春を待つ君に、優しい嘘を贈る。
ようやくクリアになった視界には、既に私に背を向けて歩き出している彼の後ろ姿が映った。

嫌だ、行かないで。

雨よ、連れて行かないで。

泣いているあの人を、ひとり雨に打たれているあの人を、ひとりにさせたくない。

これ以上、彼を傷つけたくない。

なのに、どうして手を掴むの?

ねぇ、諏訪くん。


「……だめだよ、柚羽チャン」


彼の手から、傘の柄が滑り落ちた。

落ちたそれを吸い込まれたように見ている間、あの人は遠くへ行ってしまっている。

きっとそこは、私が知らない世界。知ってはいけない世界だ。


「全部、話すよ」


そう言った諏訪くんは落ちた傘を拾うと、空いている方の手を私に差し出した。


「君に関することも、維月さんのことも、僕のことも。全部、話す。だから、一緒に行こう」


こんな時に、ずるいよ。

あの人を追いかけたくて堪らないのに、私が知りたい全てを秤にかけるなんて、ずるい。


「(……いづき、さん…)」


私のこと、彼のこと。そして、諏訪くんのこと。

全てを知ったとき、私は何を思うだろう?

冷たい雨に降られているあなたは今、何を思っていますか?
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