔してんだ、そんなに親父さんに嫌がらせしたいのか?」
「嫌がらせって、そんなんじゃなく……」
「だったらさ卒業したら、僕のところへお嫁さんにくるといい。これって、すごい嫌がらせだろ?」
思い付きを口にしたら、安藤は途端に顔を赤くさせ、しどろもどろする。あれ、刺激が強かったか?
「でもなー未成年って確か、親の承諾が必要だったような。幼な妻、ゲットならず?」
冗談だよという意味を込めて笑いながら言ってみたら安藤は真顔のまま、テーブルに置かれたノートを手に取り、両手で持って僕の頭に目がけて振り下ろした。
痛くはないけど、ちょっと過剰防衛しすぎじゃないのか?
「もう奈美ってば猛烈に照れちゃって、可愛いなぁ」
いやぁ、新鮮新鮮。からかい応えがある!
内心含み笑いしながらおもむろに立ち上がり、ダッシュボードに置いてあるタバコに手を伸ばしてから、ベランダに足を踏み入れる。外の空気を吸いながら、久しぶりに心から笑ってる自分を感じた。タバコがやけに美味いじゃないか。こんなふうに笑ったのは、いつ以来だろう。
意地悪するたびにコロコロ変わる顔色に、どんどん構い倒してしまう。面白い生徒だよ、奈美ってば。
そう思って振り返り、部屋の中を見てみると、ちゃっかり僕のパソコンの前でしっかり中身を見ている姿を発見した。
「まったく! 油断も隙もありゃしない」
慌ててタバコの火を消して中に入り、ノートパソコンを閉じてやる。
「コラッ! 人のパソコン、勝手に見るなよ」
言いながら拳骨してやったのに、そんなモノはなんのそのという勢いで、安藤は瞳をキラキラさせながら、じっと僕を見つめる。
「三木先生、すっごく面白い。世界経済とか今までそんなの全然興味がなかったけど、コレ読んだらもっと勉強したくなったよ。国語の先生が公民の分野をこんなふうに書くなんて、いろいろ調べなきゃできないことだよね?」
正直そのセリフに、たじろいでしまった。
「おー、まぁな……」
「やっぱり! 書いてある文章もすっごい読みやすいだけじゃなく、わかりやすいから自然と引き込まれちゃった。尊敬しちゃったよ、三木先生。すごいすごい! さすがは、元新聞記者だけのことはあるね」
すごいの連発に、自然と頬が熱くなるのを感じた。生徒に誉められて、何でこんなに照れてるんだよ自分。
「ププッ、何か可愛い」
その言葉にますます照れてしまって、どうしていいかわからない。いい大人が子どもに翻弄されて、どうするんだ……。
「僕はお笑い芸人じゃない。いい加減にしろ、笑いすぎだろ」
「ごっ、ごめんなさい。でもその文章、どこかの新聞か雑誌に載るんだよね?」
当たり前のことを聞いてきた安藤の言葉に、一瞬答えに惑った。
「大人には、大人の事情ってものがあるんだ。しょうがないんだよ」
そう言うしかない。僕自身、納得できない答え方なのだから、当然コイツも納得いかないだろう。
何かが気になるのか、安藤はその後のレクチャーに集中してくれず、この日は呆気なく指導が終わってしまった。
伝えたいことがたくさんあるのに、困った奴だ。