春を待つ君に、優しい嘘を贈る。
こんなにも懸命に、音のない声を拾おうと、読み取ろうとしてくれる人がいる。

辛いことばかりだなって思っていたけれど、世界には彼のような温かい優しさを持つ人が居たのだ。

聡美も、りとも、お母さんも。

諏訪くん、も。


「…ファーストネームを」


「(ゆずは。ゆ、ず、は)」


「…ユズハ、だな?」


伝わった。音にならない声が、私の言葉が。

喜びを隠しきれない私は、緩々と顔を綻ばせた。

同じように、彼も笑ってくれた。


「覚えておく」


そう言い、彼はふらりと歩き出した。

彼の名を聞けなかった私は、慌ててその背を追いかけ、ぎゅっと袖を掴む。


「(あの…!名前、教えてください)」


「……名前?俺のか?」


頷けば、優しい笑みを向けられた。


「この先、俺と会うことはない。名乗っても無意味だろう」


「(で、でも…!)」


彼は柔い力で私の手を離した。

綺麗な瞳が静寂の波のように揺れる。


「……もし、また逢う時が来たら。その時は、お前の声が聞けるといい」


「(っ…、)」


そう言うと、今度こそ彼は行ってしまった。
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