春を待つ君に、優しい嘘を贈る。
「――…え?」


何を言っているの、維月。

私だよ、柚羽だよ。あなたの恋人だよ?

冗談を言っているのかと思った私は、彼の目へと視線を動かした。


「……いづき?」


琥珀色の瞳は、困惑したように揺れていた。

握っている左手が私から逃れようとしているのか、静かに離れていく。


「…いづき、私が分からないの…?」


反対側のベッドサイドにある椅子に腰掛けている諏訪くんが、返事をしない維月の代わりだとでも言うかのように頷いた。

その表情が今にも泣きだしそうで、苦しそうだったことに私は気付かなかった。


「…いづき、ねぇ、何の冗談…?」


離れていく左手を、指先で追いかけた。けれど、届かなかった。

私は目の前の現実を受け入れられなくて、ただ呆然としていた。

張り詰めた空気を和らげるためか、背後で見守っていた医師がファイルを片手に歩み寄ると、維月の右手に巻かれている包帯の具合を見ながら口を開く。


「――…部分的な記憶喪失だと、思われます。落下したときに頭を強く打ったショックでしょう」


今度こそ、本当の再会が出来たと思ったのに。

神様は彼から私に関する記憶を奪ってしまったのか。
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