春を待つ君に、優しい嘘を贈る。
「俺が憶えているから。忘れたりなんてしないから、大丈夫だよ」


嗚咽混じりの声が落とされたあと、唇に羽のような柔いものが当たった。

ほんの少し濡れていたそれはしょっぱかった。けれど、熱かった。


「…泣かないで。ずっと、笑っていて。それだけで、俺は幸せだから」


それが彼の唇だったことを知ったとき、私は自分が泣いていることに気がついた。

降り止まない雨のように、止まらない。

涙よりも、溢れ出てくる想いが止まらない。

どうして、私は彼を悲しませてばかりなの。何も思い出せない。何も声にならない。何も伝えられない。


「     」


維月さん、と唇を動かした時、何かが脳内を走馬灯のように駆けていった。

夕暮れの空と屋上、二人の男女。綺麗に笑う男の子と、無邪気に笑っている女の子。

一本の傘の下でくすぐったそうに笑う二人。

幸せそうに微笑み合いながら、手をつないで雪道を歩いている二人。


あれは、誰。
そう思った瞬間、その映像のようなものたちは弾け消えた。
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