古都奈良の和カフェあじさい堂花暦
「うわ、ごめん! 悪かった! 申し訳ない!」

「なんで奏輔さんが謝るんですか?」
やっと取り出したハンカチで目元を拭いながらわたしは言った。

こんな時でも、「あ、マスカラ。ウォータープルーフのやつで良かった」とか思っている余裕が自分でもおかしかった。

「なんでって、俺また何か言うてもうたんやろ。無神経なこと。自分では気づかんけど知らんうちに女の人の気に障ること言うて、泣かせてしまうことようあるんや」

そうだろうなあ、と思いつつ私は首を横に振った。

「ちがいます。別に奏輔さんの言ったことで泣いたわけじゃないですから」

「え、じゃあ……」

「今の奏輔さんのお話を聞いてるうちに、奏輔さんみたいな人が上司だったら下で働く人は幸せだなあって思ったんです」

「そんで?」

「それだけです」

「何や、それ」
奏輔さんは大袈裟にがくっと首をのけ反らせた。

「それで泣いたん? 感動の涙っちゅうこと?」
「まあ、そんなところです」
「マジか。わけわからんわー」

私は思わず笑った。

「わけ分からんですよね。ごめんなさい」
「あ、笑うた」


奏輔さんはあからさまに、ほっとした顔になった。

「良かったー。せっかくいいバイトの人見つかったのに、またダメにしてしもうたかと思って焦ったわ。しかも千鳥さんのお孫さんやし。泣かせたなんていうたらどとき回されるとこやった」

「ごめんなさい。びっくりさせちゃったみたいで」
「そら、びっくりするやろー」

その後、奏輔さんはそれ以上、私の涙については何も聞かずに家まで送っていってくれた。

感動の涙だなんて。いくらなんでもそれをそのまま信じたわけではないと思う。

でも、気づかないふりをして何気ない話をしながら肩を並べて歩いてくれた。

面倒くさそうだから聞こうとしなかっただけかもしれない。

でも私には、出会ったその瞬間から何でもズケズケと言ってくる奏輔さんの、その分かりやすい「知らんふり」がなんだかとても嬉しかった。

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