腹黒上司が実は激甘だった件について。
「あっ。」

突然立ち上がる奈穂子を視線で追うと、そこには残業終わりであろう坪内さんがいた。
奈穂子は坪内さんに駆け寄って何かを話している。

ちょっと奈穂子、余計なこと言わないでよ。
私は焦る気持ちを抑えながらも、その場から動けずに奈穂子の行動を見守る。

やがて奈穂子は私に手を振ると、自動ドアを抜けて帰っていった。
待て待て、奈穂子さんや。
坪内さんに何を言ったんだ。
めっちゃ不機嫌な顔でこっちに近付いて来るんですが。

「アパートが火事になって帰る家がないって?何で早く言わないんだ。」

めちゃくちゃ眉間にシワ寄ってるし。
奈穂子のやつ、絶対話盛って伝えたに違いない。

「違いますよ。火事になったのはアパートの隣の家です。うちは壁が焦げただけ。」
「ホテルに泊まるって?」
「家が焦げ臭くて寝れないんですよ。しばらくホテル暮らしですかね。どこかいいホテル知りません?」

訂正を加えつつ話すと、おもむろに手首をつかまれ歩き出す。
引きずられるように会社を出たところで、はっと我に返ってその手を振りほどいた。

「何なんですかっ!」
「秋山、うちに来いよ。」

「いや、だから、あり得ないですって。」
「上司命令だ。」
「職権濫用です。」

私の抵抗むなしく、また手を引かれてしまう。

無理矢理だから、逃げることはできたはず。
でも私は逃げなかった。
どうしてか、やっぱり坪内さんのことが気になってしまって。
悔しいけど、優しさに甘えたくなってしまった自分がいたんだ。
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