ヒロインの条件
「なんで走ってきた?」
佐伯さんが珍しいものでも見るような視線を送ってきたので、私は顔を覆いたくなった。
「気分転換、です」
「なんか嫌なことでもあった?」
佐伯さんが小さな声で尋ねたので、私も小さく「ないです」と答えた。それから「今日はごめんなさい」と謝った。すると佐伯さんがククッと詰まったように笑う。
「見事だったな。あのスマホは開発用でずっとあそこにあるんだ」
「本当にごめんなさい。バラしたいわけじゃなかったです、本当に」
「わかってるよ」
そう言いながらも、佐伯さんは少し寂しそうな顔をした。
「でも、ちょっと残念かな。野中と俺だけの秘密みたいで、すごく嬉しかったから」
そして、照れくさそうに「俺ってかなりガキみたいだな」と笑った。
胸が鳴る。今度は嫌な鳴り方じゃない。
「私も」
口に出すと、もやもやしていたものがはっきりと見えてきた。
「私も、佐伯さんと二人だけの秘密がなくなっちゃって、悲しいです」
ポロっと気持ちが溢れて、私は無意識に口を手で覆う。目がじわっと熱くなって、寂しさがこみ上げた。
佐伯さんと目が合って、私は慌てて目を伏せる。するとすっと手が伸びて、口を覆っていた手を取る。優しく、でもしっかりと指先を握って、それから「誰も知らないよ」と言った。
私は目をあげる。
「俺が野中を誰よりも大切でたまらないってこと」
佐伯さんの言葉が胸を満たす。
「好きだよ」
声が身体中に響き、徐々に内側から私を温めて、心地よく染み渡る。
「好きだよ、本当に好きだ」
「……佐伯さん、私」