春を待つ君に、優しい嘘を贈る。
「――――柚羽、柚羽?」


不意に呼ばれた自分の名に、意識が目まぐるしい速さで覚醒した。

まだ見慣れない天井と、母の驚いた顔が視界いっぱいに映る。


「怖い夢でも見たの?大丈夫?」


その問いに、私は瞬時に首を横に振った。

母の指先が涙の痕をそっと拭う。

どうやら私は夢の中だけでなく、現(うつつ)でも泣いてしまっていたらしい。

とはいえ、どうして泣いていたのかは分からない。

曖昧な世界から抜け出したと同時に、あちらに記憶を置いてきてしまったのだろう。


「(だい、じょうぶ…)」


母はいつも通りに私の唇から言葉を読み取ると、「早く支度をしていらっしゃいね」と言い、部屋を出て行った。

壁の時計とお気に入りのポスターを交互に見つめ、ベットの外へと出た。


夢は、怖くはなかった。

曖昧な記憶を呼び覚ましながら、クローゼットの把手に手を掛ける。


(……琥珀色…)


琥珀色の瞳の青年が、私の名前を呼んでいた。

そんな夢を、見ていた気がする。
< 25 / 381 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop