春を待つ君に、優しい嘘を贈る。

激しく動いていた鼓動が、一瞬で静まり返る。

止まってしまったのではないかと錯覚した私は、冷たくなった手を胸の前に当て、ほっと息を吐いた。

大丈夫、動いている。止まっていない、大丈夫。何度もそう自分に言い聞かせ、凍ったように動かなくなった足へと視線を落とした。


「久しぶりぃ、柚羽。どこに行ってたの~?」


「(それ、は…)」


言ったところで、この声は姉に届かないじゃないか。
そう思った私は、言葉を途中で遮り、下を向いたまま静かに後退った。


「どうしてあたしの顔を見ないのかな?見たくないの?傷つくなあ…」


今すぐここから逃げたい。
まさか姉が帰ってきているとは思わなかった。

だって、ここひと月の間、彼女は全く家に帰ってこなかったもの。
友達の家に泊まるとか、彼の家に泊まるとか、仕事で遅くなるとか、色々な理由でいなかったから。


「ねえ、柚羽」


吸い込んだ酸素が、グッと喉に詰まる。そのまま胸の中心へと送って、入れ替えたものを外へと出さなきゃいけないのに。

どうすることも出来ないまま、私は姉に囚われた。
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