春を待つ君に、優しい嘘を贈る。
私を抱きしめていた彼の腕が、ずるずると解かれていく。

あっと思った時にはもう、彼は崩れ落ちていた。

容赦なく体温を奪っていく風に揺られているのは、濡羽色の柔らかな髪。

力を失ったかのように崩れ落ちたというのに、柔い熱を持っている手だけは縋るように私の両腕を掴んでいた。


「………柚羽…」


涙に濡れた声で、私の名前を呼ぶ。

置き去りにされた子供のような目で私を見上げ、唇を震わせている。


私は嗚咽を漏らしている彼の後頭部へ手を伸ばし、そっと撫でた。

何故なのかは分からないけれど、彼が涙を見せるのは、この瞬間が初めてな気がして。

何の確証もないのに、私はそう思ったの。どうしてなのだろう。


(…あなたは、)


御堂維月、と名乗っていた。姉が復讐をすると言っていた『御堂組』と何か関係があるのかは分からない。けれど、私が喪った記憶に関係がある人であることは確かだ。


『あの人のことも、あの人たちのことも、あなたがやってきたことも、全部忘れちゃったんでしょ?それって狡くない?』


紗羅さんが言っていた、“あの人”。
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