幻獣サーカスの調教師
目を開け、ノエンは溜め息を吐いた。

いつの間にか寝ていたらしい。

(今も……まだ夢に見る)

忘れたくても忘れられない。

忘れることなど出来るわけがない。

埃の臭いが充満し、ノエンは「後で掃除だな」と小さく呟いてから、テントの外へと向かう。

外は雨が降っており、ノエンは構わず雨の中に身を投げる。

雨は好きだった。

血で汚れた自分を、残酷な過去を、洗い流してくれるような気がして。

あれから、ルルとすれ違っても、ルルは挨拶をしてくれても、前のように笑ってはくれなかった。

それに、何故か心が痛む。

自分よりもきっと、恵まれない環境で育った彼女は、それでも歪むことなく優しい。

けれども、その優しさが彼女自身を深く傷付けた。

(ラッドの死を願う私は、彼女を利用しようとしていた)

復讐の対象ではないルルの命まで奪う気はない。

だから、次のショーではルルだけでも助けてくれるよう団長に頼むつもりだ。

あの男は金さえあれば何でも言うことを聞く。

元々ノエンを引き取った家が、このサーカスに多大な寄付をしているのだ。

その家の息子であるノエンを、団長はないがしろにはしない。

(金で動かそうとする私も、結局は悪だろうな)

正義感の強い人間から見たら、自分はさぞ悪人に見えるだろう。

家族を奪ったあの男を見殺しにした自分を、きっと善人面している人間は責めるだろう。

「……いいか悪いかなど、誰にも決められない」

正義とは、自分で決めるしかないのだ。

人を殺すことが悪だと言うのならば、何故幻獣は裁かれないのだろう?

答えは簡単だ。

幻獣には、殺すのが罪という概念も法律も無いのだ。

所詮は獣と同じ存在でしかない。

けれども、人は他の生き物よりも多くの感情を持ってしまった。

言葉の鎖で人は人を縛り、開発された凶器で獣や幻獣を縛る。

(確かに、人間は愚かだ)

リュートが人間を嫌っている理由など、聞かなくても分かる。

(けどね、人間は愚かなだけじゃないんだ。幻獣と違ってね)

感情を持った生き物が愚かと言うのならば、それは幻獣にも言えることだ。

家族を奪ったマンティコア。あれは自分が復讐する前に死なれてしまった。

だから、怒りの矛先は今度はマンティコアの子供に向く。

(次のショーで、私は復讐を果たす)

父の形見であるこの刀で。

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