春を待つ君に、優しい嘘を贈る。
違うのに。
否定の言葉を唇に乗せているのに、音を持たないそれは、いとも簡単に空気に溶け消える。

初めから存在していなかったかのように、消えてしまったんだ。


「そう思っても…無理はない。何の言葉も出てこないのは当たり前だ」


ハハ、とこぼされた笑みは、雪原に置き去りにされたかのように寂しげで、酷く乾いているものだった。

相変わらず声が出ない私は、無力な自分が歯痒くて情けなくて。

寒さのせいで感覚を失いつつ指先を、ぎゅっと握りしめることしか出来なかった。


風に乗った枯葉が、踊るように舞う。

桜がひらひらと舞う春の風景は心が温かくなるというのに、どうしてか、冷たい風に乗る落ち葉を見ていると心は寂しくなる。

同じ場所なのに、季節が巡っただけでこうも変わってしまう。

私もそうだ。彼が捜してくれていた“私”と今の私は違う。

同じ人物なのに、何もかもが違うのだろう。

なのに彼は、涙を流して私を抱きしめた。

自分のことを何一つ憶えていないというのに、抱きしめたのだ。
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