幻惑な夜
「ちょっと遠いんですけどね」

男がマスクの下でモゴモゴとそう言ったのと、遠くでワンッ! と犬が吠えたは、ほぼ同時だった。

マスクの男が犬の存在を確かめると、俺の方を見直してからマスクを顎まで下げた。

「私、生まれて育ったのがここら辺でしてね。大山なんですけど。今夜中学の時の同窓会がありまして、つい飲み過ぎて、みんな懐かしくてねぇ。何軒か店回っているうちに、気が付いたらもうこんな時間になってまして。そこの中仙道まで出てタクシー拾おうと思ってましたから、いやぁ助かった」

俺は男の話しなど聞いていない。

見ているのも男などではなく、さっき吠えた犬だ。

正確に言うと、吠えた犬を連れて歩いている女だ。

橋を渡った先に、さっき見たコインランドリーの自販機がある。

その前を犬と散歩している女がいた。

俺はその女を見て、ハッとして息を呑んだ。

ゴクリと唾を飲み込んだが、その音はマスクの男に聞こえるんじゃないかと思うくらい大きい。


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