God bless you!~第10話「夏休みと、その失恋」
★★★ 後編〝ノッてる〟
いい顔
夏休み。
7月下旬。
日中温度は35度をマークして、この夏の最高気温となった。
今日、バレー部は朝から一日中、外コートで練習となる。
休憩の度に木陰に飛び込んで寝転がる。水を飲む。雨乞いをする。何もしなくても汗は流れる。体力も集中力も奪われるような暑さの中で、俺達はひたすらボールに食らい付いた。
今日からしばらくノリが居ない。早速始まったオープンキャンパス、ノリは遠方の大学を希望して、さっそく学校訪問に繰り出した。
ノリだけではない。バレー部だけでも3人、3年生が欠席している。
自分も焦る。元から受ける予定の地元大学を見学する事は予定にあったが、一方で、新しいチャレンジには、勢いが付かないまま。
部活を終えて、午後6時。
ノリが居なくて一人きり。例え居たとしても、ノリは彼女の元へ消えてしまうから、いつも1人と言えば1人だな。
こういう時、思うのだ。付き合ってる相手が居ながら、1人きりの放課後を過ごすなんて……桂木に寂しい思いをさせていたことを、今頃になって後悔したって……今更だ。
このまま真っ直ぐ家に帰るのは勿体ない気もして、しばらくは町の通りを徘徊。しばらく行くと、学習塾の前を通り掛かった。
塾の実績、講師の顔ぶれを眺めて途方に暮れる。
近頃、やけに他の塾の様子が気になる。
今行っている塾も悪くない。
だけど、新しい目標には何か足りない気がして。
また少し歩いて、駅からかなり離れた辺りまでやって来た。普通は自転車でしか訪れない場所だ。殆ど隣駅が近い。駅に隣接するマクドナルドから、恐らく中学生とおぼしき女子が団体で吐き出された。
たまたま通りがかったビルの前、2階から5階までが塾。
それぞれ全く別の学習塾が並んで入っている。そんなカオスが存在すること自体知らなかった。(まさか、あるある?)
いつものように合格実績をぼんやり眺めていると、エレベーター前、ドリンクを片手に阿木と思しき制服女子が居る。向こうもこっちに気付いたようで、1つエレベーターを見送って出てきた。
「珍しい人に会った」と、まるで人見知りするように、阿木は首を傾げる。
こっちも首を傾げたら、
「私、今年からこの3階の塾に行ってるのよ」
見学もできると言う。
興味が沸いて、阿木にも誘われて、ちょっと入ってみた。
私立コースに知り合いが居て、聞けば、今日は模擬試験を受けたらしい。
色々なデザインの制服。部活帰りのヤツ。私服姿もかなり居る。
「これから授業だから」と言う阿木とは、受付前のロビーで別れた。
手持ち無沙汰、時間を持て余して、ラックに並んだ塾の案内を手に取る。
今さら、もう遅いかもしれない。国立なんて、3年の夏休み、そんな土壇場でも間に合うのかな。1年の時から準備しているヤツなんて、たくさんいる事も知っている。
5教科。
7科目。
これから……途方に暮れるとしか。
受付の前を通り過ぎた時、「ちょっといい?」と声を掛けられた。
30代前半、スーツの男性……察するに、ここの講師だろう。
名札にもそう書いてある。
国立理系クラス 講師 古屋ヒデキ。
頭良さそう。有能っぽい。それに言及する以前に、身体が細過ぎる。
俺より低い身長で175㎝位に見えるけど、60キロも無さそうだ。
返事をすると、「理系クラスにこれ、配っといて」とプリントをどっさり渡されて。ここの生徒じゃないんですけど……と言い掛けた時にはもう扉の向こう……仕方なく引き返して、受付の人に尋ねた。
場所を教わって、その教室に入る。
理系あるある。男子が多い。メガネ率が高い。沈黙の中で、ひたすらシャーペンが動く。誰も、何も語らない。雑談している輩は皆無だった。
その中に、見覚えのある顔がある。
重森だ。
あっちは嫌悪を隠しもしない……かと思いきや、その口元が不埒に歪む。
「今頃来てんのか。てゆうかおまえ、修道院に推薦決まってんだろ」
瞬間、周囲からの鋭い視線が突き刺さった。
推薦が決まってる事への妬みか、あるいは、国立に比べてレベルの低い大学にさっさと決めた輩に対する優越感か。いずれにしても空気が異様な世界だ。
怯むな、俺。
そこへ、さっきの講師が入ってきた。
「席についていいよ」と言われて、そこで自分は生徒ではない事を伝える。
「うわぁ、それは悪かったね」
この戦場には不似合いな清々しい笑顔。少なからず救われたかもしれない。
「よかったら、席空いてるから見学していってよ」と誘われて、どうしようかと迷っていたら重森が、「先生、こいつは推薦で楽に決めてるから、超ムダですよ」と来る。
ムッときた。
だから、受けて立つ。
「見学します」
終わって、夜9時。
阿木と、さっきの……確か、古屋先生。
何やら立ち話をしている所を通り掛かった。
阿木がこっちに目配せをして、その場を立ち去る。
何だろう?と思っていると、「ちょっといいかな」と古屋先生に呼び止められて、受付横のロビーに向かい合って座った。
その場で、塾のパンフと夏期講習の申し込み用紙を渡される。
「まだそこまでは」と言い掛けると、「うん。分かってる。悪いんだけど、アンケートだけ書いてくれる?大人の事情でね。営業の爪痕っていうのかな。ごめんね」
そこまでぶっちゃけられると、いっそ清々しい。
アンケートに名前、住所、その他色々……書き込んだ。
書いている間中に、塾の印象を聞かれて、「勉強する雰囲気が学校と違うっていうか。今の塾とも違って、気迫が感じられて」
思うままを答えた。
ここでは言わないけれど、古屋先生にも好感が持てる。
「どこ受けるんだっけ?」と、志望校を聞かれて、
「推薦で修道院です」と、今の事実ありのままを答えた。
他は受けないの?とは聞かれなかった。
指定校推薦とは囚われの鎖のようなもの。
何を言ってもムダな事は100も承知だと思う。
そういう事情で、新しく何かを始めるには決断が難しい事も伝えた。
思い切って推薦を蹴ったら……何かが動き出す、と言う事もあるだろうか。
古屋先生は1度席を外した。
「飲む?」と右手に紙コップを持って、再びやって来る。
麦茶だ。「いただきます」
「これ、去年の試験問題集」
古屋先生は、20枚程のプリントをどっさり寄越した。
「港北大学だけど、知ってる?」
はい、と頷いた。阿木が受ける所だ。
「ここはいくつか新設の学部があってね、多分だけど、今年はそんなに難しくないんだよ」
それからも先生は、その大学の説明を延々と続けた。
大学の宣伝。まるで大学側の回し者かと訝る程、ずいぶん褒める。
だが聞いてて悪くない。去年できたばかりの学部はキャンパスも新しいらしく、すこぶる綺麗な大学なんだろうと、ちょっと星和大付属を思い出した。
「これあげるから、またおいでよ」と、どっさり渡されて……その間、妙な間がある。
これは、真っ白で持ってきたら、ただじゃ置かないという事なのか。
〝またおいでよ〟とは?
それはつまり全部しっかり解いて持って来い、と?
無言の圧力のせいか、やけに喉が渇く。俺は紙コップのお茶を飲み干した。
話は終わったはずなのに古屋先生が自分から席を立たない。
様子を見つつ、自分から立つ。
すると、先生も立ち上がる。
清々しい笑顔で笑うと、握手を求められたので、成り行き上、手を出した。
「いい顔してるね。もしその気があるなら、僕と一緒にがんばろう」
いい顔……そんな事、初めて言われた。
顔の造作の事では無い。それぐらいは分かる。そこを取り上げて褒められた事なんか1度も無い。ここまで直球、突き抜けて来られると、照れ臭いとか恥ずかしいとかを通り越した。
自分には手に負えない期待感で、体中が騒ぐ。足元から粟立つ感じで。
古屋先生の手は、骨張って、俺よりも一回り大きい。
まるで、大人同士の握手のようだと感じる。
7月下旬。
日中温度は35度をマークして、この夏の最高気温となった。
今日、バレー部は朝から一日中、外コートで練習となる。
休憩の度に木陰に飛び込んで寝転がる。水を飲む。雨乞いをする。何もしなくても汗は流れる。体力も集中力も奪われるような暑さの中で、俺達はひたすらボールに食らい付いた。
今日からしばらくノリが居ない。早速始まったオープンキャンパス、ノリは遠方の大学を希望して、さっそく学校訪問に繰り出した。
ノリだけではない。バレー部だけでも3人、3年生が欠席している。
自分も焦る。元から受ける予定の地元大学を見学する事は予定にあったが、一方で、新しいチャレンジには、勢いが付かないまま。
部活を終えて、午後6時。
ノリが居なくて一人きり。例え居たとしても、ノリは彼女の元へ消えてしまうから、いつも1人と言えば1人だな。
こういう時、思うのだ。付き合ってる相手が居ながら、1人きりの放課後を過ごすなんて……桂木に寂しい思いをさせていたことを、今頃になって後悔したって……今更だ。
このまま真っ直ぐ家に帰るのは勿体ない気もして、しばらくは町の通りを徘徊。しばらく行くと、学習塾の前を通り掛かった。
塾の実績、講師の顔ぶれを眺めて途方に暮れる。
近頃、やけに他の塾の様子が気になる。
今行っている塾も悪くない。
だけど、新しい目標には何か足りない気がして。
また少し歩いて、駅からかなり離れた辺りまでやって来た。普通は自転車でしか訪れない場所だ。殆ど隣駅が近い。駅に隣接するマクドナルドから、恐らく中学生とおぼしき女子が団体で吐き出された。
たまたま通りがかったビルの前、2階から5階までが塾。
それぞれ全く別の学習塾が並んで入っている。そんなカオスが存在すること自体知らなかった。(まさか、あるある?)
いつものように合格実績をぼんやり眺めていると、エレベーター前、ドリンクを片手に阿木と思しき制服女子が居る。向こうもこっちに気付いたようで、1つエレベーターを見送って出てきた。
「珍しい人に会った」と、まるで人見知りするように、阿木は首を傾げる。
こっちも首を傾げたら、
「私、今年からこの3階の塾に行ってるのよ」
見学もできると言う。
興味が沸いて、阿木にも誘われて、ちょっと入ってみた。
私立コースに知り合いが居て、聞けば、今日は模擬試験を受けたらしい。
色々なデザインの制服。部活帰りのヤツ。私服姿もかなり居る。
「これから授業だから」と言う阿木とは、受付前のロビーで別れた。
手持ち無沙汰、時間を持て余して、ラックに並んだ塾の案内を手に取る。
今さら、もう遅いかもしれない。国立なんて、3年の夏休み、そんな土壇場でも間に合うのかな。1年の時から準備しているヤツなんて、たくさんいる事も知っている。
5教科。
7科目。
これから……途方に暮れるとしか。
受付の前を通り過ぎた時、「ちょっといい?」と声を掛けられた。
30代前半、スーツの男性……察するに、ここの講師だろう。
名札にもそう書いてある。
国立理系クラス 講師 古屋ヒデキ。
頭良さそう。有能っぽい。それに言及する以前に、身体が細過ぎる。
俺より低い身長で175㎝位に見えるけど、60キロも無さそうだ。
返事をすると、「理系クラスにこれ、配っといて」とプリントをどっさり渡されて。ここの生徒じゃないんですけど……と言い掛けた時にはもう扉の向こう……仕方なく引き返して、受付の人に尋ねた。
場所を教わって、その教室に入る。
理系あるある。男子が多い。メガネ率が高い。沈黙の中で、ひたすらシャーペンが動く。誰も、何も語らない。雑談している輩は皆無だった。
その中に、見覚えのある顔がある。
重森だ。
あっちは嫌悪を隠しもしない……かと思いきや、その口元が不埒に歪む。
「今頃来てんのか。てゆうかおまえ、修道院に推薦決まってんだろ」
瞬間、周囲からの鋭い視線が突き刺さった。
推薦が決まってる事への妬みか、あるいは、国立に比べてレベルの低い大学にさっさと決めた輩に対する優越感か。いずれにしても空気が異様な世界だ。
怯むな、俺。
そこへ、さっきの講師が入ってきた。
「席についていいよ」と言われて、そこで自分は生徒ではない事を伝える。
「うわぁ、それは悪かったね」
この戦場には不似合いな清々しい笑顔。少なからず救われたかもしれない。
「よかったら、席空いてるから見学していってよ」と誘われて、どうしようかと迷っていたら重森が、「先生、こいつは推薦で楽に決めてるから、超ムダですよ」と来る。
ムッときた。
だから、受けて立つ。
「見学します」
終わって、夜9時。
阿木と、さっきの……確か、古屋先生。
何やら立ち話をしている所を通り掛かった。
阿木がこっちに目配せをして、その場を立ち去る。
何だろう?と思っていると、「ちょっといいかな」と古屋先生に呼び止められて、受付横のロビーに向かい合って座った。
その場で、塾のパンフと夏期講習の申し込み用紙を渡される。
「まだそこまでは」と言い掛けると、「うん。分かってる。悪いんだけど、アンケートだけ書いてくれる?大人の事情でね。営業の爪痕っていうのかな。ごめんね」
そこまでぶっちゃけられると、いっそ清々しい。
アンケートに名前、住所、その他色々……書き込んだ。
書いている間中に、塾の印象を聞かれて、「勉強する雰囲気が学校と違うっていうか。今の塾とも違って、気迫が感じられて」
思うままを答えた。
ここでは言わないけれど、古屋先生にも好感が持てる。
「どこ受けるんだっけ?」と、志望校を聞かれて、
「推薦で修道院です」と、今の事実ありのままを答えた。
他は受けないの?とは聞かれなかった。
指定校推薦とは囚われの鎖のようなもの。
何を言ってもムダな事は100も承知だと思う。
そういう事情で、新しく何かを始めるには決断が難しい事も伝えた。
思い切って推薦を蹴ったら……何かが動き出す、と言う事もあるだろうか。
古屋先生は1度席を外した。
「飲む?」と右手に紙コップを持って、再びやって来る。
麦茶だ。「いただきます」
「これ、去年の試験問題集」
古屋先生は、20枚程のプリントをどっさり寄越した。
「港北大学だけど、知ってる?」
はい、と頷いた。阿木が受ける所だ。
「ここはいくつか新設の学部があってね、多分だけど、今年はそんなに難しくないんだよ」
それからも先生は、その大学の説明を延々と続けた。
大学の宣伝。まるで大学側の回し者かと訝る程、ずいぶん褒める。
だが聞いてて悪くない。去年できたばかりの学部はキャンパスも新しいらしく、すこぶる綺麗な大学なんだろうと、ちょっと星和大付属を思い出した。
「これあげるから、またおいでよ」と、どっさり渡されて……その間、妙な間がある。
これは、真っ白で持ってきたら、ただじゃ置かないという事なのか。
〝またおいでよ〟とは?
それはつまり全部しっかり解いて持って来い、と?
無言の圧力のせいか、やけに喉が渇く。俺は紙コップのお茶を飲み干した。
話は終わったはずなのに古屋先生が自分から席を立たない。
様子を見つつ、自分から立つ。
すると、先生も立ち上がる。
清々しい笑顔で笑うと、握手を求められたので、成り行き上、手を出した。
「いい顔してるね。もしその気があるなら、僕と一緒にがんばろう」
いい顔……そんな事、初めて言われた。
顔の造作の事では無い。それぐらいは分かる。そこを取り上げて褒められた事なんか1度も無い。ここまで直球、突き抜けて来られると、照れ臭いとか恥ずかしいとかを通り越した。
自分には手に負えない期待感で、体中が騒ぐ。足元から粟立つ感じで。
古屋先生の手は、骨張って、俺よりも一回り大きい。
まるで、大人同士の握手のようだと感じる。