春を待つ君に、優しい嘘を贈る。
私が見たものは、美しく着飾った姉が車に乗るところだった。しかもその車から出てきた男性は、どこかで見覚えがある人で。


(どこ、だっけ…)


髪色以外黒一色の姿の人。その人が、私の姉が乗り込んだ車から出てきた。

姉のことよりも、その人が姉と知り合いかもしれないということに危惧したのだ。

だって、あの人は。


「きみ、大丈夫かな?…泣きそうな顔をしているじゃないか。彼氏に振られたのかい?おじさんとイイコトするかい?慰めてあげるよ」


いつの間にか、知らない男性が目の前立っている。ニヤニヤと笑いながら、地に倒れ込んでいる私へと、汗ばんだ手を伸ばしていて。


「(やっ…、触ら、ないで…!)」


声が、出ない。


「いいじゃないか。奮発するからさぁ。君、可愛いし…六万でどう?いいでしょ?」


触らないで。


「(やめてっ…!!)」


言葉が、音になってくれない。

助けを求めて必死に絞り出しているというのに、何も。

何も、声に。
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