幻惑な夜
心の中では、恭子に事実を話すよう促す自分がいた。

また、頭の中では、このまま何も知らずに楽でいる方法を考えている自分がいる。

心と頭の凌ぎ合いは、やがて頭の勝ちで、心の中にある良心は頭で考える卑怯な思考に征服されてしまう。

『逃げろ、今なら間に合う。何もかも捨てて逃げてしまえ』

頭の中には常にその囁きが蠢き、その囁きは間違えじゃない。
いつしか俺はそう考えるようになっていく…。

俺は吸っていたタバコを川に投げ捨てる。

暗い川面を見つめながら「若気の至り…」
と小さく呟いてみる。

結局俺は逃げた…。

それもただ逃げるのではなく、俺は恭子の郵便局と銀行に預けてある金を黙って下ろし、その金を盗んで逃げた…。

「若気の至り、若気の至り…」

郵便局と銀行のATMで、0203と言う恭子の誕生日の暗証番号を押しながら、俺はそんな言葉を呪文のように呟き続けていたのを覚えている。




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