春を待つ君に、優しい嘘を贈る。
諏訪くんはそうされると思ってもいなかったのか、振り払われた腕に一度視線を落としたあと、呆然とお兄さんを見つめていた。

その姿がいつかの私と重なって見えた。

私は諏訪くんと違って、姉の行方を追うほど会えなくなっていたわけじゃないけれど、姉が別人のように変わってしまっていたことにショックを受けた。

諏訪くんも同じような思いをしているのだと思う。

この人は誰なんだろう、って。


「御堂維月…生きていたんだな」


どこまでも、どこまでも深くて低い声だった。それでいて、どこか楽しそうで。

彼もまた、紗羅さんと同じように、維月さんは死んでいると思っていた人らしい。

一年前の事故で、私を逃がすために応戦して、歩道橋の上から落下して――命を落とした。または、恋人を庇って死んでしまった。そのどちらかだと思っていたのだろう。


「…諏訪康煕」


維月さんの顔から表情が消えた。

害虫を見るような目で、男――諏訪康煕を見ている。
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