異世界で、なんちゃって王宮ナースになりました。
「シェイド様、それはシルヴィ治療師長から誘ってくださったんです。間違っても、私がもぎ取った地位ではありませんからね?」

「わかっている」

 そうは言いながら、口元を手で覆っている彼はあきらかに笑いを堪えている。女性としては不本意だけれど、シェイド様が楽しそうなのでまぁいいかと思ってしまった。 

「若菜はこの国に来てから、いろんな顔をするようになったな」

「そう、でしょうか?」

 自分ではわからないが、彼が言うのならそうなのかもしれない。戦場では生きることに必死で、笑ったり怒ったりする余裕はなかった。それはミグナフタ国の要塞に着いてからも同じで、最近になってようやく自分らしさというものを思い出せた気がする。

「俺の知らないあなたが増えた。俺にとって愉快なものでなくてもいい、もっといろんな表情を見せてくれたらいいのにと思うよ」

 シェイド様はそう言って、私に手を伸ばす。抵抗する理由など私にはなくて、されるがままに抱き寄せられた。

 鼻頭がシェイド様の軍服に埋まり、薔薇とは違った甘い香りがするのに気づく。それは落ち着かないような、安心するような、様々な感情を私に連れてきた。

「近々、また戦争が起こる。ニドルフ率いる王宮騎士団がこの国に攻めてきているという知らせを受けた」

 静かに告げられたのは、できれば二度と聞きたくなかった話題だ。私は彼の胸から顔を離すと、琥珀の瞳を見上げて「え?」と動揺を隠しもせずに聞き返す。

 シェイド様は切なさをその目に宿して、苦しげに口を開いた。

「俺が軍を立て直してエヴィテオール国に攻め入る前に、協力しているミグナフタ国ごと潰そうとしているんだ。目的のためなら、どこまでも残虐になれる兄上らしい」

 忌々しそうに冷たく言い放つシェイド様の手を私は握る。なぜか、彼がどこかへ行ってしまうような不安を感じてしまったからだ。

 私の唐突な行動に「若菜?」と、シェイド様が戸惑いの声をあげる。私は揺れる彼の瞳を真っすぐに見つめ返した。

「私も、もっといろんな表情を見せてくれたらいいのにと思います。あなたは上に立つ人だから簡単に弱音を吐くことができないんでしょうけれど、私には話してください。剣は握れませんが、せめてあなたの心を包む真綿くらいにはなれるかと」

 肩をすくめてみせると、シェイド様はぎこちなく唇に弧を描く。無理に笑おうとする彼の頬に手を伸ばして、親指と人差し指でむんずと摘まんでやった。

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