先生と私の見えない赤い糸
***

 自宅アパートで、いつものように奈美を待つ。
 そう、いつものように待っていられるわけがない。なぜだか落ち着かないのだ。吸いたいタバコを我慢して家の中をウロウロしてる僕の姿は、かなぁり滑稽だろう。
 奈美の豹変で否応なしに心が波立つ。もしかして嫌われるようななにかを、知らない間にしてしまったのかもしれない。だからあんなふうに、素っ気無いのかも……。
 ウロウロしながら覗き穴を何度も覗くこと6回目で、奈美がやっと来た。無言でいきなり扉を開けると、相変わらず呆けた顔をする。

「んー、反応はいつも通りだな。入れよ」

 促しながら家に招き入れたら、いつものように挨拶して中に入った。

「早速だが、隠してること全部吐け。吐いたら、すっごく楽になるぞ」

 図書室の時同様に、ズバッと聞いてみた。奈美は制服のポケットに手を入れ、むーっと考えながら本棚に目をやる。

「ずっと聞きたいことあったけど、何かムダに考えちゃって聞けなくて……」
「何が?」
「こっ、これについてなんですっ!」

 身を翻し本棚から『古事記』を抜き出すとぱらぱらめくって写真を取り出し、テーブルに置いて僕に見せた。
 それはダッシュボードに置いてた写真で、奈美に見せないようにすべく、慌ててこの本の中に隠したものだった。
(まいったな――触れて欲しくない僕の過去)
 重たい空気が体を包み、時計の秒針の音が静寂の時間を刻む。
 僕は大きなため息をついて、奈美の顔を見た。

「こんな過去のことを持ち出して、なにが知りたいんだ? 知ってどうする?」
「そっそれは、えっとただの好奇心からで――」
「好奇心か、なるほどね。僕みたいな男が女の子と一緒に写ってる写真、珍しいもんな」

 写真を手にとってしげしげと眺め倒し、改めて見てみる。楽しそうな顔をした、僕と妹が写真の中で笑っていた。

「もう終わった過去なのに、引きずってるように見えるのは、私の気のせいなのかな」
「……引きずるさ。このコ俺が殺したようなもんだからな」
「え――!?」

 悔やまずにはいられない、過去の出来事だった。

「自分の夢に夢中になって、大事なものを壊したんだ。軽蔑したければ、すればいいさ」
「軽蔑なんて……しないよ。だって」

 さっきまで俯いていた顔を上げてしっかりと僕のことを、じっと見つめる。

「どんな過去があっても、軽蔑なんてしないよ! だって私は、三木先生のことが好きだから……大好きだから!」

(は――!? 今、何て言った?)

 妹の写真を持ち出され、ぼんやりしていた自分に告げられた言葉に、唖然とするしかない。

「奈美……?」
「その……よく分らないんだけど、いつの間にか好きになっちゃった、みたな」
「好きって、お前――」

 写真から奈美に視線を移すと、慌てて俯きながらもじもじしている姿があった。
 必死に告げられた言葉の内容に、年甲斐もなく胸の鼓動が全速力でドクドク駆け出していくのを感じる。

「相変わらずボキャブラリー足りないから、上手く言えないんだけど。未だにどこが好きか分んないし、正直顔だって好みのタイプとはほど遠いし、性格だって変だし、何考えてるか分らないし、なのにどこか計算高くってちょっとだけ授業中、格好良く見えることがあったり」
「何だかほとんど、けなされてるようにしか聞こえないんだが」

 思わずクスクス笑い、立ち上がって右頬をポリポリ掻きながら、奈美の目の前に立つ。

「ありがと。やっぱ好きって言われると嬉しいもんだな」

 自分と同じ気持ちでいてくれて、本当に嬉しいって思うよ。だけど――。

「でもお前は、僕の可愛い生徒だから、その……」
「……私が卒業したら、もう生徒じゃなくなるよ。三木先生のお嫁さんにだってなれるんだし」

 今度は僕が困り果てる番になった。まっすぐに向けられる想いに、どう接していいか分からない。

「お願いだから言葉を濁さないできちんと三木先生の気持ち、教えて下さい!」
「教えろって、言われてもだなぁ」
「私、知ってるんだよ。誰かに頼まれて書いてる文章、本当は書きたくないんだって」

 その言葉に、胸が締め付けられる感じを覚えた。

「そんなこと、ないって……」
「ウソつかないでよ。じゃあどうしてここで仕事してるとき、今みたいにやるせない目をしてるの? 目は口ほどに、物を言ってるんだよ三木先生!」

 奈美……お前は何ていう酷な事実を、僕に言うんだろうな。痛みがこれでもかと倍増するじゃないか。

「奈美、落ち着けって」
「本当のこと、ちゃんとい――」

 お前の口から、これ以上聞きたくない――

 傷つきたくないという思いとか、愛しいという想いがグチャグチャになり、奈美の唇に自分の唇を重ねてしまった。
 柔らかい体。しっとりした唇……。いい匂いが僕を包む。
 荒々しいくちづけを反省しつつ、そっと唇を離すと奈美は泣いていた。

「これが僕の気持ちだ、分ったか?」

 お前のことが好きだよ。愛しい僕の教え子。

 頬に伝っていた涙を優しく拭ってやる。触れるだけで、もっと欲しくなってしまった。マズイな……。

「よし、分ったなら、今すぐ帰れ。帰らないとヤバいから」
「ヤバいって、何が?」
「今のお前、可愛すぎるから……。教師と生徒の垣根を、超えちゃうかもって話だ。さっさと帰れ」

 気持ちを吹っ切るように、奈美の頭を乱暴に撫でてやった。

「あ……」
「そんな期待のこもった目で、僕を見るなよ。ダメダメ、まだ早いから!」

 なんで僕の言葉に反応してるんだ。ヤっちゃってみたいな目で、煽るなっていうの。
 強引に奈美の背中を玄関に向かって、どんどん押して行く。

「気をつけて帰れよ。いいか、まっすぐ家に帰るんだぞ」
「分ってるよ。三木先生あの……」

 玄関で靴を履き、もじもじしながらゆっくりと振り返る。

「先生の気持ち、嬉しかったです。ありがと……」

 真っ赤な顔をして告げられた言葉が、胸にじんと染み渡った。

「おー、それは良かった。じゃあな」

 テレまくって頬をポリポリ掻く僕を見てから、逃げるように帰って行く奈美。閉じられた扉に背中を預け、天井を仰ぎ見る。

「このまま一緒にいたらきっと――間違いなく……手を出してしまう自信がある」

 大事にしたいという想いと、愛おしいという気持ちが相まって、僕の体の中でせめぎあった。

「このままじゃ、いけないよな」

 教師をしながら、ゴーストライターをこなす自分。そんな中途半端な僕を、奈美は好きでい続けてくれるだろうか? 文章を書くことしか取り得のない僕を、まっすぐ好きになってくれたお前に向かい合うためには――。

「答えはひとつしかない。勇気を出せ、奈美のために」
 
 僕は迷うことなくパソコンの前に座り、先輩に宛ててメールを書いた。

『いつもお世話になっております。突然ですがこれからの事について、直接話し合いたいです。お時間いただけませんか?』

 メールを送信し、ゆっくり立ち上がる。
 周りを見渡して、大きなため息をつきながら腕まくりをした。量の多い本を片付けるよりも、自分の気持ちの整理がつかないことに少々苛立ちながら、引越しの準備を始めた。
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