幻惑な夜
俺は顔をそむけたまま、ゆっくりと目の端で男を見る。

男の視線が俺の胸の辺りを見ているのが分かる。

俺は無意識の内に、左手で胸の辺りをギュッと掴んでいた。

ワイシャツと一緒に掴んでいたネクタイが首を引っ張っている。

「え? ああ…」

「大丈夫ですか? 何だかあまり顔色が良くないみたいですけど」

男は俺を見て、どこか具合でも悪いのだろうかと勘違いしたのかもしれない。

「あ、いや、大丈夫。大丈夫ですよ」

「胸ですか? 胸がおかしい」

男はそう言うと、俺の方に一歩近付く。

俺はビクっと、男の思わぬその行動に、そむけていた顔を戻してしまう。

男の左肩の向こうに、さっきの女の姿が見える。

もうこっちを向いていない。

コインランドリーの自販機前から、犬と共に背を向けて歩き出していた。

犬と歩いているその姿は、ゆっくりと小さくなっていった。




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