春を待つ君に、優しい嘘を贈る。

「(はい)」


私は笑って頷いた。
春の陽だまりのような暖かい温度に、無性に泣きたくなる。けれど、堪えた。笑っていなくちゃって思ったから。

彼は漆黒のコートのポケットに両手を入れると、ゆっくりと息を吐き出した。

困ったように微笑みながら、私を見下ろしている。


「…恋焦がれていた人を、会いたくて堪らなかった人を目の前にしたら、言葉よりも先に体が動いていた」


それは、私のこと…だよね?

あなたは私に会いたかったの?焦がれていたの?

私のことをそんなに想ってくれていたなんて。じゃあ、あなたが“あの人”であることは間違いじゃないんだ。

だからと言って、今の私にはあなたの記憶が何もないから、何の言葉も贈ることが出来ない。

どうすることも出来ない自分が不甲斐なくて、胸がチクリと痛んだ。


何も思い出せない私は、あなたに見つめられる資格すらない気がして。

彼から目を逸らして、ぎゅっと唇を引き結んで俯いた。


「…柚羽」


耳がくすぐったくなるほど柔らかい声に導かれ、彼へと視線が動く。
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