幻惑な夜
ギアが上がる。
心臓の鼓動のだ。

鼓動が一気に早くなるのが分かる。

胸壁を突き破りそうなくらいに、強く激しくだ。

俺はとっさに女から目を離す。

…間違いない。

遠い。
ここから自販機までは20、いや30メートルはあるだろう。

遠くて暗く確信はもてないが、この明らかな動揺が物語っている。

板橋区、中板橋双葉町。

昔と何ら変わらない街並み。

記憶とブレる事のないグレーのマンション。

犬は知らないが、それら全てが見事にリンクするような女など、そういるものではない。

…恭子。

「どうしました? 汗、凄いですよ」

汗? 額に手をやると、夏でもないのに額にはビッシリと汗をかいていた。

着ているワイシャツにも汗を感じる。
脇の下がアツい。


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