古都奈良の和カフェあじさい堂花暦
奈良に帰ってきたのは、一昨年の祖父の七回忌の法要に戻って以来だからおよそ二年ぶりということになる。
東京の大学を卒業したあと、「地元へ帰ってきてこっちで就職しなさい」という両親(おもに母親)からの言葉を振りきる形で、丸の内にある百貨店への就職を決めたのが五年前。
以来、土日祝日、年末年始と世間が休みの時ほど忙しい職場なのを良いことにほどんど帰省をしなかったのには理由があった。
母は、二十三歳で父と結婚した。
親戚の紹介からのお見合い結婚である。
いわゆる「バブル期」の真っ只中の世代での二十代前半でのお見合い結婚は当時としても珍しかったようで、友人たちの間ではトップをきってのゴールイン(母は毎回その言い方をする)だったそうだ。
結婚の翌年には長女の私。
その二年後に弟の佳彦を出産し、二十代を家事と育児に明け暮れた母にとって、二十代も半ばを過ぎたのに浮いた話のひとつもなく、かといって焦る風もなくのらくらと都会で一人暮らしをしているように見える娘は母にとって心配の種でしかなかったらしい。
帰省する度に親戚の誰々が結婚した、同級生の誰それちゃんも来年の春には式を挙げるみたい。三年前に結婚した〇〇ちゃんはもう二人目がお腹にいて、実家の近くに戸建てを建てるらしい……と聞いてもいないのに報告してくる。
東京の大学を卒業したあと、「地元へ帰ってきてこっちで就職しなさい」という両親(おもに母親)からの言葉を振りきる形で、丸の内にある百貨店への就職を決めたのが五年前。
以来、土日祝日、年末年始と世間が休みの時ほど忙しい職場なのを良いことにほどんど帰省をしなかったのには理由があった。
母は、二十三歳で父と結婚した。
親戚の紹介からのお見合い結婚である。
いわゆる「バブル期」の真っ只中の世代での二十代前半でのお見合い結婚は当時としても珍しかったようで、友人たちの間ではトップをきってのゴールイン(母は毎回その言い方をする)だったそうだ。
結婚の翌年には長女の私。
その二年後に弟の佳彦を出産し、二十代を家事と育児に明け暮れた母にとって、二十代も半ばを過ぎたのに浮いた話のひとつもなく、かといって焦る風もなくのらくらと都会で一人暮らしをしているように見える娘は母にとって心配の種でしかなかったらしい。
帰省する度に親戚の誰々が結婚した、同級生の誰それちゃんも来年の春には式を挙げるみたい。三年前に結婚した〇〇ちゃんはもう二人目がお腹にいて、実家の近くに戸建てを建てるらしい……と聞いてもいないのに報告してくる。