春を待つ君に、優しい嘘を贈る。
私はこのまま倉庫に残るらしい諏訪くんの姿を何度も振り返りながら、彼に問いかけた。

さすがに先を歩いているせいか、彼に言葉は届かない。

やはりこの前私の声を聞いてくれたのはまぐれで、偶然のことだったのだと再認識させられた。


それはそうだ。彼は人間。テレパシーが使える超人的な能力は持っていないのだ。

そう思えば、今日で二度目の笑みがこぼれた。

私の声を聞く人は、この世界のどこにもいないんだなって、改めて思い知ったのだ。


「(……せめて、記憶だけでもあったのなら)」


私が知らない私のこと。その私がしてきたことを知ることが出来たのなら、私を憎む紗羅さんに何かをしてあげられたはずだ。

何も憶えていない今、ただ憎まれるのは苦しいから。

知らないことは罪だと、忘れていることは罪だと分かっているけれど、知らないのに一方的に憎まれるのは困る。


結局のところ、私が何なのかが分からない以上、どうしていけばいいのか。どうしたらいいのかも分からない。

途端に、胸がぎゅうっと苦しくなった。
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