幻惑な夜
一階、二階、三階と各二部屋ずつの小さなワンルームマンション。

道路に面する部屋と石神井川に面する部屋とがある。

俺が見ていたのは当然道路側の部屋で、二階の部屋だけに明かりがついていた。

カーテン越しの明かりが、窓ガラスを斜めに入る稲妻のようなヒビを浮かび上がらせていた。

俺はマンションの入口に視線を下ろした。

人が出て来たからだ。
女だ。
上下ともに白いジャージを着ていた。

俺は悪くもないのに、目を細めてその女を見た。

…えっ?

時間が止まった。

タクシーの中が一瞬で真空パックにされたかのようだ。

何も感じない…。

俺の呼吸も止まり、五感で唯一生きていたのは視覚だけだ。

それはほんの数秒で、すぐに心臓の鼓動が激しく胸を叩くのを感じた。

ドクドクドクドクドク…。

その鼓動に促されて、真空パックは破れ、時間が再び流れ始めていく…。

瞬間、後ろからいきなりクラクションをならされたんだ。


< 29 / 69 >

この作品をシェア

pagetop