God bless you!~第10話「夏休みと、その失恋」
重森とニアミスでやって来た事を知ってか知らずか、右川は連絡事項をぼんやり眺めている。もう山下さんを頼ることはできない。それで進学を考える気になった。そんな所だろう。
前向きだな。悪くない。
目が合った。
「あ、そうだ……」
とか何とか、あからさまに逃げ出そうとしたので、引き止める。
「見るだけ見ろよ」と、その襟首を掴んで強引に中に引っ張り込もうとした所で、拍子抜け。嫌だ嫌だと暴れる事も無く、右川は全く無抵抗だった。
やけに軽い。まるで抜け殻。
中に入ると阿木とノリがいて、右川も逃げる気を削がれたのか、「あたし、ここ初めて来たよ」とナメた事を抜かして、大学ファイルの棚に吸い込まれた。
俺は一旦、右川をそっちのけ。
ノリの横に落ち着いて、大学事情に耳を傾ける。
ノリは、マーケティングの専門を狙って、遠方の大学を目指す。
「経済で有名な教授がいるんだよ」
彼女と遠距離になる事は覚悟の上だと、言った。
「この夏、さっそくオープンキャンパスが」
これからの予定に思いを巡らせている。
「僕さ、寮に入ろうかと思って」
「私の友達で関西希望の子が居て。賄い付きを探したい、って言ってた」
「それいいよなぁ。寮よりずっといい。メシが美味そうじゃん」
「イオンが近いといいな」とか。「TSUTAYAも欲しいよなぁ」とか。「後は、ケンタとミニストップとパン屋があれば」とか……ノリは遠い目をした。
「賄いとか必要ないじゃん。ていうか、全て受かってからの話だろ」
つい突っ込んでしまった。ノリが項垂れる。阿木が小さく笑った。
「そういえば阿木さんって、どこ受けるの?」
訊ねたのは、ノリだ。
俺はこれまで、阿木には敢えて訊かなかった。阿木は修道院に決まりだとハッキリしているからだ。何といっても、彼氏の永田さんがいる。間違いない。
ところが、
「第一志望はね、笠丘駅で乗り換えて更に7つ向こう、バスが不便だけど、割りと新しい大学があるでしょ。あそこに行けたらって思ってる」
「え、あそこって……」
わずかに動揺が広がる。
「港北大学。新設の国立よ」
近年、経営難を憂う3つの大学が統合して、1つになった。
協力大学という名の元に、いくつかの地方大学とも連携しているらしい。
それほど偏差値の高くない大学の寄せ集め。
今の所、良い評判も悪い噂も聞こえてこない。
その大学の存在は知っていたけれど、ここから通うには遠すぎる。アパートを借りるというには、微妙に近いから金が勿体ない。
たかが、寄せ集め。
されど、国立。
阿木がそこを狙っているとは……意外すぎた。
国立を受けるヤツらというのは、入学当時からその頭角を著している。
放課後も週末も塾にスッ飛んで朝から晩まで……世界が違うとは言わないが、もう目つきとか覚悟とか、何もかもが違う気がした。
阿木はそういうのとは違う種類だと頭から思い込んでいたので、ただただ驚いた。そして、俺の身近にそんな輩が居た事にも。
俺は今日1番、大きなため息をつく。
「てことは……センター試験か」
「マジで?すごいな」と、ノリは天を仰いだ。俺も頷く。
「5教科7科目か。大変ね」と、他人事。阿木は遠い目をする。
「永田さんと一緒の所はどうすんの」
「そっちは、滑りどめで」
迷いは見えない。
「何か、いいよな」
大人同士っていうか。ちゃんと独立してるって感じ。
それを言うと、
「何処に受かっても、私には今とそう変わらないわよ。永田くんが卒業して今は側に居ない。違う大学行っても同じ。側に居ないだけと思えば」と、また笑う。大した余裕だと思った。
そして……もう詫びるしかない。
阿木には失礼を100も承知で、俺は1つの可能性を思い描いた。
学校の成績。内申。模擬試験の結果。
どれを取っても、俺と阿木に、それほど実力の差は感じない。
もしかして。
ひょっとしたら。
俺の射程距離圏内に〝国立〟と言うフラグが立っているのでは。
阿木が志望校の受験科目を連呼するのを横で聞きながら、そんな事を考えて、ふと1度も立ち入った事のない国立ファイルの壁棚に目線を送った。
それが……何故?
そこに右川が居た。
まさか、ここにきて兄貴に続けとばかりに東大受験か。
飛躍しすぎだろ。あの成績でありえないし。
右川は、棚に並ぶ大学紹介のファイルの何を取るわけでもなく、ぼんやりと眺めて……ふと何かを見つけて立ち止まって……それがあんまり要領を得ないので、つい立ち上がる。
「可能性を考えろよ。国立なんか見てどうすんだよ。あっちだろ」
私大、短大、各種専門学校。
そこまで強引に引っ張った。
軽い軽い。俺の事は……後でいいか。
「今のままじゃ行けないだろ」
まるで自分に言い聞かせてるようだ。マジ今のままじゃ駄目だ。
「もお、わかってるよ。ウザい。ほんと45なんですけど」
見た目年齢&精神年齢、思い出すにつけ腹が立つ。
しかしここで怒っては話が終わる。
「山下さん、おまえが学校どうすんのか凄く心配してたよ。マジな話」
右川は黙ったまま。
「数学はもう十分なんだから英語をやって。あと現国、小論文。それでどっかあるだろ」
そこに、黒川がやってきた。
これも珍しい。推薦決まってる。もう必要ないはず。
「探しちゃったじゃんよぉ」
これまた珍しい。
「何だよ」と返せば、「おまえじゃねーよ。オンナの方で」
桂木?
今は居ない。
「あたしだよ」
右川は、ちょうど手に取っていた専門学校のファイルを元の棚に戻した。
「よしよし」と黒川は、右川の頭を撫でる。
そこから首筋に指を伝って、肩に手を乗せた。
やけに馴れ馴れしい。
右川も右川だった。その手を払いのけるどころか、微動だにしない。
「右川さん?」と阿木が右川の顔を覗き込んだ。
具合でも悪いのかと、疑ったのかも知れない。
阿木の事は無視できないと思ったのか、
「黒川と、ちょっとだけ付き合うことになっちゃってさ」
言いにくそうに、右川は目を反らした。
黒川と?
付き合う?
ちょっとだけ?
何を言っているのか。
俺からして、まるで別国の言葉を聞く様で「なんだそれ」と言うしかない。
「なんつうか、お試しっていうか」
「お試しって……」
黒川がヒョイと、自分のネクタイを右川の首に掛けた。
「これやる。オレら付き合ってんだから。当然だよな」
進路指導室は、困惑。ノリも阿木も、もちろん俺も、言葉を無くすだけ。
この時期に、それもこの抜け殻状態で、誰かと付き合うとかそんな余裕がどこにあるというのか。とにかく不思議でしょうがない。ついこないだまで山下さんで頭一杯だったはず。どうしてそう違う男にコロッといけるのか。この短期間にそこまで吹っ切れたとでも言うのか。
それも相手が黒川って……まさかと思うが、黒川に急激に惹かれて……それは無い気がした。
「右川ぁ、今日これからどうする?どっか行くかぁ?」
黒川の誘いに、右川は「どっかって」と言葉を曖昧に濁して、聞き流した。
どう見ても、惹かれているという態度じゃない。
てゆうか。
「おまえ大学どうすんだよ」
口を突いて真っ先に出た俺の台詞が、コレである。
想定外のツーショットを目の前に、突っ込むのって、そこ?
自分でもおかしな話だと思うが、何となくこれが俺の役割のような気がする。
それには右川当人ではなく、黒川が反応した。
「何それ。ウケるんですけど。ていうか親みたいな事言ってんじゃねーよ」
「ていうか、おまえが彼氏なら言ってやれよ。今一番、肝心な事だろ」
黒川はムッと見せて、「本人が就職だっつってんだよ。余計な事すんな」と吐き捨てた。
就職。
それは恐らく、消去法で勝手に浮かび上がった、というだけの言い逃れだ。
黒川と言い争うのは時間のムダと感じて、俺は無視を決めた。
「どれだよ。今見てたヤツ。この辺?」
そこら中を探して引き抜く。
肝心の右川と言えば、ファイルの目次を人差し指で虚ろになぞっていた。
俺が目当てのファイルを探っているその横で、黒川が別のファイルを抜き取る。無造作にパラパラとめくり始める。黒川の方も、こっちを無視すると決め込んだのか、これ見よがしに背中を向けた。
黒川は横から右川を突いて、
「面倒なとこ、止めとけよ。どこでもいいんだったら、とっとと紹介状もらえばいいじゃん。猫被って潜り込んじゃえって。早けりゃ、今年中には楽になれんだからさ」
「うん」と、右川は上の空で頷く。
そこから、もうファイルも探そうともしない。
前向きだな。悪くない。
目が合った。
「あ、そうだ……」
とか何とか、あからさまに逃げ出そうとしたので、引き止める。
「見るだけ見ろよ」と、その襟首を掴んで強引に中に引っ張り込もうとした所で、拍子抜け。嫌だ嫌だと暴れる事も無く、右川は全く無抵抗だった。
やけに軽い。まるで抜け殻。
中に入ると阿木とノリがいて、右川も逃げる気を削がれたのか、「あたし、ここ初めて来たよ」とナメた事を抜かして、大学ファイルの棚に吸い込まれた。
俺は一旦、右川をそっちのけ。
ノリの横に落ち着いて、大学事情に耳を傾ける。
ノリは、マーケティングの専門を狙って、遠方の大学を目指す。
「経済で有名な教授がいるんだよ」
彼女と遠距離になる事は覚悟の上だと、言った。
「この夏、さっそくオープンキャンパスが」
これからの予定に思いを巡らせている。
「僕さ、寮に入ろうかと思って」
「私の友達で関西希望の子が居て。賄い付きを探したい、って言ってた」
「それいいよなぁ。寮よりずっといい。メシが美味そうじゃん」
「イオンが近いといいな」とか。「TSUTAYAも欲しいよなぁ」とか。「後は、ケンタとミニストップとパン屋があれば」とか……ノリは遠い目をした。
「賄いとか必要ないじゃん。ていうか、全て受かってからの話だろ」
つい突っ込んでしまった。ノリが項垂れる。阿木が小さく笑った。
「そういえば阿木さんって、どこ受けるの?」
訊ねたのは、ノリだ。
俺はこれまで、阿木には敢えて訊かなかった。阿木は修道院に決まりだとハッキリしているからだ。何といっても、彼氏の永田さんがいる。間違いない。
ところが、
「第一志望はね、笠丘駅で乗り換えて更に7つ向こう、バスが不便だけど、割りと新しい大学があるでしょ。あそこに行けたらって思ってる」
「え、あそこって……」
わずかに動揺が広がる。
「港北大学。新設の国立よ」
近年、経営難を憂う3つの大学が統合して、1つになった。
協力大学という名の元に、いくつかの地方大学とも連携しているらしい。
それほど偏差値の高くない大学の寄せ集め。
今の所、良い評判も悪い噂も聞こえてこない。
その大学の存在は知っていたけれど、ここから通うには遠すぎる。アパートを借りるというには、微妙に近いから金が勿体ない。
たかが、寄せ集め。
されど、国立。
阿木がそこを狙っているとは……意外すぎた。
国立を受けるヤツらというのは、入学当時からその頭角を著している。
放課後も週末も塾にスッ飛んで朝から晩まで……世界が違うとは言わないが、もう目つきとか覚悟とか、何もかもが違う気がした。
阿木はそういうのとは違う種類だと頭から思い込んでいたので、ただただ驚いた。そして、俺の身近にそんな輩が居た事にも。
俺は今日1番、大きなため息をつく。
「てことは……センター試験か」
「マジで?すごいな」と、ノリは天を仰いだ。俺も頷く。
「5教科7科目か。大変ね」と、他人事。阿木は遠い目をする。
「永田さんと一緒の所はどうすんの」
「そっちは、滑りどめで」
迷いは見えない。
「何か、いいよな」
大人同士っていうか。ちゃんと独立してるって感じ。
それを言うと、
「何処に受かっても、私には今とそう変わらないわよ。永田くんが卒業して今は側に居ない。違う大学行っても同じ。側に居ないだけと思えば」と、また笑う。大した余裕だと思った。
そして……もう詫びるしかない。
阿木には失礼を100も承知で、俺は1つの可能性を思い描いた。
学校の成績。内申。模擬試験の結果。
どれを取っても、俺と阿木に、それほど実力の差は感じない。
もしかして。
ひょっとしたら。
俺の射程距離圏内に〝国立〟と言うフラグが立っているのでは。
阿木が志望校の受験科目を連呼するのを横で聞きながら、そんな事を考えて、ふと1度も立ち入った事のない国立ファイルの壁棚に目線を送った。
それが……何故?
そこに右川が居た。
まさか、ここにきて兄貴に続けとばかりに東大受験か。
飛躍しすぎだろ。あの成績でありえないし。
右川は、棚に並ぶ大学紹介のファイルの何を取るわけでもなく、ぼんやりと眺めて……ふと何かを見つけて立ち止まって……それがあんまり要領を得ないので、つい立ち上がる。
「可能性を考えろよ。国立なんか見てどうすんだよ。あっちだろ」
私大、短大、各種専門学校。
そこまで強引に引っ張った。
軽い軽い。俺の事は……後でいいか。
「今のままじゃ行けないだろ」
まるで自分に言い聞かせてるようだ。マジ今のままじゃ駄目だ。
「もお、わかってるよ。ウザい。ほんと45なんですけど」
見た目年齢&精神年齢、思い出すにつけ腹が立つ。
しかしここで怒っては話が終わる。
「山下さん、おまえが学校どうすんのか凄く心配してたよ。マジな話」
右川は黙ったまま。
「数学はもう十分なんだから英語をやって。あと現国、小論文。それでどっかあるだろ」
そこに、黒川がやってきた。
これも珍しい。推薦決まってる。もう必要ないはず。
「探しちゃったじゃんよぉ」
これまた珍しい。
「何だよ」と返せば、「おまえじゃねーよ。オンナの方で」
桂木?
今は居ない。
「あたしだよ」
右川は、ちょうど手に取っていた専門学校のファイルを元の棚に戻した。
「よしよし」と黒川は、右川の頭を撫でる。
そこから首筋に指を伝って、肩に手を乗せた。
やけに馴れ馴れしい。
右川も右川だった。その手を払いのけるどころか、微動だにしない。
「右川さん?」と阿木が右川の顔を覗き込んだ。
具合でも悪いのかと、疑ったのかも知れない。
阿木の事は無視できないと思ったのか、
「黒川と、ちょっとだけ付き合うことになっちゃってさ」
言いにくそうに、右川は目を反らした。
黒川と?
付き合う?
ちょっとだけ?
何を言っているのか。
俺からして、まるで別国の言葉を聞く様で「なんだそれ」と言うしかない。
「なんつうか、お試しっていうか」
「お試しって……」
黒川がヒョイと、自分のネクタイを右川の首に掛けた。
「これやる。オレら付き合ってんだから。当然だよな」
進路指導室は、困惑。ノリも阿木も、もちろん俺も、言葉を無くすだけ。
この時期に、それもこの抜け殻状態で、誰かと付き合うとかそんな余裕がどこにあるというのか。とにかく不思議でしょうがない。ついこないだまで山下さんで頭一杯だったはず。どうしてそう違う男にコロッといけるのか。この短期間にそこまで吹っ切れたとでも言うのか。
それも相手が黒川って……まさかと思うが、黒川に急激に惹かれて……それは無い気がした。
「右川ぁ、今日これからどうする?どっか行くかぁ?」
黒川の誘いに、右川は「どっかって」と言葉を曖昧に濁して、聞き流した。
どう見ても、惹かれているという態度じゃない。
てゆうか。
「おまえ大学どうすんだよ」
口を突いて真っ先に出た俺の台詞が、コレである。
想定外のツーショットを目の前に、突っ込むのって、そこ?
自分でもおかしな話だと思うが、何となくこれが俺の役割のような気がする。
それには右川当人ではなく、黒川が反応した。
「何それ。ウケるんですけど。ていうか親みたいな事言ってんじゃねーよ」
「ていうか、おまえが彼氏なら言ってやれよ。今一番、肝心な事だろ」
黒川はムッと見せて、「本人が就職だっつってんだよ。余計な事すんな」と吐き捨てた。
就職。
それは恐らく、消去法で勝手に浮かび上がった、というだけの言い逃れだ。
黒川と言い争うのは時間のムダと感じて、俺は無視を決めた。
「どれだよ。今見てたヤツ。この辺?」
そこら中を探して引き抜く。
肝心の右川と言えば、ファイルの目次を人差し指で虚ろになぞっていた。
俺が目当てのファイルを探っているその横で、黒川が別のファイルを抜き取る。無造作にパラパラとめくり始める。黒川の方も、こっちを無視すると決め込んだのか、これ見よがしに背中を向けた。
黒川は横から右川を突いて、
「面倒なとこ、止めとけよ。どこでもいいんだったら、とっとと紹介状もらえばいいじゃん。猫被って潜り込んじゃえって。早けりゃ、今年中には楽になれんだからさ」
「うん」と、右川は上の空で頷く。
そこから、もうファイルも探そうともしない。