春を待つ君に、優しい嘘を贈る。
(りとを怒らせると怖いんだなぁ。肝に銘じておこう)


そう心の中で唱え、一人頷いた私を見ていたのか、私の正面に腰を下ろした紫さんにクスリと笑われた。


「――古織さん、でしたよね」


綺麗としか言い表せない美しい微笑みに、不覚にも鼓動が高鳴ってしまう。
目に毒というのはまさにこういうことなのだろう。見惚れてしまった聡美の気持ちが分かった気がする。


「(え、は、はい…!)」


私は慌てて口をパクパクと動かした。
ああ、しまった。声がないのに。

急いでスマホを鞄から出した私を特に気にも留めることなく、紫さんは優しく微笑んでくれた。


「具合でも悪いのですか?先程から一言も話していないような…」


どうやら心配してくださっていたようだ。
どこも悪くはない。声が出ないから、会話という会話をしていなかっただけだ。

私はスマホに文字を打ち込み、紫さんに見せた。


【私は声が出ないんです】


紫さんは画面に目を走らせると、ゆっくりと頷いた。


「…なるほど。そうとは知らず、失礼いたしました。申し訳ございません」
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