春を待つ君に、優しい嘘を贈る。
それがどれほど残酷なことなのか、私は彼じゃないから分かってあげられない。

私にとって彼は何なのかが分からないから、何も出来ない。何もしてあげられない。

でも、これだけは。

これだけは、分かっている。

彼にとって私という存在は…大切だということ。

私を見つめる眼差し、私の名前を呼ぶ声、私に触れる手つき。そして、柔い温度。

彼の全てから、そう伝わってくるのだ。

今日この日、私の世界に彼が現れた瞬間から。

声を上げて泣きたくなるくらいに、伝わってきたの。


「…帰ろうか、柚羽。家まで送るよ」


寂しい色をしている空を見上げていた彼が、ふいにそう言った。

当たり前のように私の右手を取ると、やんわりと握ってくる。


「…俺に送られるのは、嫌?」


不安げにそう聞かれた私は、すぐに首を左右に振った。
すると彼は、安心したように優しく微笑む。


「…よかった。じゃあ、あの橋まで一緒に行こうか」


彼はそう言うと、私の手を引いてゆっくりと歩き出した。
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