ヒロインの条件
お昼休み、経理部同僚の女性たちにランチを誘われたけれど断って、一人うきうきと外出した。徒歩五分ほどのところに、誰にも邪魔されない静かな喫茶店があるのだ。たまに営業の人が商談で使うらしいけれど、昼休みには誰もいない。私はその隠れ家へといそいそと出かけて行った。
ビル裏の古い小さな喫茶店。木製の扉を開くと、ほわーっとコーヒーの香りが漂う。初夏の日差しから逃れると、冷房のついていない店内だけれど、ほっと一息つける涼やかさを感じた。暗さに目が慣れるまで目をパチパチと瞬かせてから、窓際の席に座る。
トーストとコーヒーしかないので、それを注文した。ここのトーストは厚切りで、サクッふわふわで本当に美味しい。磨かれた一枚板の丸テーブルに、皮張りしてあるクラシックな椅子は、自分を少し特別な感じにしてくれるから好きだ。
私は早速カバンから、カバーをかけた少女漫画の最新刊を取り出した。続きが読みたくて仕方がなかったので、嬉しくてたまらない。お互いに好き合っているのに、口に出せないもどかしさがドキドキする。前回とうとうヒーローたる社長が、逃げそうになるヒロインの手首を「いくな」とつかんだのだ。
わかりきったパターンで、アンハッピーエンドは考えられない展開だけれど、これが最高。もし万が一にも破局エンドだった場合には、落ち込んじゃってあがってこれないかもしれない。
目の前に出された芳醇な香りのコーヒーを一口飲むと、即座に漫画の世界に没頭しはじめた。トーストを食べるのも忘れて、一心不乱にページをめくる。誰にも邪魔されない至福の時間だ。
ああ、ドキドキする。このときだけは、私がヒロインだ。
熱心に読みふけっていると、ふと誰かの視線を感じて「ん?」と目をあげた。