春を待つ君に、優しい嘘を贈る。
次はない、と言ったりとの頬を、透明の雫が伝い落ちた。

背を向けてしまったから、諏訪くんからは見えていない。恐らく、聡美からも。

けれど、私は見てしまった。この目で見てしまったの。

この世のどんなものよりも綺麗な、人の想いを。

りとの涙を。


「(りと…)」


諏訪くんが優しい人であったように、あなたは真っすぐな人だった。

ぶっきらぼうで、真面目で、口を開けば「クソ」か「テスト」ばかり出ていたのに。

りとは、綺麗な人だ。心が綺麗な人。

あの時、りとはかの人から命令されているから、私を気にかけているなんて思ってしまって、ごめんね。

そんな邪なことを考えてしまった私は最低だ。

ひたすらに綺麗なあなたが、そんなことをするわけがないのにね。


もう一度その名を唇に乗せようとしたら、何者かの足音が聞こえた。

気のせいではない。此方に向かって来ている。


「―――璃叶」


その人に名前を呼ばれたりとは、弾かれたように振り向いた。

秋風に吹かれている私たちの元へとやって来たのは、ひとりの男の人。
< 142 / 381 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop