隠れクール上司 2 ~その素顔は君に見せはしない~
結局この日、航平とは一言もしゃべらなかった。しかし、それは今に始まった事ではない。臨店していたことを後から知ることも多かったし、食事だって半年に一回行けばいい方だった。
それが、入社半年で何が航平さんで、何が食事だ……。
さり気なく関に聞くと、航平は6時過ぎには帰ったようだし、もちろん若杉も17時の定時で退社した。
おそらく、食事にでも行ったんだろう。
行けばいい、行けばいいと思う!!!
行けばいいんだ……そんで酔っぱらった若杉の胸でも触れば身体も反応するかもしれない。
そうか……。私と一緒に行ってもそういう先がないから面白くなかったに違いない。
それに、若杉は航平の直属の部下ではないし、そのまま辞めさせて結婚すれば何の問題もない。
「………」
事務室のパソコンの前で数字の羅列を見つめたせいで、感傷的になってしまった美生は、人の気配に気づいてようやく意識を取り戻した。
「分かりそう?」
鹿谷が聞いてくる。
通常のカウンターにあるレジは自動でつり銭が出るタイプなのだが、契約カウンターにあるレジは、自分でつり銭を出さなければいけないので、時として誤差が発生する。
それが1円、10円なら伝票や防犯カメラを調べても分からない事が多いのだが、今回は702円多いということもあり、どこかで渡し忘れている可能性が高く、50件以上ある伝票を元に防犯カメラをチェックしようとしているのである。
「今まだ始めたばかりなんで…なんとも」
この誤差に気付いたのは22時過ぎの清算点検時だ。こんな日に限って18時の清算点検が出来ておらず、14時から全部見ていかなければならない。
清算点検は時間や忙しさに関わらず、決まった時間に必ずしなければならないという教訓にもなる。これは、監査項目ではないので、時々起る現象でもあった。
「清算点検を徹底します」
先に言い切る。
「うん……、702円か…。分かりそうだけどな」
「はい…分かると思います」
美生は時計を見た。でも、1時間ではひょっとしたら分からないかもしれない。
「時間はいいよ。俺と関で鍵閉めればいいから」
「すみません……できるだけ早くします」
それでも、ここで作業をしているとカウンターの最終点検をする人がおらず、それが後回しになる。
そういえば、若杉は残業になってもそういうことを手伝ってくれる人だった。
まあ、そういう人が航平君をもらってくれるのならそれでもいいのかもしれない。
でも絶対あの胸を触りたいという気持ちが最初にあったんだと思う。
だとしたら今頃………。
何も知らないふりをして、電話をかけてみようか。
でも、出なかったら嫌だし、出たとしたら何を話せば……。
「関」
「あ、はい!」
まだ居たことに気付かず、驚いて後ろを振り返った。
「なんか。今日の朝調子悪そうだったけど、大丈夫か?」
「え……」
あ、朝……そういえば。すれ違ったな……。
「そうですね……」
大丈夫という概念では大丈夫かもしれない。けど……。
「あの」
全く聞くつもりはなかったが、誰もいない密室の上に店内に残っている人数が少ないとなると話しやすさが勝手に増す。
「……」
鹿谷はたまたま開いていたドアを後ろ手で閉めた。
「あの。私の前任の野坂副部門長が異動した理由…を聞きました」
鹿谷はすぐに目を逸らした。
「それで、私がここへ戻れたんでしょうか」
鹿谷は一瞬止まったが、すぐに顔を動かすと、
「この前店長が言ってたろ? 人事は本社が決める。どこに所属しているかは関係ない。どこにいても同じ仕事をするんだって。
何聞いてたんだよ」
鹿谷は笑ってくれる。
「……そっか……」
そういうことだったのかもしれない。
「まあでも、どの店に所属しているのかは関係なくても、役職がつけばそれなりに仕事が変わってくる。
部門長なら部門長の、副部門長ならそれなりの役割がある。
それを関は分かってると思う」
思いがけなく褒められてしまい、
「……分かってますか?私」
「うん。分かってる。それなりの動きが出来てる。副部門長らしい動きが。
でも、部門長がいない日は関が部門長の動きをしないといけない。それがもうちょっと前に出たらいいとは思う」
「……」
思いもよらない言葉に美生は目を広げた。
「過去の面談表を見たら、前任の時はそれなりに出来てたように思う。今の部門長に遠慮してるのか、コミュニケーションがうまくとれてないのかは分からないが。
そこは結構大事だと思う。
そうした方が上に上がりやすい」
「上に……」
「関も部門長目指してるんだろ?」
「……」
言葉に詰まり、それで流してもらおうと思ったが、
「違うのか?」
再度聞かれ、逃げ場がなくなる。
「なんか……私、もう26なんですよ。もうすぐ27」
「年同じなんだから分かってるよ」
鹿谷は軽く笑う。
「だって、結婚したいとか思いません? 鹿谷副店長は男だし、むしろ結婚には役職が上がってた方がいいからいいかもしれませんけど…。私は独身で部門長になって結婚して辞めるんだったら、無駄というか、それって何の意味があるんだろうと思うし。
実際全然結婚という雰囲気でもないし、でも気が付いたらずっと仕事ばっかりしてきて彼氏もいないし。
あ、今日ピアスつけてきたんですよ!」
「ん? ああ…」
わざわざ、髪を耳に掛けて見せたのに、それがどうしたと言いたげだ。
「だから、ちょっとオシャレでもした方がいいのかなとか」
「ここで?」
どうも受け入れがたい発想のようだ。
「だって、沙衣吏さんとかいつも綺麗にしてるし」
「いやまあ、ピアスがオシャレなのかはしんねーけど。
……、例えば今彼氏がいて結婚の話が出てるから部門長迷うというのなら分かる。家庭に入って欲しいと言われてるとかな。
けどまだそんな話もないんだろ?」
随分ぐさりと来たが事実だ。
「そ、そうです」
目を閉じて答えた。
「……先見据えすぎなんじゃね? まあ、個人的な意見だけど」
「………だって、結婚したいし」
「それはいいけど、仕事と結婚は今は別だろ。仕事してても結婚できるだろうし、結婚した後そういう状況になったら辞めるとかパートになるとかすればいいし。今から考えすぎてても、後で後悔しそうな気はする……。あくまでも個人的な考えだけど」
「随分個人的な考えなんですね」
連呼するのであえて言った。
「しゃーねーだろ。俺も結婚したことねーから感覚でしかわかんねーし。
というか、そんな中途半端な気持ちでいたらまたすぐ異動かかるぞ」
「………」
それは嫌だ。それだけは嫌だ。絶対にここがいい。
「まあ、そういう言い方もダメなんだろうけど。
自分の目標として、ここでいたい。ここの部門長になりたいという気持ちがあれば、自然に能力も上がると思う。そりゃ、理想はどこの店でもいいという気持ちだろうけど、まあ、俺もここへ来たいってゆー気持ちで実際ここまで来れたからな。悪いことじゃないと思う」
「………なんか……納得しました」
なるほど。なんか納得した。それが自分に一番近い理想の目標だと結構思う。
「よっし。じゃあさっさとそれ終わらせて帰ろうぜ」
鹿谷は笑顔でドアを開けて出ていく。
耳に刺したピアスが実はまだ痛い。
だけど、それがオシャレじゃないかもしれないと思い直した美生はその場で外してしまい、まっすぐ前を向いた。
それが、入社半年で何が航平さんで、何が食事だ……。
さり気なく関に聞くと、航平は6時過ぎには帰ったようだし、もちろん若杉も17時の定時で退社した。
おそらく、食事にでも行ったんだろう。
行けばいい、行けばいいと思う!!!
行けばいいんだ……そんで酔っぱらった若杉の胸でも触れば身体も反応するかもしれない。
そうか……。私と一緒に行ってもそういう先がないから面白くなかったに違いない。
それに、若杉は航平の直属の部下ではないし、そのまま辞めさせて結婚すれば何の問題もない。
「………」
事務室のパソコンの前で数字の羅列を見つめたせいで、感傷的になってしまった美生は、人の気配に気づいてようやく意識を取り戻した。
「分かりそう?」
鹿谷が聞いてくる。
通常のカウンターにあるレジは自動でつり銭が出るタイプなのだが、契約カウンターにあるレジは、自分でつり銭を出さなければいけないので、時として誤差が発生する。
それが1円、10円なら伝票や防犯カメラを調べても分からない事が多いのだが、今回は702円多いということもあり、どこかで渡し忘れている可能性が高く、50件以上ある伝票を元に防犯カメラをチェックしようとしているのである。
「今まだ始めたばかりなんで…なんとも」
この誤差に気付いたのは22時過ぎの清算点検時だ。こんな日に限って18時の清算点検が出来ておらず、14時から全部見ていかなければならない。
清算点検は時間や忙しさに関わらず、決まった時間に必ずしなければならないという教訓にもなる。これは、監査項目ではないので、時々起る現象でもあった。
「清算点検を徹底します」
先に言い切る。
「うん……、702円か…。分かりそうだけどな」
「はい…分かると思います」
美生は時計を見た。でも、1時間ではひょっとしたら分からないかもしれない。
「時間はいいよ。俺と関で鍵閉めればいいから」
「すみません……できるだけ早くします」
それでも、ここで作業をしているとカウンターの最終点検をする人がおらず、それが後回しになる。
そういえば、若杉は残業になってもそういうことを手伝ってくれる人だった。
まあ、そういう人が航平君をもらってくれるのならそれでもいいのかもしれない。
でも絶対あの胸を触りたいという気持ちが最初にあったんだと思う。
だとしたら今頃………。
何も知らないふりをして、電話をかけてみようか。
でも、出なかったら嫌だし、出たとしたら何を話せば……。
「関」
「あ、はい!」
まだ居たことに気付かず、驚いて後ろを振り返った。
「なんか。今日の朝調子悪そうだったけど、大丈夫か?」
「え……」
あ、朝……そういえば。すれ違ったな……。
「そうですね……」
大丈夫という概念では大丈夫かもしれない。けど……。
「あの」
全く聞くつもりはなかったが、誰もいない密室の上に店内に残っている人数が少ないとなると話しやすさが勝手に増す。
「……」
鹿谷はたまたま開いていたドアを後ろ手で閉めた。
「あの。私の前任の野坂副部門長が異動した理由…を聞きました」
鹿谷はすぐに目を逸らした。
「それで、私がここへ戻れたんでしょうか」
鹿谷は一瞬止まったが、すぐに顔を動かすと、
「この前店長が言ってたろ? 人事は本社が決める。どこに所属しているかは関係ない。どこにいても同じ仕事をするんだって。
何聞いてたんだよ」
鹿谷は笑ってくれる。
「……そっか……」
そういうことだったのかもしれない。
「まあでも、どの店に所属しているのかは関係なくても、役職がつけばそれなりに仕事が変わってくる。
部門長なら部門長の、副部門長ならそれなりの役割がある。
それを関は分かってると思う」
思いがけなく褒められてしまい、
「……分かってますか?私」
「うん。分かってる。それなりの動きが出来てる。副部門長らしい動きが。
でも、部門長がいない日は関が部門長の動きをしないといけない。それがもうちょっと前に出たらいいとは思う」
「……」
思いもよらない言葉に美生は目を広げた。
「過去の面談表を見たら、前任の時はそれなりに出来てたように思う。今の部門長に遠慮してるのか、コミュニケーションがうまくとれてないのかは分からないが。
そこは結構大事だと思う。
そうした方が上に上がりやすい」
「上に……」
「関も部門長目指してるんだろ?」
「……」
言葉に詰まり、それで流してもらおうと思ったが、
「違うのか?」
再度聞かれ、逃げ場がなくなる。
「なんか……私、もう26なんですよ。もうすぐ27」
「年同じなんだから分かってるよ」
鹿谷は軽く笑う。
「だって、結婚したいとか思いません? 鹿谷副店長は男だし、むしろ結婚には役職が上がってた方がいいからいいかもしれませんけど…。私は独身で部門長になって結婚して辞めるんだったら、無駄というか、それって何の意味があるんだろうと思うし。
実際全然結婚という雰囲気でもないし、でも気が付いたらずっと仕事ばっかりしてきて彼氏もいないし。
あ、今日ピアスつけてきたんですよ!」
「ん? ああ…」
わざわざ、髪を耳に掛けて見せたのに、それがどうしたと言いたげだ。
「だから、ちょっとオシャレでもした方がいいのかなとか」
「ここで?」
どうも受け入れがたい発想のようだ。
「だって、沙衣吏さんとかいつも綺麗にしてるし」
「いやまあ、ピアスがオシャレなのかはしんねーけど。
……、例えば今彼氏がいて結婚の話が出てるから部門長迷うというのなら分かる。家庭に入って欲しいと言われてるとかな。
けどまだそんな話もないんだろ?」
随分ぐさりと来たが事実だ。
「そ、そうです」
目を閉じて答えた。
「……先見据えすぎなんじゃね? まあ、個人的な意見だけど」
「………だって、結婚したいし」
「それはいいけど、仕事と結婚は今は別だろ。仕事してても結婚できるだろうし、結婚した後そういう状況になったら辞めるとかパートになるとかすればいいし。今から考えすぎてても、後で後悔しそうな気はする……。あくまでも個人的な考えだけど」
「随分個人的な考えなんですね」
連呼するのであえて言った。
「しゃーねーだろ。俺も結婚したことねーから感覚でしかわかんねーし。
というか、そんな中途半端な気持ちでいたらまたすぐ異動かかるぞ」
「………」
それは嫌だ。それだけは嫌だ。絶対にここがいい。
「まあ、そういう言い方もダメなんだろうけど。
自分の目標として、ここでいたい。ここの部門長になりたいという気持ちがあれば、自然に能力も上がると思う。そりゃ、理想はどこの店でもいいという気持ちだろうけど、まあ、俺もここへ来たいってゆー気持ちで実際ここまで来れたからな。悪いことじゃないと思う」
「………なんか……納得しました」
なるほど。なんか納得した。それが自分に一番近い理想の目標だと結構思う。
「よっし。じゃあさっさとそれ終わらせて帰ろうぜ」
鹿谷は笑顔でドアを開けて出ていく。
耳に刺したピアスが実はまだ痛い。
だけど、それがオシャレじゃないかもしれないと思い直した美生はその場で外してしまい、まっすぐ前を向いた。