幻惑な夜
新宿駅西口。

30分近くもタクシーループに列をなし客待ちしていた俺は、ようやく前に12、3台の所まで来ていた。

タクシー乗り場で待っている客は3、4人くらいで、10分もすれば客を乗せられる。

この客を運んだらどこかで飯を食べて少し寝よう…そんな事を考えながら、今朝買ったスポーツ新聞に目を落とした時だ。

コツコツと助手席の窓ガラスを叩く音がする。

見ると男が立って軽く手を上げていた。

俺が助手席の窓ガラスを下げると、男は「いいですかね?」とこちらを覗き込んだ。

「あ、すいません、ちょっとここからは乗せられないんですよ。あそこに乗り場がありますんであそこから…」

男は俺がまだ言い終わらない内に車から離れ、俺の指差す方へと歩いて行った。

俺は指差しで宙に浮いたバツの悪い右手で、ずれてもいないルームミラーをいじってからもう一度スポーツ新聞に目を落とした。


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