先生と私の見えない赤い糸
***

 手紙で指示された通り放課後、転ばない程度の急ぎ足で、進路指導室に向かった。そして扉の前で深呼吸してから、はやる気持ちを抑えるようにノックする。

「失礼しまーす!」

 中からの返事を待たずに、勢いよく扉を開けてしまった。そこで目にしたものは――。

「おー、やけに早かったのなー」

 机に頬杖をついてこっちを見た三木先生と、見慣れたクラスメートの小さな背中だった。

「鹿島さん?」

 私の声にビクッと肩を震わせ、ゆっくり振り返る。鹿島さんの顔色は真っ白で、瞳は少しだけ涙目になっていた。

「たった今、検証してたトコだ。本人も手紙の差出人だって認めたぞ」

 机の上には今日やった小テストの答案用紙と、例の手紙が置いてあった。事実を突きつけるための、逃げられない証拠といったところだろう。

「あの鹿島さん、三木先生を使って、あなたを捜し出してごめんね。一方的に手紙をくれても返事ができなかったし、私から伝えたいこともあったから」

 泣き出しそうな顔をしている彼女の手前、迷惑という言葉がどうしても言えなかった。

「……安藤さん、学園祭のとき一人で作業していた私に、一緒にやろうって声をかけてくれたでしょ。あれ、すごく嬉しかったんだ。それがきっかけで仲良くなれた気がしたのに、最近全然見向きもしてくれなくて、寂しくて……」

「人気ホステスと、客のトラブルみたいな話だな」

(なんちゅーたとえ方をしてるんだろう。まったく……)

 ボソリと呟く三木先生を、私は顔を引きつらせて睨んだ。その視線に気がついたのか、三木先生はごほんと咳払いをしてから、改めて鹿島さんに話しかける。

「あー、鹿島もだな、こんな手紙を出さないで、思いきって自分から話しかけたりしてみれば良かったんじゃないか? 安藤だけじゃなく、いろんな人と友達になったほうが楽しいと思うぞ」

 ナイスな提案をしてくれた三木先生の言葉に、無言で何度も頷いてしまった。

「私は、安藤さんとだけ仲良くしたいんです。そのほうがきっと、彼女のためにもなるし」

 告げられた鹿島さんのセリフに、嫌な感じを覚えた。

「なにそれ? なんか得があるみたいな言い方して……」

「私のお父様の会社の下請けに、安藤さんのお父様の会社があるんだよ。だから仲良くすれば、きっと――」

「はぁ? なにを言ってんの? 友達付き合いに親は関係ないって!」

 信じられない言葉がきっかけになって、つい声を荒げてしまった。見るからにイラつく私を見て、三木先生は目の前で両手を上下させる。

「まーまー、落ち着け安藤。友達の形だって、いろいろあるもんだ。否定してやるな。だがな鹿島、安藤ひとりを縛りつける付き合い方は先生、反対だぞ」

「でも私は、安藤さんが好きなんですっ! 独り占めしたいんです」

 悪寒がぞわぞわっと走る。どうして私にこんなふうに執着しているのか、まったく理解できない。学園祭のときだって、普通に接していただけ。それなのにここまで好きになられる要素は、どこにもないハズだった。

 思わず自分の体を、ぎゅっと抱きしめてしまう。

 あからさまに毛嫌いする私の態度に、三木先生は困った顔して頭を抱え込む。

(――だよね。三木先生でも、頭を抱えちゃう案件だよ)

「……鹿島、どんなに安藤が好きでも、独り占めはできない。安藤の周りには、いつも友達が囲っているし――」

 言いながらなぜかメガネを外し、髪をかき上げる。その仕草は全然似合ってなくて、さらなる悪寒を呼び寄せた。正直、笑いを堪えるのに必死だったりする。

「だけど安藤の心は、僕が独り占めしているからな。何人たりとも、誰も入れないんだよ。教師と生徒の関係を越えて、愛し合ってしまったんだ……」

「いいい、いきなり、なにを言い出してんの、三木先生っ!」

 思いを馳せるような表情で、なにもない空間を見ながら熱く語る三木先生に、激しく抗議するしかない。

「もう安藤ってば真っ赤な顔して、そんなに照れることないだろ。誰にもおまえを渡したくないから、つい本音が漏れてしまってだなー」

 かなり芝居がかったセリフを流暢に喋っているのに、しっかりと目が笑っているではないか。間違いなく面白がって、こんなことをやっているに違いない!

「でも安藤さん、三木先生に変なあだ名をつけて、率先してバカにしてましたけど」

 いつまでも格好つけてる三木先生に呆れたのか、鹿島さんが茫然自失してる私を見ながら、馬鹿にしている事実を突きつけた。

「ああ、NHKのことだろ。あれはだな、みんなの前でバカにして、他の誰にも捕られないようにした、奈美なりの予防線なんだよ。NHKの本当の意味だって、濡れちゃうほど惹きつけられて困っちゃうの略だしな」

「ななな、なに言ってくれちゃってるの、このエロ教師っ!」

 教師のクセになんていうことを、生徒の前で堂々と言えるんだよ。信じられない……。

 もっと文句を言ってやろうと口を開きかた瞬間に、三木先生は椅子から素早く立ち上がり、こっちに歩いてきて、ぎゅっと私の肩を抱き寄せた。いきなり近くなる距離感に、思わずドキッとしてしまう。

「三木先生と安藤さん、もう深い仲なんですね……」

(――濡れちゃうくだりで、深い仲が決定なのか!?)

「そういうことだ、だから諦めてくれ。そしてこのことは三人の秘密だ、いいな鹿島」

「秘密?」

「そうだ。他の誰も知らない、僕たちだけの秘密だ。つまり安藤の秘密を、おまえだけが握っていることになる。安藤と鹿島が友達として、特別な関係になることができるな」

「特別な関係……」

 ウソばかりを並べたてた三木先生の言葉に、なぜか目をキラキラさせる鹿島さんが非常にコワイ。

「鹿島、絶対に内緒だぞ。そういうことなので、影ながら僕たちを応援してくれ。良かったな奈美、身近でこのことについて、相談できる友達ができて」

 肩に回された三木先生の手に、なぜだか力がこもった。

(これは頷けと言ってるんだろうか。もう素直に頷く以外の方法が思いつかないし……)

 視線を逸らしたまま力なく二回だけ、首を縦に振ってやる。

「安藤さんっ、なにか困ったことがあったら、私が相談に乗ってあげる。遠慮しないで言ってね。応援するよ」

「そう。どうもありがと……」

 私の右手を両手でぎゅっと握りしめ、応援をアピールしてくれる鹿島さんに、同じようなリアクションを返せなかった。

「おふたりの邪魔しちゃ悪いので、さっさと帰ります。さようなら」

「気をつけてな、応援ありがとう!」

 爽やかに言い放ち、鹿島さんを見送る三木先生。私がハニワ顔したまま見上げると、目を細めて柔らかく微笑んだ。

(――メガネがないほうが、ほんのちょっとだけ格好よく見える気がする……)

「この間も、思ったんだが――」

「なに?」

「おまえ、ほのかにいいニオイするな」

 そう言って、わざわざ顔を近づけながら改めて人の匂いを嗅ごうとしたので、その頭を思いっきり殴ってやる。進路指導室に、なにかがカチ割れたような音が響いた。

「つっ! 痛ってーな。脳みそが耳から漏れたら、どうするんだ?」

「そんなの知らないっ! なおざりな変態教師なんだから、大丈夫でしょ!」

 とっさに考えた、NHKネタで応戦してみた。

 いろんなことに憤慨する私に、三木先生はププッと笑って叩かれた頭を撫でる。

「ナイトのように半端なく決まってる僕を、変態扱いするのは、いただけないんじゃないか。先生はカレシ(仮)な、関係なんだからさ」

 人生経験が豊富じゃない私は、三木先生にどう足掻いても太刀打ちできないんだろうか。しかも先生はカレシ(仮)って、いったい……。何の乙ゲーなんだよ。

 がっくりと肩を落として激しくうな垂れる私を、三木先生は鹿島さんが座ってた椅子に無理やり座らせる。

「とにかく良かったじゃないか。これで手紙地獄から解放されたんだし、鹿島に執拗に迫らせることもないんだから。安心して過ごせるぞ」

「鹿島さんが私と三木先生が付き合ってること、他の人に言うかもよ?」

 上目遣いで目の前に座った三木先生を眺めながら、今後起こりそうなことを口にしてみた。どこぞの理科教師の噂話しかり――女子校でなされる噂話の早さを、身をもって知ることになるかもしれない。

「絶対に言わないさ。自分しか知りえない秘密をわざわざバラして、特別な関係を崩すようなコじゃない。秘密を共有して、強く繋がっていたいんだから」

「なにそれ? もう全然わからない。理解できないよ」

 呆れ返る私の頭を、三木先生はゆっくりと撫でてくれる。大きなてのひらが落ち着けと言ってるみたいに、どことなく感じてしまった。

「僕の裏打ちされた計算で動かした。大丈夫だから……。なにかあったら、また相談に乗ってやるし」

「授業で必ず間違い起こす三木先生だからこそ、安心できないんだってば」

 手紙が置きっぱなしになってる机をバンバン叩いて、安心できないことを自分なりにアピールしてみた。

「安心できないから、集中して授業を聞いてるだろ。どこかツッコミどころないか、みんな目を凝らして探してるもんな。それも計算の内さ。完璧な授業は、つまらないだろうし」

(ガーン! なんかすっごくショックだ。三木先生の計算で、みんなが動かされていたなんて……)

「このこと、誰にも言うんじゃないぞ。絶対に秘密なー」

 わー、奈美と秘密の共有しちゃった。なーんて、ウキウキしながら言って机の上に置いていた、メガネをかけ直す。

「言わないよ。言いたくもない……」

 こんな変な教師に踊らされてるなんて、思いたくもないし。

「この後、時間あるか? ノートに書いてあった小説について、話がしたいんだが」

「先生の家で?」

「ああ。用事を済ませてからだから、この間より少し遅くなるけどな」

「それなら読み終わった本を返したいから、自宅に帰って先生の家に直接行くよ」

 自分の書いた小説のことで、三木先生と話ができる――思わず口元を綻ばせたら、目の前でやっぱりなぁと小さな声で呟いた。

「安藤はよくまぁ、ここまで表情がクルクルと変わるよな。ペンネームはやっぱ、カメレオン奈美がいいぞ」

(平気な顔して、生徒をバカにする教師の指導を受けるのは、本当に大丈夫なんだろうか……)

 そんな一抹の不安を抱えながら、三木先生の足を無言で踏みつけ、進路指導室をあとにしたのだった。 
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