God bless you!~第10話「夏休みと、その失恋」
最高の笑顔、再び
もうすぐ、予選大会。
夏休み、今年はどこにも行けない。ていうか、元からそんな期待はしない。
海の日って、いつだっけ?
とりあえず、今日から8月。
今日もバスケ部が静かだ。
遠征に行ったきり。順調に勝ち進んでいるだろう。
右川の兄貴は居なかった。やるだけやって満足、もう用は無いといった所か。
石原は、すっかり元気を取り戻した。
重厚な激烈スパイクを見せつけてからというもの、芯から名実共にエースの貫録までもが感じられる。これから始まる予選大会、どういう結果になっても後悔は無いだろう。まるで、怖しくドラマティックな何かのプロローグのように感じて、俺は独り悦に入っていた。
右川の兄貴も、そういう気分でいる気がする。
色々してヤラれたけれど、結果を見れば、何でも都合良くハマって……こういう所も、間違いなくきょうだいだな、と感じた。
ふと見ると、ステージ上に松倉の妹がいて、遠くから「あ、沢村先輩」と、無邪気に手を振る。今は右川側に成り果てたが、昔の浅枝を思い出した。
妹は、さっそく俺の青いタオルに照準を合わせると、「沢村先輩、そのタオル下さいよぉ」と来たので、「おう。新しいのと交換だな」と切り返す。
もちろん冗談なのだが、妹はマジで狙っている気がする。
その昔、俺の持っている物なら、ゴミでも抱え込んだ。何と言うのか……憧れと勘違いをこじらせているとしか思えない。替わりのタオルを、本気で買ってしまいそうな勢いなので、「もうちょっと汚しとくから」と逃げた。
そこに演劇部の部長男子がやって来て、「天井のライトが切れてんだけど」と、さっそく苦情を言われる。ヒョイとステージに上がると、「わ!先輩ってー、ズルイですぅー」と、なぜか松倉妹に咎められた。「何が?」と訊くと、「演劇部員より目立つじゃないですかぁ」
背が高いだけ。
どうでもいい事かもしれないが、「その言い方がお姉さんにそっくり」と突いておく。
「やだぁーもうー。先輩ってぇーイジワルだなぁ」
その粘っこい口調が、似ている。生き写し。間違いなく姉妹だ。
天井を見上げると、確かにいくつか灯っていない。そう言えば練習中にも微妙な影を感じた気がする。体育館全体を眺めた。「結構、切れてんだろが。あそこもあそこも」と、部長男子からダメ出しが続いて……雑用も何も、生徒会に言うのが当然と思っている。
「自分で先生に言ってくれよ。俺にそんな報告は後でいいんだから」
その時、急に入口辺りが騒がしくなった。
見ると、右川の兄貴がやって来て……驚いて我が目を疑った。
というか、2度見した。
今日は妹を連れている。
いつかの俺のように、ていうか、犬のように右川は兄貴に襟首を掴まれて、
「もうっ!痛いっ!離せぇぇぇ!」
バタバタ暴れている。夏休みなのに制服姿だった。察するに、補習授業。
「出て来い!沢村!××野郎!××!×××!!」
兄貴は放送禁止用語を並べ立てる。俺は慌ててステージを降りた。
目の前までやって来たと思ったら開口一番、
「カズミ、沢村にコクられたって、マジか!」
ギョッとした。
そこら中の好奇な視線が、俺に集中する。
兄貴は既に知っている筈。わざわざ皆の前で晒して、公開処刑のつもりか。
まだノリに打ち明けてないというのに……黒歴史を晒されるより何より、それが気になる。
「ワザワザそんな事、もういいでしょ!さっさと北海道に帰れっ!」
襟首を掴まれて、右川は両足をぶらぶらさせたまま、それでも何とか振りほどこうと悪あがき。だが兄貴はビクともしなかった。
突然、妹を放り投げたと思ったら、兄貴はステージ上にヒョイと上がって、
「おまえら聞け!」
大声が、体育館中に響く。
遥か上から、俺を指さして、
「この沢村は、右川カズミにコクって振られたぞ!」
腕をぶんぶん振り回し、ひょお~!と周囲を煽った。
これまでの行いが自分に返ってくるとはよく言ったもの。
「また?」「またそれ?」「これって、うちの生徒会あるある?」と、周囲は曖昧に驚いて、呆れて、そのうち「ハイ!ハイ!」と兄貴に煽られて、面白そうだと流れにノリノリ、「「「「「いぇーい!」」」」」と拳を突き上げた。
絶対、訳分かってないだろ!
ていうか、笑えない展開になってきた。
「おまえら!沢村はクズだ。次から次へとオンナを取り替えて!」
誤解は解けてなかった!
「そんな訳ないですよ!あれは誤解で……」と、俺のささやかな抵抗は、群衆の手拍子に掻き消された。ノリは、怒ってはいないと見えるけど、一体何が起きているのかと、工藤と黒川に挟まれて、困惑したまま固まっている。
右川は遥か下から(自然とそうなる)兄貴を睨み上げて、
「は?!何それ。誰かと間違えてんじゃないの。クズは自分でしょ!」
「間違いねーよ!コクられたんだろ?つまりお前も狙われたじゃないか!」
「全然そんな……狙われてなんかないよっ!」
ナゼそこで一瞬怯むのか。
恐らく、いつかをまた思い出したに違いない。あれはいつまでも、いつもいつも俺を悩ませる。右川もだろう。もう、死ぬほど以上の後悔だ。
「あの、本当に狙ってませんから。俺は」
当事者の言い分を遮って(無視して)、兄妹は勝手にヒートアップする。
「涼しい顔して、家まで上がりこんで、メシ食って、ぐーすか寝て、こいつ図々しいだろ!」
「あれは親父が勝手にやったことでしょ!」
「そのオヤジに聞いた所によると、こいつ東大受けるんだってさ!」
ひょおー!!
周囲が1段と高い嬌声を上げた。
「違います!受けません。俺には無理ですよ、そんなの!」
さすがに本人として否定する。
「そうだよ!兄貴じゃあるまいし!」
沢村にそこまでの頭は無い……と、囁いた気がしたが、今は突っ込む気力がゼロだ。
「こいつに東大は無理!どう見ても頭悪そう!顔だって大したことない!」
そうだろ!
兄貴の、ひと言ひと言に、周囲はいちいち「「「「「いぇーい!」」」」」と嬌声を上げる。あるいは冷めた嘲笑で、遠くから眺めて、呆れ果てて……そんな反応を目の当たりにした。
俺の味方は居ないのか。ノリは……。見ると、当事者以上に泣きそうな顔で、この騒ぎの成り行きを見守っている。
後で、ちゃんと話そう。喜ばしい報告では全然ないけど。
兄貴の独り舞台は大盛況。
先刻まで遠目で様子を窺っていた、卓球部、体操部、うっかり通りがかった補習組までもがガン首揃えて、何だ何だ?とこの舞台を見物している。
「よく見ろ!なんつっても足が短い!乳首がダサい!絶望的に鈍い!ただただ臭ぇ!生きてるだけで恥ずかしい!沢村の顔にだけは生まれたくない!一緒に居たら女が逃げる!気持ち悪いっ!」
……何て言うか。
涙が出ないのが不思議なくらいだ。
嫌がらせを通り越した悪口雑言の数々、圧倒的な悪意を目の当たりにして、体力も気力も奪われて。噛まれて。また噛まれて。
もう痛くて痛くて、やり返すエネルギーなんか残っていない。見られた訳でもないのに、乳首がダサいあたりは……正直マジで泣きそうになった。
「フザけた面して、好きな食べ物は女とか、イキった事言ってんだぞ!」
ひょおーっ!!
奇声を上げた大半は、恐らく詳しくは聞こえていない筈。と信じたい。
こういう時、思うのだ。集団心理は、時として、個人を血祭りに上げる。
右川が、その小さい体をヒョイと投げ出して、ステージ上に上がった。
「誰が言ってんの、そんな事!」
「バスケの男子が言ってたぞ!」
永田のヤツか。言いそうだ。実際それに近い事は散々言ってるし。
「バカなの!?永田の言うことなんか、いちいち真に受けんな!こいつは、狙うとか図々しいとか1番似合わないよ。頭悪いとかも事実と違うし。自分の顔棚にあげて、気持ち悪いとかよく言えたね。兄貴に比べたら足だって長いし、こいつは全然ヒトの顔だよ!」
おかしな話だった。
ここに来て、突如、違う次元から感情が込み上げる。
散々酷い事を言われ、有る事無い事掘られて、痛くて痛くてしょうがなくて……それが、何故か途中から、甘美な言葉にすり替わって頭に流れ込む。
俺なんかの汚名返上に、右川はどうしてそこまで必死になってくれるのか。
目の前、ここまでして俺を庇ってくれる姿を、今まで見た事が無い。
俺なんかのために兄貴と対決。体を小刻みに震わせて……。
傍観者を気取っている場合じゃないと、俺は意を決して、ヒョイと大舞台にあがった。
いけー!
やっちまえー!
この対決姿勢に、周囲は爆発的に沸いた。兄貴は、おどけてファイティング・ポーズを取る。いやいやいや、そういう事では……俺は後ずさりした。
兄貴は妹に向き合うと、
「カズミ、おまえ無断で外泊したらしいな」
家出だと、俺は聞いた。右川を横目で窺う。
「一緒に居たオトコを見たぞ!」
え……マジで。
黒川?の訳ないか。
「すでに身も心も、こいつに持ってかれちまったとか言うんじゃねーだろうな!」
ひょぉー!と、またまた歓声が巻き起こった。思わず身を乗り出して、「それは俺じゃありません!」と、正直に言ってしまった後で。
「それじゃ誰なんだ!?」
だよな。そうなるよな。「あ、いや、それは……」
「てめー!この期に及んで逃げるのか!」
瞬時に頭を抱えた。ここは俺って事にしとけばよかった!
「沢村の言う通りだよ!あれは別の人。マックの店長で。ついでに言うと女だよっ!」
相手は男じゃない。そして俺じゃないと分かれば兄貴も納得……してる顔じゃない。
「そんな嘘までついて、こいつを庇うメリットあんのか。ラリってんのか」
「庇ってないし。普通に事実だし。ラリってんのそっちだし」
「おいおい、落ち着け。ちょっと考えろ」
兄貴、今度は急に猫なで声。
「おまえは間抜けな失恋で、頭おかしくなってんだよ。男ぐらい俺が紹介してやる。しばらくはイケメン野郎でリハビリしろ」
「田舎のオッサンは要らない」
不気味な沈黙だった。
だが、兄貴はすっかり落ち着き払って、どこか余裕の表情でいる。
そんな様子を見ていると、これはもしかして……いわゆる右川が重森によくやる、あの、カク乱ではないか。
何かを言わせようと?つまり本音を引き出そうと?
兄貴の本当の目的は別にあるんじゃないか。
その時だ。
何かが飛んできて、俺の顔面にまともに当たった。
夏休み、今年はどこにも行けない。ていうか、元からそんな期待はしない。
海の日って、いつだっけ?
とりあえず、今日から8月。
今日もバスケ部が静かだ。
遠征に行ったきり。順調に勝ち進んでいるだろう。
右川の兄貴は居なかった。やるだけやって満足、もう用は無いといった所か。
石原は、すっかり元気を取り戻した。
重厚な激烈スパイクを見せつけてからというもの、芯から名実共にエースの貫録までもが感じられる。これから始まる予選大会、どういう結果になっても後悔は無いだろう。まるで、怖しくドラマティックな何かのプロローグのように感じて、俺は独り悦に入っていた。
右川の兄貴も、そういう気分でいる気がする。
色々してヤラれたけれど、結果を見れば、何でも都合良くハマって……こういう所も、間違いなくきょうだいだな、と感じた。
ふと見ると、ステージ上に松倉の妹がいて、遠くから「あ、沢村先輩」と、無邪気に手を振る。今は右川側に成り果てたが、昔の浅枝を思い出した。
妹は、さっそく俺の青いタオルに照準を合わせると、「沢村先輩、そのタオル下さいよぉ」と来たので、「おう。新しいのと交換だな」と切り返す。
もちろん冗談なのだが、妹はマジで狙っている気がする。
その昔、俺の持っている物なら、ゴミでも抱え込んだ。何と言うのか……憧れと勘違いをこじらせているとしか思えない。替わりのタオルを、本気で買ってしまいそうな勢いなので、「もうちょっと汚しとくから」と逃げた。
そこに演劇部の部長男子がやって来て、「天井のライトが切れてんだけど」と、さっそく苦情を言われる。ヒョイとステージに上がると、「わ!先輩ってー、ズルイですぅー」と、なぜか松倉妹に咎められた。「何が?」と訊くと、「演劇部員より目立つじゃないですかぁ」
背が高いだけ。
どうでもいい事かもしれないが、「その言い方がお姉さんにそっくり」と突いておく。
「やだぁーもうー。先輩ってぇーイジワルだなぁ」
その粘っこい口調が、似ている。生き写し。間違いなく姉妹だ。
天井を見上げると、確かにいくつか灯っていない。そう言えば練習中にも微妙な影を感じた気がする。体育館全体を眺めた。「結構、切れてんだろが。あそこもあそこも」と、部長男子からダメ出しが続いて……雑用も何も、生徒会に言うのが当然と思っている。
「自分で先生に言ってくれよ。俺にそんな報告は後でいいんだから」
その時、急に入口辺りが騒がしくなった。
見ると、右川の兄貴がやって来て……驚いて我が目を疑った。
というか、2度見した。
今日は妹を連れている。
いつかの俺のように、ていうか、犬のように右川は兄貴に襟首を掴まれて、
「もうっ!痛いっ!離せぇぇぇ!」
バタバタ暴れている。夏休みなのに制服姿だった。察するに、補習授業。
「出て来い!沢村!××野郎!××!×××!!」
兄貴は放送禁止用語を並べ立てる。俺は慌ててステージを降りた。
目の前までやって来たと思ったら開口一番、
「カズミ、沢村にコクられたって、マジか!」
ギョッとした。
そこら中の好奇な視線が、俺に集中する。
兄貴は既に知っている筈。わざわざ皆の前で晒して、公開処刑のつもりか。
まだノリに打ち明けてないというのに……黒歴史を晒されるより何より、それが気になる。
「ワザワザそんな事、もういいでしょ!さっさと北海道に帰れっ!」
襟首を掴まれて、右川は両足をぶらぶらさせたまま、それでも何とか振りほどこうと悪あがき。だが兄貴はビクともしなかった。
突然、妹を放り投げたと思ったら、兄貴はステージ上にヒョイと上がって、
「おまえら聞け!」
大声が、体育館中に響く。
遥か上から、俺を指さして、
「この沢村は、右川カズミにコクって振られたぞ!」
腕をぶんぶん振り回し、ひょお~!と周囲を煽った。
これまでの行いが自分に返ってくるとはよく言ったもの。
「また?」「またそれ?」「これって、うちの生徒会あるある?」と、周囲は曖昧に驚いて、呆れて、そのうち「ハイ!ハイ!」と兄貴に煽られて、面白そうだと流れにノリノリ、「「「「「いぇーい!」」」」」と拳を突き上げた。
絶対、訳分かってないだろ!
ていうか、笑えない展開になってきた。
「おまえら!沢村はクズだ。次から次へとオンナを取り替えて!」
誤解は解けてなかった!
「そんな訳ないですよ!あれは誤解で……」と、俺のささやかな抵抗は、群衆の手拍子に掻き消された。ノリは、怒ってはいないと見えるけど、一体何が起きているのかと、工藤と黒川に挟まれて、困惑したまま固まっている。
右川は遥か下から(自然とそうなる)兄貴を睨み上げて、
「は?!何それ。誰かと間違えてんじゃないの。クズは自分でしょ!」
「間違いねーよ!コクられたんだろ?つまりお前も狙われたじゃないか!」
「全然そんな……狙われてなんかないよっ!」
ナゼそこで一瞬怯むのか。
恐らく、いつかをまた思い出したに違いない。あれはいつまでも、いつもいつも俺を悩ませる。右川もだろう。もう、死ぬほど以上の後悔だ。
「あの、本当に狙ってませんから。俺は」
当事者の言い分を遮って(無視して)、兄妹は勝手にヒートアップする。
「涼しい顔して、家まで上がりこんで、メシ食って、ぐーすか寝て、こいつ図々しいだろ!」
「あれは親父が勝手にやったことでしょ!」
「そのオヤジに聞いた所によると、こいつ東大受けるんだってさ!」
ひょおー!!
周囲が1段と高い嬌声を上げた。
「違います!受けません。俺には無理ですよ、そんなの!」
さすがに本人として否定する。
「そうだよ!兄貴じゃあるまいし!」
沢村にそこまでの頭は無い……と、囁いた気がしたが、今は突っ込む気力がゼロだ。
「こいつに東大は無理!どう見ても頭悪そう!顔だって大したことない!」
そうだろ!
兄貴の、ひと言ひと言に、周囲はいちいち「「「「「いぇーい!」」」」」と嬌声を上げる。あるいは冷めた嘲笑で、遠くから眺めて、呆れ果てて……そんな反応を目の当たりにした。
俺の味方は居ないのか。ノリは……。見ると、当事者以上に泣きそうな顔で、この騒ぎの成り行きを見守っている。
後で、ちゃんと話そう。喜ばしい報告では全然ないけど。
兄貴の独り舞台は大盛況。
先刻まで遠目で様子を窺っていた、卓球部、体操部、うっかり通りがかった補習組までもがガン首揃えて、何だ何だ?とこの舞台を見物している。
「よく見ろ!なんつっても足が短い!乳首がダサい!絶望的に鈍い!ただただ臭ぇ!生きてるだけで恥ずかしい!沢村の顔にだけは生まれたくない!一緒に居たら女が逃げる!気持ち悪いっ!」
……何て言うか。
涙が出ないのが不思議なくらいだ。
嫌がらせを通り越した悪口雑言の数々、圧倒的な悪意を目の当たりにして、体力も気力も奪われて。噛まれて。また噛まれて。
もう痛くて痛くて、やり返すエネルギーなんか残っていない。見られた訳でもないのに、乳首がダサいあたりは……正直マジで泣きそうになった。
「フザけた面して、好きな食べ物は女とか、イキった事言ってんだぞ!」
ひょおーっ!!
奇声を上げた大半は、恐らく詳しくは聞こえていない筈。と信じたい。
こういう時、思うのだ。集団心理は、時として、個人を血祭りに上げる。
右川が、その小さい体をヒョイと投げ出して、ステージ上に上がった。
「誰が言ってんの、そんな事!」
「バスケの男子が言ってたぞ!」
永田のヤツか。言いそうだ。実際それに近い事は散々言ってるし。
「バカなの!?永田の言うことなんか、いちいち真に受けんな!こいつは、狙うとか図々しいとか1番似合わないよ。頭悪いとかも事実と違うし。自分の顔棚にあげて、気持ち悪いとかよく言えたね。兄貴に比べたら足だって長いし、こいつは全然ヒトの顔だよ!」
おかしな話だった。
ここに来て、突如、違う次元から感情が込み上げる。
散々酷い事を言われ、有る事無い事掘られて、痛くて痛くてしょうがなくて……それが、何故か途中から、甘美な言葉にすり替わって頭に流れ込む。
俺なんかの汚名返上に、右川はどうしてそこまで必死になってくれるのか。
目の前、ここまでして俺を庇ってくれる姿を、今まで見た事が無い。
俺なんかのために兄貴と対決。体を小刻みに震わせて……。
傍観者を気取っている場合じゃないと、俺は意を決して、ヒョイと大舞台にあがった。
いけー!
やっちまえー!
この対決姿勢に、周囲は爆発的に沸いた。兄貴は、おどけてファイティング・ポーズを取る。いやいやいや、そういう事では……俺は後ずさりした。
兄貴は妹に向き合うと、
「カズミ、おまえ無断で外泊したらしいな」
家出だと、俺は聞いた。右川を横目で窺う。
「一緒に居たオトコを見たぞ!」
え……マジで。
黒川?の訳ないか。
「すでに身も心も、こいつに持ってかれちまったとか言うんじゃねーだろうな!」
ひょぉー!と、またまた歓声が巻き起こった。思わず身を乗り出して、「それは俺じゃありません!」と、正直に言ってしまった後で。
「それじゃ誰なんだ!?」
だよな。そうなるよな。「あ、いや、それは……」
「てめー!この期に及んで逃げるのか!」
瞬時に頭を抱えた。ここは俺って事にしとけばよかった!
「沢村の言う通りだよ!あれは別の人。マックの店長で。ついでに言うと女だよっ!」
相手は男じゃない。そして俺じゃないと分かれば兄貴も納得……してる顔じゃない。
「そんな嘘までついて、こいつを庇うメリットあんのか。ラリってんのか」
「庇ってないし。普通に事実だし。ラリってんのそっちだし」
「おいおい、落ち着け。ちょっと考えろ」
兄貴、今度は急に猫なで声。
「おまえは間抜けな失恋で、頭おかしくなってんだよ。男ぐらい俺が紹介してやる。しばらくはイケメン野郎でリハビリしろ」
「田舎のオッサンは要らない」
不気味な沈黙だった。
だが、兄貴はすっかり落ち着き払って、どこか余裕の表情でいる。
そんな様子を見ていると、これはもしかして……いわゆる右川が重森によくやる、あの、カク乱ではないか。
何かを言わせようと?つまり本音を引き出そうと?
兄貴の本当の目的は別にあるんじゃないか。
その時だ。
何かが飛んできて、俺の顔面にまともに当たった。